3-5
先日の師父との話の後に天元家の邸宅内にある書庫を当たってみた。
書物の中に記されている鬼の種類は細かいものも含めれば
角があって牙と爪を持ち、虎の皮の腰巻を巻いている。
怪力乱神、即ち強大な
様々なものに変化する。
酒と博打が好き。
と、いったものだった。
鬼は怪力の持ち主であることから人間から真っ向勝負を仕掛けられた末に倒されるのではなく、知略によって討たれるというケースが殆どだった。
主役に打ち倒されて、宝を奪われ、無残に打ち捨てられる。物語を都合よく回すための悲劇の側に立つもの。
有名どころは京都の大江の山に住まう酒呑童子というものらしく、資料によれば彼女は伊吹大明神ことヤマタノオロチの
彼女たちは当時の源氏の頭領たる
世間は鬼は血も涙もないと口にするけれど私の意見としては少し違う。
彼らはただ単に痛覚が鈍いが故に他者に対して共感がしづらいだけなのだ。
自分の痛みに対して基本的に鈍く、痛みを感じたことがそもそも少ない。
故に彼らは他者が傷ついてもその痛みに共感できない。そもそも、何故痛がっているのかも分からない節があるのだろう。
だから仲間が傷ついたりしても放っておくし、自分よりも弱い生物を傷つけることに
その様子が鬼に比べれば脆弱な体を持っている人間の価値観、感覚からすると常軌を逸して冷酷に映る…話の構造としてはただそれだけ。
一重にこれは生物としての性能差が起こす認識の差異だ。
強靭な肉体を持つ鬼には脆弱な肉体を持つ人間の感覚は
脆弱な肉体を持つ人間には強靭な肉体を持つ鬼の感覚は
そういった差異があるが故に相互誤解が起きてしまい、結果として悲劇に繋がる。
「まぁ、人と化け物が喧嘩してようが仲良くしてようが私にはどうでもいいことだわ。私はただ単に
世の中で起こる
自分の生の実感さえあやふやな私からすれば、世の事情など午睡の夢よりも曖昧な感じしかしない。
人の事情にも化け物の事情にも然したる興味はない。
鬼は痛みを感じ
しかしそれでも鬼は僅かとはいえ、痛みも感じるし、恐怖心も抱く。師父の言う通り弱点があるということに関しては人間とさほど変わりない
それならば、
鬼に関する情報は一通り揃ったので、次は百鬼夜行についての情報にあたろうと思う。
深い森のように鬱蒼と佇む本棚の群れから、いくつか目ぼしい書物や文献を漁ってきて図書室に備え付けられた幅広の机の上に置いていく。
―――百鬼夜行。
こちらも平安時代からこの国に伝わる伝承で、鬼をはじめとした様々な化け物、妖怪が夜道に闊歩するという内容であった。
百鬼夜行に出遭うと死んでしまうといわれていたため、これらの日に貴族などは夜の外出を控えたとされており、もし遭遇してしまった際には呪文やお経を唱えると難を逃れることができるという言い伝えがあった。
記されている化け物の種類も多種多様で…正直なところ、一体づつ対抗策を考じていたのでは対処しきれない。
お経や呪文を唱えれば撃退できるというが、しかし私はこの国の魔術についての知識はまだ浅い為、この手段を用いて怪物を撃退するというのはあまり現実的ではないと判断した。
なので、いつも通り強力な力が
私は家令である爺やに依頼して対怪物に特化した道具を用意してもらう。
教会で聖別済みの銀を使用した魔術的加工が施されたナイフを十本。
錬金術で作成された麻痺薬、毒薬。
傷を負った際に使う治療薬一式。
今回の標的は数こそ多けれど、高位の怪物の反応はないとの事なので重装備で臨むこともないだろう。
私は用意された道具一式を衣服の内側に携えて邸宅の玄関口へと向かう。
門の前には既に爺やが車を停めてあり、いつでも発車できる状態だった。
私は軍用ブーツに足を差し込んでベルトの金具を止めていく。
金属板の仕込まれた特殊仕様のブーツの履き心地を確かめるようにつま先で地面をトントンと叩く。
ブーツの感覚がいつもの通りだと確かめると同時に師父が女中と家令を引き連れて私を見送るために玄関までやってきた。
「そろそろ出立かの? 鬼は生き汚い上に狡猾じゃからの。油断すればそこにつけ込んでくる故、
「はい」
師父の忠告を私は素直に受け取る。
普段のこの人はどうしようもない位、ひょうきんでバカ丸出しの人だけど、戦いに関してはとことんリアリストになって冷徹なまでの戦術、戦闘の理論を展開する様になる。
そんな彼の忠告を聞き届ける事になんの
「現地は遊園地だから、きっとチャラい輩にナンパとかされるじゃろうなぁ…。もし、男が寄ってきたらな? そやつの首を叩き斬ってワインのコルク栓みたいにスポン! と、遠くまでかっ飛ばしていいからの? ワシがいくらでも隠蔽工作とかしてやるからな、真理!」
「……」
娯楽施設にあるまじき血みどろの地獄絵図ができるだけだろうに、それは…。
私はテーマパークやゲームセンターといった娯楽施設に行ったことがないけれど、人の首が出血と共に宙高く飛び上がるなど、間違いなく遊興を提供する楽しい場にはあってはならないスプラッターな光景だと断じることはできる。
「いってきます。明日の昼までには戻りますので。」
師父の
爺やが運転する黒のリムジンに乗り込むと車はすぐに動き出した。
なにやら門前で師父が大声で騒ぎながら家令と女中の人達に抑え込まれようとしている姿がバックミラー越しに見えたのだが……私は何も見なかったことにした。
□
数人の家令と女中に体を
「ぐぉぉぉぉぉ! 何故じゃ! 何故ワシの
「御家の恥を公然に
「全ては愛が故よ……。この天元理道を止めたくば、我より強く美しい愛を胸に抱いてかかって参れぃ! ワシは誰にも負けぬぞ! たとえ三千大千世界を相手取ろうとも雄々しく立ち向かい、見事打ち勝って見せようぞ!!」
「
「ゴメンナサイでしたぁ! ちょっぴり図に乗ってましたぁン!」
玄関前でぷるぷると震えながら一八〇㎝近くある巨体をハムスターのように小さく丸めながら土下座をする伝説の元英雄。
この姿を見て、彼が竜を退け、日本に迫っていた脅威を打ち払った稀代の傑物だと紹介しても誰も信じないことだろう。
朝まで飲んだくれて朝帰りをした駄目な老人亭主が家内に
「頼むから理世には
じゃあ懲りろよ、と配下の者たちが一堂に心中で呟くものの、それを口にしないでいるのは彼らなりのせめてもの情けか…。
現場に向かって真理が出発する姿を見送った
そんな彼女の背中を見て、しかし理道はなにか引っ掛かるものを覚えた。
長年、斬った張ったをやっていると、ある種の直感が鍛えられていく。
第六感―――いわゆる、虫の知らせというものが。
「…フム、妙にざわつくのう。何か見落としでもあったかな?」
思い返す限り、それはない。
準備に滞りもなければ、不備もなし。
真理の心身の
と、なれば―――
「ノリが悪いというか…縁起が悪いものが真理に近づいてきておるかのう、これは?」
不吉が流れてくる感覚。いわゆる厄日が真理に接近しているような気がしていた。
可愛い子は時に谷底へ突き落としてでも成長を促すのも親の務めだが、しかしあの子にもしものことがあるのは無論、親代わりとしては避けたいところ。
理道は女中を呼びつけると念のために、応援物資とあるモノの用意をするよう命じた。
何事もなければそれでよし。
もしあるのならその時は――――――
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