3-1
率直に思い描けたイメージは渡り鳥。
空を自由に、自分にとっての理想的な環境へ向かって、早さも高さも気ままに選びながら飛翔していく。
そこに、一匹のアヒルが自分についていこうと必死に羽ばたきながら地面と水面を
時折、体が浮いて空に届くこともあったけど、すぐに高度は落ちてしまって、また地面を走ることになった。
墜落と飛翔を何度か繰り返して・・・いつしか、そのアヒルは力尽きてしまった。
無理をせず地上と水上で過ごしていればもっと長く生きられた筈なのに自分の在り方があの子をあんなにも追い詰めてしまった・・・・・・。
そんなあの子ともう少し一緒に居てあげたかったけど、それも無理な相談だ。
自分の領域はあくまで空だ。
それを知っていた自分は地に足を着けるということも知らず、空の中を当たり前のように在り続けるしかなかった。
◇
目を覚まして一番最初に視界に入ったのは天井に設置されたシーリングファン。
次いで、真理と灰里さんの姿。
耳に入ってきた会話の内容は物騒なものだった。
「ほう? では、そのオルガフィヨスとやらを殺さなかったのか?」
「殺す意味がない。あれは放っといても大した害にはならないわ。向かってくるなら、また相手をするけど」
「何かを滅ぼすことに執心するお前が獲物を逃がすだなんて、珍しいこともあるもんだ…ん?」
僕が起きた事に気づいたのか、灰里さんと真理がこちらを見やる。
灰里さんは微笑を浮かべ、真理は静かに怒気を放ちながらズカズカとこちらにやってくる。
……マズイ。
「真也? なにか言うことは?」
「あぁ…えぇっと…」
実にまずい、真理は相当機嫌が悪いらしい。目の奥に宿る光は鋭くギラついていて、美人の凄みを更に増加させている。
端的に言って、すごく、コワイ。
「その……ごめん、真理。心配かけちゃって…だから、その……」
「だから、何?」
最後の言葉にかなり力を篭めている。これは不用意な発言をすればとんでもない痛打を喰らうことになると、そう直感した僕は覚悟を決めて彼女の瞳をまっすぐに見ながら、ありったけの勇気と共に胸に描いた言葉を口にした。
「目一杯、怒っていい。殴る蹴るも罵詈雑言を吐くも君の気がすむまで、全部受け止めるから」
「……」
心から彼女の全てを受け止めるという言葉を口にする。
そんな僕を彼女は呆気にとられた表情で見つめている。
それはネコが予想外の出来事に出くわしたような表情によく似ていて……。
丸い目を大きく見開く彼女を不謹慎ながら可愛いと思ってしまった。
ホント、いつもは憂鬱そうに無愛想を浮かべて憮然としている事が多いのに、時たまこういう女の子らしい可愛気を見せてくれる。
そういうところが愛らしいと思う。
「……もういい! 白けた!」
ぷい、と顔を背けて隣に座る。
そんな僕たちを見て灰里さんはクック…と意地の悪い笑顔を浮かべながら僕たちを見守っていた。
今回もまた、自分は彼女たちにいらぬ迷惑をかけてしまった…。いつか何かの形でお礼を返したいと…当たり前のように、そう思った。
◇
「あの、灰里さん」
「ん?」
「彼女は……オルガフィヨスはどうなったんですか?」
横にいる真理が少し不機嫌になったのを感じたけど、今は見て見ぬフリをする。
彼女の心境も汲み取ってあげたいが……僕にも僕の事情がある。
件の犯人にして僕の知人。オルガフィヨス=ローエングリーンのその後が僕は気がかりでならなかった。
「何だ少年。あれだけ手酷い目にあっておきながら、まだ彼女の事を気に懸けているのか?」
「それは…確かに、酷い目に合わされましたけど……」
どこか非難めいた灰里さんの言葉に尻すぼみになりそうになったけど、それでも彼女の
今回の彼女の行いは法に照らし合わせれば間違いなく罪の伴う行いだ。
だが、だからといってそれで彼女を憎むことにはならない。
今回の件、彼女の行いは許されないものだけど、それでなんの容赦も無く切り捨てるというのはあまりにも人間味にかけると思うのだ。
「できれば彼女のその後が知りたいんです。当事者としてもそうですけど、なにより僕はまだ彼女の抱えた問題を解決しきれていない」
「オルガフィヨスの抱えた問題?」
「そういえば真也、なんでお前はアイツと関わったんだ? アイツ、欧州の騎士家系なんだろ? 普通は接点がなさそうなんだけど」
彼女たちの疑問も
真理の言うとおり、この国で普通に生きていればまず基本的に外国人と接点を持つなんてことは滅多に無いだろうし、そこについては同感だ。
だが、それでも僕と彼女は関わりを持つに到った。
運命的な、なんてそんな
「僕と彼女が知り合ったのは些細なきっかけでした。カフェテラスで意気消沈している彼女が気になって……それで、なにか自分に出来ることがあるならと思って声をかけたのが始まりです」
「その時点で少年のお人好しぶりが異常な領域にあるとツッコミたいのだが……」
「同感」
流れるように冷たい言葉を口にする二人の美人。
困っている人に手を差し伸べるのは人として当たり前の行動だというのに……なんて冷たい人達なんだろう。
「…続けます。それで彼女と話してみたら、イギリス名門家系の出身で家が没落の危機にあるのを防ぐため、仕事で日本に渡ってきたそうです」
そう。あの時のオルガフィヨスは依頼者から請け負った仕事をこなすために遥々イギリスからやってきた直後のことだったそうだ。だが、使用していたスマートフォンが故障してしまい、ナビを使って宿泊するホテルに向かおうにも道が解らずカフェテラスで溜め息をついていた彼女に自分が声をかけて、道案内をしたというわけだ。
「最初は道案内をして、それでおしまい。そのままお別れだと思っていたんですけど。なんだか話をしているうちに気が合ったもので、その後しばらく彼女と連絡を取り合う事になりました。時折、彼女の仕事に必要な物資の調達とかも手伝ったりして……」
「なるほど。ここ最近、真也少年が妙に忙しそうに秋葉原へ走っていったり、星宮にトランシーバーの制作方法を聞いていたりしたのはそういう
オルガフィヨスの家は数百年ほど前から要人の警護者や優秀な軍人を輩出している軍閥の娘であり、今回、日本に訪れたのも要人の警護があったからだそうな。
「彼女の仕事は一言で言えばSPのようなものです。でも、故郷である欧州域ならともかく初めての東洋圏、日本ということで勝手がわからず戸惑いもあったそうでして。身内の人間も日本には一人もいなかったそうですし」
「物資の調達って言ってたけど、具体的に何を仕入れていたんだ?」
「彼女は日本の市場の情報に特別明るいわけじゃなかったから、パソコンをはじめとした仕事で使う電子機器の調達をね」
「それで少年が彼女のエスコート役を買って出たと。色男だねぇ~?」
からかってくる灰里さんの
「部品の調達のために秋葉原を巡ったりしまして……そうして、彼女の要人警護の仕事が終わって彼女が帰国することになった数日前に彼女から連絡があったんです。『
そうして自分は待ち合わせの場所に向かい、彼女の話を聞こうとした……。
後の展開は二人にはもう話さずともわかるだろう。
自分は捕らえられ、倉庫の中に拉致監禁。真理が助け出してくれて今に至るという流れだ。
「薬を打たれ、手錠をかけられ、それをなんとかしようとひとしきり暴れて、疲れきった末に意識を落としたんですけど……その後のことは僕よりも二人の方が詳しいかと」
「そうだな、真也少年は話を嗅ぎつけた賢人少年達に救出され、今朝方ここに担ぎ込まれた。そして今に至る、と」
「……ちょっと待ってください。賢人が僕を助けたんですか?」
「ああ、アイツは部下から情報を仕入れてお前を探し出したんだ。裏の世界に関する情報探索能力はそろそろ素人の域を超えはじめてる。ホームレスにも協力してもらってるって言ってた」
「アイツはシャーロック=ホームズか……」
元々、アイツは頭が良くて名前の通り賢い奴だから、この手の事件を頭脳労働で解決するのは性にあっているのかもしれないな。
「僕の中ではこの事件の解決はまだ終わってはいません。少なくともオルガフィヨスの今後の安否が確認できるまでは」
「アイツの安否って…なんだ真也、それはつまりお前はオルガフィヨスの今後の面倒も見てやるってことなの?」
「全部ってわけにはいかないけど…そりゃあ、酷い目にはあったけど、だからってそれだけで縁を切るっていうのは、ちょっと……」
「……」
非難めいた真理の視線が本当に痛い。そういえば、視線で人を殺すという言葉があったことを思い出させられた。
「まぁまぁ、落ち着け二人共。オルガフィヨスのその後なら、私がもう知っている。真也少年もそれが分かれば文句はあるまい? それで今回の
真理が癇癪を起こして場の空気が乱れるのを
彼女の言うとおり、オルガフィヨスの安否がわかったのなら僕はそれでいい。
灰里さんの情報入手の優秀さは僕が知る人たちの中でも指折りだ。そんな彼女が提供してくれる情報なら僕も信を置くことに全く異論なんてない。灰里さんの雰囲気から察するにオルガフィヨスは無事のようだし。
生きているのなら、きっとまた会えるのだ。オルガフィヨスに何があったのかは、その時に聞けばいい。
そうして灰里さんの言葉に期待を抱いた僕は、しかし――――――
「よし、では簡潔に言うとだ、少年。――――――オルガフィヨスは行方知れず。その後の安否は全く以って不明だ」
「…………は?」
一気に氷海に叩き落されたかのような絶望感を味わうこととなった。
臓腑が底冷えして機能不全に陥ったかのようで、今にも胃の中のものを戻してしまいそうな吐き気に見舞われた。
「あの…灰里さん、それって……」
「言葉の通りだ。オルガフィヨス=ローエングリーンは真理との戦闘の後、行方不明なんだ。私の情報網を使って探りを入れたが今のところ何の進展も無い」
「そんな…それじゃあ生きているかどうかも分からないってことじゃないですか……!」
ヒト一人が生死も行方も分からないなんて、そんな重大な事態をサラリと冷静に言ってのけるこの人の冷たさは本当に慣れない。
僕は
「おいおい、少年。どこに行こうというんだ」
「決まってます、オルガフィヨスを探すんです! 彼女の安否が分からないまま、中途半端に終われと!!?」
「その通りだが? それに何の問題が?」
「灰里さん……!」
「少年、考えてもみろ…私たちがこれ以上オルガフィヨスとやらの為にあれこれ世話を焼く動機があるとでも? 少なくとも私と真理には無いと思うぞ。それでもまだ私たちを付き合わせるというのなら相応の代価を支払ってもらわなければ割に合わんぞ? 以前にも言ったが私は慈善家ではないのでね」
彼女の言い分は尤もで、僕は何も言い返せなかった。
ここから先、まだオルガフィヨスを探すというのなら、それはあくまで僕個人の私事で済まさなければいけないんだ。ただでさえ真理と灰里さん、それに賢人まで巻き込んでおいて……それはあまりにも虫が良すぎるというものだ。
「……分かりました。今回、お二人にはお世話になりましたし、お礼は後日改めてさせて頂きます。私用がありますので失礼します」
「おい、真也……」
当てなどないし、そもそも見つかかどうかさえ分からない。
だけどそれでも、僕はオルガフィヨスの事が気懸かりだった。
このまま彼女とこんな形で別れるなんて、それはあまりにも後味が悪くて嫌だったから。
引き止めようとする真理の声を押し切って、僕は勢い良く事務所から走りだした。
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