第二章 始まりの邂逅~Nothing Mind Nothing Sence~
1-1
一体、何時からだろう――――――?
私が何もかも感じられなくなったのは?
一体、何時からだろう――――――?
私が何もかも感じるようになったのは?
答えは不明であると同時に明瞭で、
私は自らの世界を――――――開いた/閉ざした。
あの人と逢うために。
あの人と別れるために。
転輪と流転を繰り返し、巡り巡って宇宙を廻って。
何度、
何度、
答えはわからないまま、そうして私は、また新しい旅に出る。
次はどんな美しい景色を見るのだろう――――――。
次はどんな醜い景色を見るのだろう――――――。
そんな希望と絶望の詰まった想いを胸に、私はまた世界を――――――開いていった/閉ざしていった。
◇
懐かしい
遠い昔――――――十年前のあの日、僕は運命と出会った。
両親がまだ生きていた頃、僕はフランスという国に家族で旅行に来ていた。
西洋世界の中でも華やいだ
様々な観光地を巡って、僕たちは色んな場所を訪ねた。
絵本で読んだおとぎ話の妖精が出てきそうなレンガの家が立ち並ぶアルザス。
バラ色の砂や岩があることで有名なビーチリゾートが点在するブルターニュ。
フランス第二の都市マルセイユがあるパカの愛称で知られるプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール。
北から南へ。東から西へ。
フランスの
花の都、芸術の都、愛の都と様々な二つ名を持つこの都市で父親の弟である叔父さんと合流して最後に派手に楽しんで家族旅行の締めとする予定だったのだ。
旅行の最後の日、両親が夫婦水入らずでデートをするために叔父さんに一日、見守られながら過ごす事となった。
両親と離れ離れになるのは少し寂しかったけど…二人が仲良くしているのも両親と一緒に過ごすのと同じ位、好きだった僕にとってそれは一向に構わない展開だった。
研究者の叔父さんは子供の相手をするのは不得意だとぶっきらぼうに言って、公園に備え付けられたベンチでだらりと休み始めた。
こうして見ると本当に叔父さんは研究者っぽくないというか、不良みたいだなぁと思う。
日本人なのに髪の毛が派手な色の赤毛だし。口も悪いし。
一人遊びが苦手というわけではないけど、だからと言って一人で遊ぶことを特に好むわけでもなし。
周囲には僕と同じ年頃の子供がたくさんいたので、その子たちと遊ぶことにした。
言葉は通じなくてもある程度、身振り手振りで意思疎通は図れたので一緒に遊ぶのに不便と感じることはあまりなかった。
一、二時間ほど、遊び続けて疲れた僕は少し休憩をとるために一旦、叔父さんの元まで戻った。
叔父さんが背負ってきたリュックの中にはお弁当のサンドイッチと冷たい紅茶が入った水筒があった。
乾いた喉によく冷えた紅茶を流し込んで喉を潤す。
一息ついて改めて周囲の風景を見回す。
春先の陽気に照らされた鮮やかな花畑。
フランスという国が持つ華やかな雰囲気と
充ち足りた心。幸福の敷き詰められた日常。終わることのない夢のカタチ。
何の根拠も無いくせに、僕はこの時、それらが永遠に続くのだと確信していた。
飲み終わった水筒をリュックの中に戻して、新たにできた友人達とまた遊ぼうと振り返った時、
――――――彼女が、そこにいた。
「え?」
驚きは一瞬。
つい数秒前まで、誰もいなかった花畑の前に一人の少女が立っていた。
茫洋と、しかし確かな存在感を伴って少女はまるで最初からそこにいたのだと思えるくらい自然と景色に溶け込んでいた。
炎に燃え盛る黄金を熟練の職人が一本づつ丁寧に
どれほど純白さを誇る真珠でも太刀打ちできないくらい、キレイに透き通った乳白色の肌。
以前、ネットで見た外国のとある博物館に飾られている世界一美しいと評された黄金律の彫像にも負けない程の美麗な顔立ち。
何かに悩んでいるような、憂いを帯びた表情をしながら彼女は花畑の中に茫洋と立っていた。
その
なんだか放っておけないというか、何が何でも彼女の曇った表情を晴らしてあげたいというか…。
とにかく、そんな気持ちがない混ぜになった衝動に駆られて僕は彼女もとに駆け寄った。
「一緒に遊ぼう?」
と、声をかけてみた。
フランス語が話せない僕は、もちろん日本語で言ったものだから彼女にはうまく伝わらないかもしれない。
ゆっくりと振り返った彼女の顔を見て息を呑みそうになる。
こちらを見やる彼女の瞳には人間らしさというものが希薄で、まるでその瞳は硝子≪ガラス≫のようだと思えた。
「えっと……僕の名前は
自分を指差しながら名前を教える。彼女もそれにつられて僕を指を差す。
「Sei…jo……Si…n…ya…?」
たどたどしく僕の名前を繰り返す。
彼女が何度も僕の名前を呼ぶたびに僕はコクコクと頷いた。
そうして、そんなやり取りを何度か繰り返す内に彼女は僕の名前を憶えてくれたらしい。
「シンヤ……」
小さく、確かな声で僕の名前を呼んでくれた。
そうして今度は彼女が自分を指差して名前を教えてくれた。
「マリー……」
そうしたら今度は僕の番だ。
自分の中枢に彼女の存在を刻み付けるためにもハッキリと僕は言葉にした。
「マリー。可愛い名前だね!」
これまた日本語だからきっと…いや、絶対通じてないんだろうなぁ。
でもフランス語を話せない僕としてはそれでも言葉を尽くさなければならないわけで。
「それじゃあさ、マリー? 一緒に遊ぼうよ!」
僕が何を伝えたいのか理解したのか、彼女はコクリと頷いた。
それは人の形をした機械が首を傾けるかのような、精密過ぎる仕草で僕は一瞬だけ彼女が本当に人形なのだと思ってしまった。
一人の人間を人形だなんて…そんな失礼な事を考えてしまったのが申し訳なくなって、
僕は彼女と精一杯楽しい時間を過ごせるように頑張ろうと心に決めた。
とはいえ、当時の僕はまだ十歳の子供だったから大した趣向を凝らした遊びを用意してあげられなくて…何でもない、ありきたりの遊びに誘うしかできなかった。
かけっこ、かくれんぼ、鬼ごっこ。
彼女は果たして楽しんでくれるだろうかと少し不安ではあったけど。
拙い遊戯を彼女は可愛らしい笑みを浮かべながら、とてもとても楽しそうにしていた。
花畑に咲く花達よりもずっとキレイで可愛い笑顔。
その笑顔を見ただけで僕は十分幸せだと思えた。
この笑顔を見ているだけで僕はこの先、幸せに生きていけるんだと、そう確信できる程に。
でも、気掛かりな事もあった。
彼女の雰囲気はまるでこれが最後なのだと云わんばかりのもので・・・もう二度と体験できないからこそ、今この瞬間を精一杯、謳歌しておこうという様子にも見えた。
それが何だか、悲しくて。
僕は彼女と全身全霊で遊び続けると、そう決めた。
楽しい時間が過ぎ去るのは本当にあっという間で。
気が付けば空の色は茜色に染まっていた。
夜の気配が近づいてきて、遠い地平線に太陽が沈み、月が空に昇り始めた頃に彼女の両親が迎えに来た。
楽しげに、華やいだ空気を纏っていた彼女の表情は元の人形じみた表情へと変わっていってしまった。
それを見て、僕も悟ってしまう。この楽しい時間も、もうおしまいなんだと……。
叔父さんとご両親が挨拶をして軽く話をした後に、彼女のご両親が彼女の手を引いて乗ってきた車へと連れて行く。
彼女の両親が乗ってきた黒くて長い車は、まるで大きな蛇のようにも竜のようにも思えてしまって…。…
その車に乗せられようとしていた彼女が蛇のお腹の中に飲み込まれて、もう戻ってこないように見えてしまった。
それが怖くなった僕は彼女の手を強く握って僕の後ろに下がらせた。
僕は男の子だ。だから女の子を守るのは当たり前なんだと、そう思っての行動だった。
相手は彼女の両親なのだから守るも何もあったものではないけれど・・・。
それでも僕はこれが我儘と分かっていても、もう少しだけ彼女と一緒にいたいと思ったんだ。
でも、子供の我儘がいつまでも通るわけもなく・・・叔父さんからぶっきらぼうに、しかしキチンと筋道の通った言葉で諭されて、僕は渋々彼女の手を離した。
名残は尽きず、一緒にいたいという気持ちは溢れてくるばかりで止められず、
この楽しい一時を僕は忘れたくなくて、彼女にも忘れてほしくなくて・・・。
なにか良いモノはないかと思って僕は周りを見回した。
ソレを見るだけで今日の思い出に
ひとしきり周囲を見回して、何も見つけられなかった僕は胸にぶら下がるモノを見て心当たりに行き着いた。
永遠に続くような広大な宇宙空間。そこに広がる星雲や銀河、無数の星。そしてその中に浮かぶ美しい惑星。まるでそれは、ガラスに閉じ込めた、小さくて壮大な
ガラス工芸で有名なコートダジュールの街ビオットで作った
様々な鉱石やガラス、金属などを組み合わせて作ったこの芸術品は同じものを作ることができない、一つ一つが
この時間を掛け替えのない、唯一無二のモノだと思えた僕が彼女に渡すにはピッタリの物だと思えた。
首にかけていたソレを彼女に手渡す。
彼女は渡されたものを見て、初めはそれが何を意図するものなのか分からなかったようで、ポカンとしていた。
父親に尋ねて、少しだけフランス語を教えてもらう。
「
たどたどしい、拙いフランス語で精一杯。
「
ありったけの気持ちを込めて彼女に伝える。
「
君を忘れない。
君を離さない。
君のことを――――――ずっと、何があっても、
「
「――――――――――――!」
想い続けるのだと、自分と世界に誓った。
人形のような表情に再び人間らしい熱が
瞳には少しだけ涙を浮かべて、大事そうに僕が渡した
花が咲くような、宝石のような煌びやかな笑顔を向けてくれた。
―――うん、やっぱりいいなぁ。
人形みたいな在り方も
初めて会った時から気になって仕方なかった女の子。
まだ子供の僕にはこの気持ちをなんて言い表せばいいのか分からないけど…。
でも、これが悪いモノである筈が無いと確信していた。
そうして、短くも鮮烈な逢瀬は終わりを告げた―――。
彼女はご両親と一緒に車に乗って帰路へ着いた。
後で叔父さんから教えて貰ったんだけど、あの車はリムジンという車だったらしい。
曰く、お金持ちしか所持できないような車だとかなんとか。
彼女のことについて話している時の叔父さんは戦々恐々としていたというか、何かを怖れているかの様でもあって、当時の僕はそれが少し気になったけど。
兎にも角にも、僕の初めての海外旅行はこうして幕を下ろした。
返ってきた僕の両親にその日のことを話すのは本当に楽しかったし、両親もそんな僕を見てずっと朗らかに笑ってくれていた。
美麗で色鮮やかな思い出を胸に抱きしめて、僕は故郷の日本へと戻った。
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