2-1

 そして、盛大に始業式で問題行動を起こした僕は今現在たっぷりと教育指導を担当している先生に絞られている。

 始業式の真っ最中に生徒の列をかき分けて大声をあげれば当然、問題行動となるわけで…。

 晴れて僕は学生生活の始まりを先生から陰湿さすら伴うお説教を喰らうという形でスタートを切る羽目になった。

 しかしながら先生の話は正直、僕の頭の中には入ってこなかった。右から左へブレーキも踏まずに回送されていく電車のように素通りしていく。

 僕の心はずっと、先ほどの事件にしか気を向けてはいなかったのだから。


『――――――貴方、誰ですか?』


 簡潔な…だからこそ分かりやす過ぎる程の他人宣言。

 その言葉を聞いた時、僕は自分の胃に巨大なドライアイスの塊を飲み下したかのような重く冷たい錯覚を識った。


 彼女は間違いなく、僕が十年前に出会った彼女の筈なのだ。

 その証拠に彼女は十年前に僕が送った宇宙硝子コズミックグラスを身に着けていた。

 あれは世界に一つだけのモノ。全く同じ材料を揃え、全く同じ工程を経ても、完全に同一の物を作るのは不可能だといわれている。

 見間違えてなどいないというのに。しかし、それでも彼女は僕のことを知らず、初対面だと言った。

 名前も当時、聞いたものとは違う響きで、名を天元真理というそうだ。

 彼女は高校に入学すると同時に日本に帰化したそうで、元々はアメリカの国籍を持っていたフランス系アメリカ人だそうだ。

 多くの情報が頭の中を駆け巡る。

 元々、頭が良い方ではないのだからよせばいいのに、それでも僕の頭脳は先程のやり取りから徹底的に貪る様に情報を解析しようと動いていた。


 ――――――彼女は十年前に僕と会っている。だけど知らないと主張している。


 ――――――彼女は僕が渡した宝石の首飾りを所持していた。


 ――――――彼女はフランス系アメリカ人で現在の国籍は日本。以前の国籍はアメリカ。


 様々な疑問が行ったり来たり、時には同じ場所をぐるぐると回ったり、立ち止まったりとせわしない。

 考えつく答えにはどれも自信が持てず、また答えを求めて煩悶しながら自問自答に没頭する。

 そんな悪循環を何度繰り返したかわからないけれど……それでも考え続けたいと、そう思ったんだ。


 自分でも少し、驚く。


 普段の僕なら始業式の最中にあんな非常識な行いをするなんて、在りえない。それでも僕はあのような行動へと至った。

 それはつまるところ、僕は彼女のことが気に掛かって仕方がなくて、ずっと彼女に首ったけだったという事だろう。

 どんなものにも強い執着心を持たないように生きてきた僕が今回のような行動を起こしてまで彼女に近づこうとしただなんて…存外、僕は僕自身のことを理解わかっていなかったのかもしれないな。


 窓から差し込む穏やかで温かな春の日差し。

 その日の光を、春の訪れを祝福する栄えある光と取っていいのかどうか、まだわからないけど。

 ひとまずはその温かさを堪能しながら、彼女を見つけた時の感動を胸の内で反芻はんすうする。

 そうして、僕の始業式は一端の終わりを迎えた。






 ◇






「ねぇ、どう思う?」


「んぁ? なにがだ? 今、通り過ぎた女の子は個人的には75点。スタイルはいいんだけど、顔がちょっと垢抜けてねぇ感があって芋いな。まぁ磨けばそれなりに化けそうなもんだけどよ」


「誰がアンタの女性評価を聞いたのよ。真也の事よ、バカ」


「ああ……それな」


 女漁りに勤しむ幼馴染バカに私は簡潔に問いを投げる。

 話題は先程の始業式の事についてだ。


「普段は大人しい真也がなんであんな行動に出たのか、私にはわからないのよ。普段は仏像みたいにまんじりともしないアイツが…」


 そう、真也カレは基本的に自分の意思ありきで行動を起こすたぐいの人間じゃない。

 他者の意思を立脚点にして物事を進めていく、良くも悪くも潔い精神性の持ち主。

 ワガママはあまり言ったことがないし、私事で誰かに迷惑をかけたことがこの十数年において、おそらく両手で数えられるかどうかといったところだ。

 絵に描いたような優等生。

 分かりやすい程の人柄の良さ。

 関わったところで薬にも毒にもならない無害な在り方。

 そんな大人しい人間が今回、盛大に問題を起こしたのだ。

 これを幼馴染として気にしないでいられるほど鈍感ではないし、薄情でもない。


「ねぇ、賢人。アンタの意見を聞かせてくれない? 私には思い当たる節が浮かんでこなくて……」


「んぅ~~~そうなぁ」


 上の空に漂う雲よりも緩やかに垂れ流される、やる気のない返事。


「真也の親御さんがまだ生きてた頃にあいつがフランスに行ってたことがあっただろ?」


「ああ…そういえば、そんなことも…」


「そん時にアイツがぞっこんベタ惚れしたフランス人の女の子、それがあの子なんじゃねぇの? おまえにとっての恋敵なんだから頭の悪さに定評のあるお前でも、ちゃ~んと覚えてんだろ?」


「こ、こ、ここ、恋、敵…ってあんたねぇ!」


 スチームポッドみたいに頭から煙を吹きだす勢いで顔を真っ赤にさせて、珍妙な動きをしながら恥じらう姿は乙女のそれに見えなくもないのだが…。長年の付き合いがある自分からすればいいところ、ポメラニアンが小躍りしているようにしか見えなかった。


 去年の学園ミスコンでトップ争いをした健気なスポーツ美少女として周囲に認知されている菩提菜ノ花。

 まぁ……身内目線を差し引いても、よく整った容姿の持ち主だとは思う。

 固く真っ直ぐな茶髪を太もものあたりにまで伸ばしており、両サイドに跳ねた髪型はなんだか犬の耳を彷彿とさせて生来の人懐っこさがにじみ出ているようだ。

 男女問わず誰に対しても屈託なく接して大抵の人間からは好感を持たれる程には明るく、ハツラツとした性格の持ち主。

 テンプレみたいなスポーツ系美少女を現役でやってるものだから、それなりにモテる。

 実際、去年は同学年の男子に告白された回数が二桁を越しているあたり、コイツの慕われっぷりがよくわかるというものだ。


 幼馴染である以上、他の男子連中よりもコイツと近い距離にいられる分、普段の日常生活においてコイツがいかにガサツなのかを学園の男子達に暴露してやりたいものだ。そうすればゴリラに恋するなんていう間抜けた愚行をしでかすバカはこの世からいなくなって、世の平和に貢献できるというものだろう。


 俺からすれば弄りやすいペットみたいなもんなんだが、コイツも曲がりなりにも乙女の端くれ、恋に身を燃やすお年頃だった。

 普段からそれなりに世話にはなってるし、コイツの恋路を応援してやりたいという気持ちもなくはない。

 しかし……


「あの人…すごくキレイだったよね」


 そう、相手が些か以上に強敵すぎる。

 あれはちょっとやそっとじゃ太刀打ちできない相手だと思う。なんだよ、あのとんでもない美形っぷりは?

 将来はハリウッドスターになる予定の女優の卵なんですと言われたら、なんの疑いもなく首肯できる程の美貌だった。

 件の少女は女性として完璧な形をしていた。

 髪を短くして男装させれば男子としても認識される程に端正な容姿。造りに隙が無さ過ぎる人体。

 あれは女として優れているというよりも、人間として優れていると評言した方が適切かもしれない。

 そんなヤツを相手取って恋の大立ち回りをしようという気が起きるのかどうか、大抵の者はここで挫けても不思議ではないだろう。

 しかし、コイツは――――――


「よし! 燃えてきたぞォ!!」


 と、まぁ。分かりやす過ぎるほどに熱血スポ根の持ち主なので意気消沈するどころか意気軒昂といった風情である。

 ここでヘタレずに真っ向から立ち向かっていく辺りは素直に感心する。


「ワタシやるわよ、賢人! 今年こそあのバカを私の虜にして、長年アイツに味わされた屈辱を……溜まりに溜まった憂さを晴らてやるんだからぁ!!!」


「健全に不健全な発言、高らかにかましてんなぁ。まぁ……お前らしくていいけどよ」


 そんな風に、あでやかな桜吹雪を木っ端微塵に吹き飛ばすような烈迫の気炎を滾らせて、命短し恋する乙女は己が道に邁進まいしんすることを改めて誓うのであった。


「ところで私の頭が悪いのは確かだけど…あんたに言われると、この上なく腹立つわね」


「悔しければ俺に中学一年生の頃の勉強を教えてもらうなんていう情けない実情からさっさと卒業するこったな」

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