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 東京都の港区、その一角に大きな武家屋敷がある。

 典型的な和装建築の豪邸。天元家が住まいを構えるこの邸宅は江戸時代の末期から続くという代物で、建物の要所要所からは長い歴史を積み重ねてきたことが伺える。

 屋敷内を忙しなく、しかし静かに行き交う着物姿の女中やスーツを纏った家令。

 時折、聞こえてくる鹿威しの甲高い音色。

 丁寧に手入れをされた日本庭園の中庭を臨む天元家の屋敷の一角にて老人と少女が簡素な質問のやり取りをしていた。


「鬼が何のか、だって?」


「うん」


 片や周囲から未来の天元家の当主と目される西洋の血を引く金髪の少女、天元真理。

 対するは白く長い髭を伸ばした齢六十を超えようかという巌の如き精強な肉体からだをした老人。

 数多の偉業を打ち立てたことから生ける伝説と称された剛の者。天元家先代当主にしてフランスを発祥とするアメリカのとある一族から真理を引き取って保護者の役をになった人物、天元理道だった。

 現役時代には数々の怪異殺しを成し遂げ、現代に復活した太古の竜種をも討伐した稀代の傑物であり、現役を引退して十年以上経つが老境に至れども、その意気は未だ衰えを見せない。

 傷だらけの鍛え抜かれた肉体は齢六十を超える老人のそれとは思えぬほどに筋骨隆々としており、その姿は戦場の最前線に佇む戦人いくさにんさむらいのようだった。

 周囲の者たちからは彼の実力は今なお前線でも通用するとささやかれており、豪快な気風きっぷの良さも相俟あいまって彼を慕う者は多く、現役の復帰を望まれる声も少なくない。


「そうさなぁ……まぁ、わかりやすい特徴を上げるなら角があって怪力乱神である事、別の何かに変化へんげすること。あとは…まぁ…そこに存在していながらも認識できないモノ、といったところだなぁ」


「存在していながらも認識できない…? 透明化する能力を持っているの?」


「そういう個体がいるとも限らんが、そういう意味ではないさ。奴らはな、元々人間の認識に引っ掛かりづらいのさ」


 立派な顎髭あごひげを弄びながら朗々と続ける理道老人。


「鬼とはそもそも平安時代に作られた言葉で元は隠れると書いて『おん』と呼んだのだ」


「隠れる…?」


「そう。おんが訛って、おぬおぬが訛っておにとなったという説が有力でな。字から察っすれば『其処にいるのだが、しかし目で視認する事ができないモノ』ということになる。目に見えないのは…まぁ、しゃあないわなぁ。だって、隠れとるからのぅ?」


「……」


「身を隠した存在を認識するのは難しい。故に鬼は存在そのものがあやふやで曖昧なものとなる。存在が曖昧なモノが起こす現象は発生理由も曖昧模糊としたものとなり、奴らが起こす現象は如何なる道理で紡がれたものなのかを解析しづらくなってしまうんじゃ。結果、正体不明の存在がこちらには解析できない訳の分からん法則をってして、魔訶不思議な現象を引き起こす事となる。正体の知れぬ輩に理屈や理論が通じない行動を起こされてみろ? おっかないぞ~?」


 悪戯っ子もかくやと言わんばかりの小憎たらしい笑みを浮かべる老人を煙たげな表情で見やる真理。

 そんな彼女を見て老人は嬉しそうに呵々と笑う。


「だがな、逆に言えば正体さえ知ってしまえば大したことのないモノが殆どじゃよ。幽霊の正体見たり枯れ尾花といった具合にな。鬼に対する有効対策の一つは正体をキチンと把握することじゃ」


「正体を把握するって、どうやって? 向こうは正体不明が持ち味なんだから正体を認識することもできないんじゃ…」


 猫のように首を傾げる真理。

 それを愛でるように理道は楽し気に答える。


「なぁに。正体がわからないなら、わかるものに成って貰えばいいんじゃよ。具体的に言うと自ら理屈に嵌まってもらうんじゃよ。『自分はこういうものなんだ』と、奴ら自身に定義させてしまえばいいのじゃ。それだけで奴らが使う変化へんげの術も封じることができる。いくつか参考になりそうな文献が書庫にあったから、あとでワシも一緒に探そうぞ」


「…ありがとうございます、師父」


 朗らかな人懐っこい雰囲気を漂わせるこの老人を真理は嫌ってはいなかった。

 真理は基本的に人間嫌いの傾向にあるのだが、この老人とその妻である老女は嫌いではなかった。

 もっとも傍に居たいとはあまり思わないのだが。

 静かなモノを好む真理からすれば、彼はうるさい位に賑やかだったから。

 湯呑に注がれた温かいお茶をすすりながら老人はつらつらと穏やかに続ける。


「生きているのか死んでいるのか。実在しているのか非在しているのか。善いモノなのか悪いモノなのか。奴らはとことん正体が不明で、その本質を把握するのは難しい……。だがまぁ、それに囚われる事はないんじゃぞ? だって人間も大なり小なり訳分からんところ、あるしのぅ?」


「……」


 この老人のこういうところが油断ならない。

 ただの明るいばかりで考え無しに敵に向かって突貫する野蛮な猪武者のように見えて…その実、長い年月と経験によって裏打ちされた豊富な知識を持った賢者でもあるのだ。

 ふとした瞬間にこちらをハッとさせるような言葉を当たり前のように投げかけてくることがある。


「真理、お前さんには正体不明でも心底一緒に居たいと思える誰かはおるかの?」


「……」


 問いは簡潔に。しかしこちらの核心に迫る内容なもので、私は何も言えずに閉口せざる負えなくなる。


「今はまだ見つかっとらんか。まぁ、それも仕方ないかの? お前さん、基本的に臆病じゃし。目の前にいる誰かが本当は一緒に居たいと思える者だったとしても、その本質に気づけずに警戒心を剥き出しにして、ジッとしたまま何もせずに相手をやり過ごす事もしばしば…といったところではないか? んぅ?」


「……」


 なんだか責められているようで面白くない。だけど、何故か私はこの人の言葉から逃げ出したいとは思わなかった。


「真理、悪いことは言わん。その手の人間を見つけたのなら、決して離さない事じゃ。お前さんにとってそれはとても価値のある宝の一つとなるだろうからな。そういう手合いとつるんでいれば、お前の人生がまた一つ華やいだものとなるだろうさ」


「……うん」


 私の返事を聞くなりニッカリと笑いかけて、無遠慮に私の頭を撫で回す老人。

 ホント、普段は頭が悪い位バカなくせに妙なところで思慮深くなる。

 こういうところが人に好かれやすい理由なのかなと、ぼんやり考える。

 …しかしまったく、女性の髪に触れるのならもっと丁寧に触れてほしいものだ。

 女性の髪を労わる、なんて発想をこのガサツな人に求めることが間違いだと知っていても、そう思わずにはいられないが……文句は言わないでおく。

 その程度には少し乱暴で、心地よい撫で方だったから。


「まぁ、お前さんが男友達ボーイフレンドとか連れてきたらワシはそいつの家にクラスター爆弾を落っことしてやるからなぁ。愛する孫娘の貞操はお爺ちゃんたる、このグランパが必ず最期まで守護まもる! 否! ワシが守護まもらねばならぬ…!」


「そんな揉め事を起こしたら理世リゼ様に言いつけますよ」


「ヒドイ! 無慈悲な孫娘のしょっぱい対応にじぃじ泣いちゃう…!」


 典型的なジジバカを発揮した老境の偉丈夫を冷めた目で見やる真理。

 昨今の幼子でもここまで分かりやすく幼稚な言動をすることはまれだ、と簡潔に冷たい感想が頭をよぎる。


(―――爺バカの極みというか、やっぱりただのバカなのでは…? こんな人と連れ添うなんて、理世様も大変ね)


 今はアメリカに出払っている彼の妻たるしとやかな老女をおもんばかる。

 まぁ、あの淑女ヒトもあの淑女ヒトで人間としての器の出来栄えがおかしいのだが…。

 ……おかしいから、こういう可笑おかしな人と一緒にいられたのかな?

 春の暖かさに包まれながら桜の花を眺めつつ、そんな感想をぼうっと抱いた。





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