3-2
「やれやれ、普段の少年の精神は地蔵のようにまんじりともしないというのに、気に懸かる相手が絡むとなると、途端に活発になるな…」
今回の件でもう自分のやることはないと判断したのだろう。その姿勢には気負いというものが無く、極々自然な風体だった。
「さぁて、今回の件はこれで片付いてみたいだし、昨日は少年の捜索で時間が潰れたからねぇ…そろそろYoutubeに私の実験動画をあげなきゃいけない頃合いだな♪」
そうしてウキウキしながらパソコンの画面とにらめっこを始めた灰里。
この女はこれでも世界的な科学の権威の一人であるらしく、ローマにて開かれている科学アカデミーにも招待された事があるらしい。
そんな偉人が今は楽しげに自分の科学実験の過程と成果を収録した動画をネットを通じて放映している。
これは、中々に
「灰里…貴女はもう今回の件については完全に触れないでいるつもり?」
「んぁ? うぅ~~ん…そうだなぁ…。まぁ、個人的に気になることが幾つかあるからそれを片付けたら私は完全に撤退の姿勢をとるね。少なくとも今回の件で少年に無償で手を貸す気にはもうならないと思うぞ?」
「そう…」
短く応じる真理の声には特別な感情と呼べるものが何も籠もっていない。どうやら真理も今回の件にはもう興味がないようだ。
「しっかし、今回の相手はなんていうか、動機が所在不明というか…なんだか無軌道なところがあったなぁ」
「……と、いうと?」
カリカリと煙管を口で
「今回の事件の主犯であるオルガフィヨス=ローエングリーンは何故あんな行動を起こしたのなぁとそうは思わないか? だってそうだろう? 端的に言ってリスクとメリットが釣り合っていない。今回の件がもし世間に露呈してみろ? それだけでローエングリーンのお家はてんやわんやの大騒ぎになる。最悪、家も企業も潰れていたかもしれないんだぞ? なのに彼女は今回の蛮行に及んだ。昨日、オルガフィヨスの人柄を出来る範囲で探ってみたんだが…かつて彼女に護衛の依頼をした事のある者達からの彼女の評価を聞いてみると、結果は気品のある良識を重んじる堅い人物というのが一致していてな。子供や老人といった弱者には特に礼節を重んじた姿勢で接し、依頼者の身辺の安全だけでなく精神面での安全も護ろうとする。端的に言って
「理由…か…」
確かに、あのオルガフィヨスという女の本質は善人のそれだった。
最後は外法のようなものに手を出していたがアイツは本来そういった行いを忌み嫌う…いわば潔癖症の節があるのは奴の
端的に言ってオルガフィヨスは公的な大義名分も無く他者を害することに喜びを見出すタイプではない。加えて仕事に対しては忠実にストイックに臨むという姿勢の持ち主ときている。
これだけで彼女が相当な堅物ということが分かるし、そんな女性があれ程の凶行に奔るには基也への恋慕だけでは些か以上に理由が弱い。
――――――だとすれば、どんな理由がそこにある?
自分の心が安らげる人と場所。
そういったものにも人は希少さを見出すものだし…オルガフィヨスは基也を自分の心身を癒すための拠り所にしようとしていた。
これが今回の事件を起こすきっかけとしては妥当なものだとは思うのだが、それでもまだ理由としては弱い気がする。
人間が行動を起こす理由が一つきりとは限らない。
たとえこの予測が当たっていたとしても、それは沢山ある動機の一つに過ぎないのだ。
私がそうである様に、何処の誰とも知れない
これ以上、思案に暮れても泥沼に嵌まることが容易に予見できたので手早く思考をカットする。
どうせ私はもう、あの女に興味はない。
どこで、どうなろうが私達に害が及ばないなら先にも言った通り放っておくだけだ。
「なぁ、カイリ」
「ん? なんだ、真理?」
「貴女は自分が恋しい相手が誰かに
「
「なるほどね。執りは徹底して、か…」
「あぁ。私は自他共に認める執念深い
些か偏執的な要素を孕んではいるものの…コイツらしい対応だな、と納得した。
自分も似たようなもので、私は自分以外の誰かに
「これから先、ローエングリーンの家は忙しく立ち回る羽目になるだろうな。なにせ一番の稼ぎ頭が行方知れずと来たのだから。あの企業には他にも優秀な人材はいなくも無いみたいだが、それでもオルガフィヨスが抜けた事によって生じた穴は大きいだろう。下手をすれば会社がどんどん下に向かって落ちていくぞ?」
「どうでもいい…
これ以上ココにいてもやることはない。
何の考えも持たずに無謀に飛び出して行った基也を連れて、家に帰ろう。
羽織を手に取り、出入り口へ向かう。
ドアに手をかけた時、カイリから何気なく質問を投げかけられた。
「なぁ、真理。もしもこの先、行方不明になったオルガフィヨスが行く場所があるとしたらお前はどんな所を予想する?」
それに対し、私は率直に感じた思いを答える。
「――――――あいつが落ちて行く先なんて、空に決まってる」
そうして今回の事件を締め括る様に、私はドアを閉じた。
それを最後まで静かに見守った辰巳灰里は感慨深げに目を細めた。
「……なるほど。確かにそうだな。オルガフィヨス=ローエングリーンは自分が
自分とは縁の無い領域にあるモノ。
どれだけ焦がれても届かず、触れられないモノ。
人生の大半を命の危険が伴う時間を過ごしてきたであろうオルガフィヨスにとって聖条基也のような平穏をもたらす人種と一緒に生きていけたなら、それはきっと幸福な事なのだろう。
たとえ、
それでも、挑まずにはいられなかった。
勝ち目の薄い、あるいは皆無の勝負に挑む。それに対する所感を多くの者に問いかけたのなら『やる価値なんて無い、空しいばかりだ』と返ってくることだろう。
だが彼女にとってはそれでも命懸けで挑むだけの価値があったという、これは
「――――――空虚さに
そうして、灰里の思考からも今回の事件に対する興味は薄れていった。
彼女が咥える
しかし、その煙はいつまでも空中に漂い、残留し続けていた。
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