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 お決まりの事だけど、校長先生の長くありがたい話で生徒達の大半は良い塩梅に眠気を誘われていた。

 中には熟睡している者も見受けられる。うん、まぁ、賢人なんだけどね……。

 立ちながら眠るだなんて、アイツは本当に器用だなぁ……僕にも、あれくらいなんでも器用にこなせる才覚があれば、普段から何も考えずにあんな風に明るく振舞えることができるのだろうか?


 アイツはいつでも嗤っている。

 それ以外の表情を知らないと云わんばかりにどんな時でも飄々とした笑顔を崩さない。

 自分の人生に起きた出来事イベントにも、他人の人生に起きた出来事イベントにも、アイツは常に全身全霊、全力全開で楽しもうとする。

 いつだったか、賢人が何気なく口にした言葉を思い出す。


『生きている実感が伴わないまま生きていたって、しゃあねぇだろ? 刺激があるから人生には楽しみが生じるんだし、楽しいと思えるから人として生きていこうと思える。もし、自分の人生から楽しさを排除して退屈ばかりが敷き詰められた人生を自ら望んで生きている奴がいるとすれば、そいつはきっと人として生きていくことから逃げ出して、人としての道理を踏み外した一種の人外さね』


 ――――――人ではないモノ。

 ――――――人でなし。


 人間、生まれてきたのなら子供の時代…即ち、餓鬼の時分というものを必ず経験する筈だ。


 餓鬼。読んで字の如く、飢えた鬼と書く。

 自分よりも成熟した大人にあれをして欲しい、これをして欲しいと、己が心に抱えた飢えを満たすためにワガママを垂れ流す。

 年端のいかない子供ならばそれも許されることだろう。

 いくら現代の日本が生物が生存しやすい国だからといったところで、なんの後ろ盾もない幼子が一人で生きていくには現実的にも人心的にも厳しすぎるというものだ。


 端的に言って子供は生命体として未熟である以上、どうしたって自分が生きるための糧を独力だけで賄おうとすることに無理がある。だから、人間としてより優秀な誰かである大人に力添えをしてもらって、少しずつ自分の力を蓄えながら日々を生きていくしかないだろう。

 少なくとも現代の日本社会ではそれが当たり前の物事の一つだという僕の認識に間違いはないはずだ。


 しかし、情けないかな。現代にも大人の皮を被った餓鬼という目も当てられぬ無様さを体現した大人というものは相応の数がいるというのが無情な現実の一つだ。

 それはなんだか、悲しいなと思えた。

 人として生まれておきながら人として生きていくことができなかったモノ。

 人間性を放棄して、捨ててしまったモノ。

 そんな不出来な在り方をしている者がいたとしたら、僕はきっと憐れまずにはいられないだろう。


 そういった哀れなモノにならないためにも僕達はより良い明日を目指して切磋琢磨しながら日々を生きていくべきなんだ。

 情けない姿を晒しては先達にも後達にも示しがつかない。

 そんな生き様は、他人はもとより自分自身にも胸を張れないものだから。


(ここでも僕たちは、上手くやっていけるのかな?)


 ……ううん。できる、できないなどきっと些事だ。やると決めたのだから、やるんだ。

 こいねがった現実の在り方が目の前に顕れるその時まで、努力と研鑽を積み重ねれば良いだけ。

 今までも僕はみんなと一緒に自分の願いを叶えてこれた。

 なら、これからだってきっと大丈夫。賢人が言ってた通り、前と上を向いた考え方をしていこう。

 そんな風に一人静かに意気を昂らせて決意を抱き心機一転をしてみたものの、やはり校長先生の話は長く退屈に過ぎるものだった。

 手持ち無沙汰の僕はふと、周りに目を向けてみる。


 一人は校長先生の話を真摯に受け止め今後の学生生活の良き糧にしようとしていたり。

 一人は睡魔に負けたのか完全に夢の世界に旅立っていたり。

 またある一人は興味関心を全く持ってないといわんばかりに冷めた瞳をした豪奢な金髪の……


 ――――――――――――――――――金髪?


(……あれ?)


 その姿に目が離せなくなった。


 だって、僕は知っている。


 十年前のあの日。昔日の思い出。

 フランスという遠い、遠い、愛の国。

 そこで出会った、一人の女の子。

 炎に燃え盛る黄金を熟練の職人が一本づつ丁寧につむいで作ったかのような豪奢に輝く金髪。

 どれほど純白さを誇る真珠でも太刀打ちできないくらい、キレイに透き通った乳白色の肌。

 以前、ネットで見た外国のとある博物館に飾られている世界一美しいと評された黄金律の彫像にも負けない程の美麗な顔立ち。


 十年の歳月をかけて遠くへと過ぎ去っていったとうと記憶おもいでよみがえっていく。


 心がざわめいて止まらない。

 理性で抑えきれない情動が巻き起こる。

 なんて理不尽で不条理なのだろう。嵐の海の様……そんな形容すら僕の今の心情をたとえるには心もとない。それ程までに僕の精神こころは僕の肉体からだを情動の赴くままに動かすため、猛威を振るっていたんだ。


 そうして、僕はいても立ってもいられなくなって……気づいたら駆け出していた。

 同級生の人の波をかき分けて、一直線に彼女へと近づいていく。

 誰かの制止の声が聞こえた気がしたけど、今は彼女のことで頭がいっぱいで全く耳に入ってこなかった。

 だって、ずっと気に掛かっていたんだ。

 あの日、夕暮れを背中に別れてから一度も会うことができなかった彼女。

 子供の時分に出会った小さな女神。

 この十年間で様々な体験をして思い出を積み重ねてきて、

 時には全て背負ったままでは人の世を渡り歩くには重すぎたものだから、少し置き去りにしたりもしたけれど。

 それでも僕はあの日の思い出だけは絶対に手放さなかった。


 君のことを想い続けるのだと、かつて自分と世界に誓った。


 忘れない、忘れるモノか。

 誰に頼まれたって、手放したりするもんか。


 君を忘れない。


 君を離さない。


 手を伸ばせば掴める距離までやってきて、

 僕は彼女の手をとって、大きな声で、あらん限りの力を込めて彼女の名を口にした――――――。


「マリー!!!」


 手を掴まれた彼女は驚いてこちらを見やる。

 それは、一つのモノを見つめ、捉え、離さない凛然とした鋭い眼差しで、

 昔の彼女の印象とは大分違ったけれど……それでも彼女はやっぱり十年前の、あの女の子だった。


 僕らの周りの時間だけが止まってしまったかのように、静寂に包まれる。

 澄みきった想いだけが存在する永遠の園。

 誰も立ち入ることは叶わず、何も入り込むことができない時間の中で、再会した彼女が口にした言葉は――――――


「――――――貴方、誰ですか?」


 彼女の蒼い瞳と同じ色を帯びた、冷たい言葉だった。

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