第24話 赤坂の戦い

 世は平穏そのものだった。行方不明児童の捜索を行ってから三週間が過ぎようとしていた。しかし、朧木に新たな仕事が来る気配は相変わらず無かった。


「すばらしい事に、今日も来客の予約がゼロですよ所長!」

「うむ! これで他の退魔師達が商売繁盛でもしてようものなら嫉妬で狂いそうになるな!」

「所長以外にも妖怪退治をしているような人っているんですか?」

「いるとも。ただ、本業は別の形をとっていることが多い。心理カウンセラーだったり占い師だったり不動産関係、地上げ屋だったり」

「・・・なんだか最後におかしな職業の方が含まれたような」

「地上げ屋はともかく不動産関連も霊能力者が関わっていることが多いんだ」


 さくらが小首をかしげる。


「なぜなんです? 関わりなさそうなんですけれど」

「事故物件の御払いさ」


 さくらが合点いったという風に頷いた。


「確かにそれはありえますねぇ!」

「後はビルの建設予定地の地鎮祭などを執り行ったりもする。これは神主が大半だが陰陽師がやる事もある。これも大事な行事なんだよ」

「それは少々古風ですね。効果はあるんですか?」

「もちろんあるとも。陰陽道でも立派な一部門で語り継がれている。陰陽道は天地の動きを観測する事で占う。天の動向を占うことを天文と呼び、地の吉凶を読み取る事を相地という。相地の本場は中国なんだ。中国では都城や邸宅、個人を祭る霊廟などを建設する際、事前に土地にまつわる禍をこうむらないよう相地を行う。日本でもこれらの思想と技術は取り入れられているんだ。西暦七〇八年の平城遷都の際などにその痕跡がみてとれる。それくらいに古い歴史のある分野なんだよ」

「うーん、なんだか難しそうな話ですね」

「これらは立派な技術、学問だったからねぇ」

「じゃあ、所長にもそういったお仕事が来たらいいのに」

「僕としてもお呼ばれされたいところではあるがさ。まー、これは現代においては神主さんがやるのが主流になっちゃったからね。なんともはや、祓い清めるというのは強い。場所を選ぶという発想じゃあないからね。自分たちに都合のよい土地に作り変えちゃうというのは望んだ場所に目的の物を建設する上では大変に便利だからなぁ」

「不動産関連にも需要のあるお仕事なのはわかりました。心理カウンセラーが妖怪退治する事もあるというのはなんなんです?」

「心の病、気の病と言うのは妖怪の仕業であることが多く、その原因を取り除くために相手をすることもあるらしい」

「現代の療法士も大変ですね」

「昔から怪異に遭遇して気が触れるなんて逸話はたくさんある。そんな怪異を相手にすることもあるんだからご苦労なことだよ」

「じゃあ、私が知らないだけで結構様々な職業に関わっているんですね」

「そう。普通に生きている分には関わらない世界だからね」

「じゃあ、所長の商売敵って結構多いんですね」

「住み分けは出来ているかなぁ。僕の場合はもっと直接的に人に害を為す妖怪の退治だからね」

「だから仕事の依頼がないのは良いことなんですね。誰も困っていない」

「そのとおりさ。昔ほど物騒な世の中じゃなくなったのも大きい」

「世の中には必要な御仕事なんでしょうが・・・」


 と、さくらが何かを言いかけた時、コンコンと玄関がノックされた。

 さくらが慌てて接客に出る。ドアを開けた先にいたのは先日家出をして事件扱いにまでなっていた洸と、もう一人同年齢と思われる少年だった。


「すみません。朧木探偵事務所はこちらでしょうか?」


 洸がさくらに尋ねる。


「はい。そうですが、・・・もしかしてお仕事のご依頼でしょうか」


 流石に小学生が仕事の依頼なんて無いだろうと思いもしたが、とりあえず尋ねるさくらであった。


「そうです。朧木良介さんがこちらにいると聞いてきました」

「・・・そうですか。どうぞこちらへ」


 さくらは洸たちを中に通した。洸の顔を見た朧木が軽く驚いている。

 洸たちは応接室のソファに座った。朧木も対面に座る。


「やぁ。洸君。あれからお母さんとはうまくいっているかい?」

「うん! おじさんの言うとおりお母さんがちゃんと僕の話を聞いてくれるようになったんだ」

「ふぅむ。それは良かった。君を無事親元まで送り届けられて良かったと思うよ・・・今らなそう思える」

「あれからお母さん、ちゃんと料理とか掃除とかするようになったんだ!」


 なら、それまではどうしていたのだろうかと朧木は思った。見てきた家の様子を思い出す。確かに掃除とかはしていなさそうだった。それが改善されたのだ。一般家庭と比べると当たり前の水準になったようにも思われるが、それは少年にとっては切実な変化だった。


「さて、今日はどのようなご用件かな?」


 朧木はちらりと洸の同行者をみた。


「うん。実はおじさんに相談したいことがあって・・・・・・。ボクの隣にいるのはダイキ。ボクの友達なんだ。実はダイキに大変なことが起こってさ・・・・・・この話はダイキから直接した法がいいかな?」


 洸に促されてダイキは頷いた。


「はじめまして。ダイキといいます。洸とは同級生です。実は洸が行方不明になる前に大変な出来事がありました。僕のお父さんが自殺したんです」


 いきなり重い話が始まった。朧木はどんな相談になるのだろうと思いながら話を聞いている。


「ふむ。それは・・・・・・大変だったろう」


 思いもがけない話の方向に、朧木は返事をするのがやっとだった。


「はい。御葬式とかが終わってようやく落ち着いてきた先に洸が家出から帰ってきて、それで僕相談したんです。実はお父さんが自殺する直前に、『首を括れ』という声が聞こえると言っていた事を。お父さんは自殺するような人間じゃない! これはないかある、って」


 洸は頷いた。その表情はとても真剣なものだった。普段はとても仲がよいのだろう。だからこういった話も親身に聞いていたのだ。


「ダイキ、前に言っていたもんな。お父さんが仕事で忙しくなって、中々家に帰らなくなっていた頃にそんなことを聞いたって」

「うん。お仕事が大変だとは聞いていたけれど、それでお父さんがノイローゼになって自殺しただなんて、僕はとてもそうは思えなくて・・・・・・」


 朧木は黙って話を聞いている。


「おじさん。これって妖怪の仕業だったりしない?」

「ううむ。話を聞いている限りではなんとも言えないな。ダイキ君のお父さんはその声をどこで聞いたんだい?」

「お父さんは赤坂のオフィスで働いているんだけれど、その帰り道でよく聞こえたって言っていた」

「赤坂・・・・・・そうか。あの辺りか。ふむ」

「おじさん、なにか心当たりあるの?」


 洸が前のめりになって朧木に尋ねる。


「全く無いわけではないが、確証が無い。お父さんの死因が妖怪によるものだというのを今から立証するのはたぶん難しい」

「なぜさ!」


 洸が興奮したように立ち上がる。


「おそらくは直接手を下すタイプの妖怪ではないのだろう。妖術で人を誑かすタイプと見た。その場合、証拠や痕跡は残りにくいんだ」

「でも、やっぱり思うんです。お父さんが死んだのは何かがおかしいって。お願いです。お父さんの死んだ原因を解明してくれませんか? そして、できるならばお父さんの敵を討って欲しい」

「むぅ、中々困難な仕事の依頼だな・・・・・・」

「おじさんでも大変な仕事なの?」


 朧木は迷った。これは立派な妖怪の仕業だ。それもかなり危険性のある相手と見える。ならば正式に仕事の依頼を受けなくてはならない。だが、依頼人が子供であるので報酬をふっかけるわけにはいかない。

 だが、朧木には仕事の上での信条がある。それは仕事を安請け合いしないこと。適切な報酬で仕事を請ける、である。これは業界全体のあり方にも影響する。朧木がタダで仕事を請ければ、ともすれば同業者が得られたであろう仕事を一つ潰すことになる。安く請け負ったら請け負ったで相場を下げることになる。それはひいては同業者全員に迷惑をかけることになるのだ。今回は子供の依頼で特例として受けても良かった。だが、もうひとつ思うところがあった。少年たちに人を無償で労使しようとする人間になって欲しくはなかったのだ。ましてやそれが命がけになるかもしれない仕事である。尚の事軽がると受けるわけにはいかない。


「仕事の依頼であるからには報酬を伺おうか」


 朧木は無慈悲であるとは承知でこう切り出した。


「えっ、ダイキ。お前いくら持ってる? ボクは三百円かな」


 少年達がポケットをごそごそとまさぐる。


「僕は六百円ほど・・・・・・」


 二人が硬貨をテーブルの上に乗せた。あわせて九百円弱だ。洸がお金を出そうとしたのは優しさからだった。子供達が御小遣いを精一杯かき集めての頼みごと。しかしである。


「ふぅむ。これでは話にならないよ」


 朧木は眼を閉じて首を横に振った。


「そんなぁ!」


 洸は泣きそうな顔をしている。朧木としても何かあったら相談してくれと言っておきながらこのようなことになってしまってバツが悪かった。


「僕は仕事で妖怪退治を請け負っている。正当な報酬が無ければ動けないね」

「おじさんのケチンボ!」

「なんとでも。こればかりは譲れないよ」


 朧木は子供の話を取り合わない大人としての態度を取った。


「なんだい、なんだい! おじさんなら何とかしてくれると思ったのに! いいよもう。ダイキ、行こう」


 洸はダイキを連れて探偵事務所を出て行った。騒々しさの後に静けさが戻る。

 その沈黙を破ったのはさくらだった。


「所長。おとなげなーい」

「むぅ、これは危険な仕事となる。安請け合いは出来ないよ」

「ちっちゃな子の頼みごとだったんですよぉ?」

「子供の頼みだったとしても、だ。できる事とできない事がある」


 朧木は不機嫌そうにソファで反り返った。こういう対応を取る事は彼も不本意だったのだ。だが、それもこれも考え抜いた上でのことだった。


「所長。所長のひとでなし! 見損ないました!」


 さくらはぷんぷん怒っている。子供の側に感情移入しすぎているところもあったが、元々感受性豊か過ぎるのだ。朧木の態度に納得できていないのも大きい。


「むむむ・・・・・・」


 朧木が返す言葉を失った。


「それじゃ、私はあがりますね。御疲れ様でした」


 挨拶も手短にさくらは帰っていった。事務所に乗り残されたのは朧木一人・・・ではなかった。棚の上でのそりと動く影。猫まんだった。

 猫まんはすとんと床に降りる。


「良介や。全くお前にも困ったものだよ。あんな事を言って、仕事としては引き受けなかったってだけじゃないのさね」


 朧木はそこでようやく笑った。


「仕事は仕事。プライベートではどうするかはまた別の話さ」


 そう。朧木は仕事としては依頼を受けなかっただけだった。嫌われ役を買って出ただけのことである。

もっとも、さくらはそのことを知らない。


 猪突猛進な娘は翌日に即行動を取っていた。さくらが訪れたのはいつも頼りにしている魔紗のところだ。平日でも教会は開かれているので、訪れるには都合が良かった。

誰もいない礼拝堂。巨大な金色の十字架がひっそりと輝いている。その脇には小さなイエスを抱きかかえる白い聖母マリア像があった。手前のテーブルには花瓶に対象の花。熱心な信者が捧げているのだろう。そこは霞町付近のキリスト教カトリックの信者たちにとっては重要な場だ。本来なら人がいないであろう時間帯であるが、その日は人影があった。

立ち並ぶ長椅子にさくらと魔紗が座っている。


「というわけで、所長ったらひどいんですよぉ。子供の頼みを跳ね除けちゃって」


 やはりさくらは怒っていた。普段は子供好きを前面に出してはいないが、元々面倒見は良いさくらである。余計は御世話とかお節介とかそういう類はこれでもかというほどするさくらにとって、小さな子供の切なる願いを聞き届けなかった朧木良介は極悪人の如く映っている。


「それは朧木も趣味や道楽でやっているわけじゃあないだろうからそうでしょうね。何でもかんでもお金が大事とは言うつもりは無いけれど、生きていく為には糧が必要だし、命がけの仕事を無償で行うほどには彼は善人じゃあなかったというだけの話」


 魔紗は朧木をフォローしていた。話を聞く限りは朧木の態度も理解できたからだ。


「それでも許せないものは許せません!」


 さくらの怒りはとまらない。人は失望した時に対象に大きな怒りを感じるものだ。さくらにとって朧木は困った人の味方だと思っていた。それが覆されたことが悲しいのだが、その感情を否定しようと怒り任せに行動していた。


「んー、あんたは朧木には厳しすぎるわね。時には寛容の精神も大事よ。人は神と違って完璧ではないのだから。たとえあんたの怒りの大元が朧木に対する高い評価だったとしてもよ」


 魔紗はこれでもキリスト教の信者だ。他者の罪を赦します。ですからどうかわたくしの罪もお許しくださいと普段から祈っている。御互い様の精神なのだ。そしてさくらがあえて目を背けている部分にも容赦なく切り込む。これには流石のさくらも黙った。


「私は・・・・・・誰かの助けになりたいだけです。目の前で困っている子供がいるなら力になってあげたい」


 さくらはなんとか動機の再定義をした。ただしそれも本音である。


「その精神は立派なものね。そうであったとしても、あなたにはあなたのできることをやった方がいいと思うけれど」

「いるのかいないのかわからない妖怪の特定くらいなら私だって出来るはずです!」


 さくらは自信満々に答えた。その瞳に迷いは無い。ためらいもない。あるのは自分の目標に向かって前進することだ。彼女の最終目標は既に定まっている。彼女のなかではパーフェクトプランが練られていた。


「それも結構難しいのよ?」


 エクソシストでもある魔紗が疑問を挟み込む。彼女は人間に取り付いた悪魔の同定が難しい為、経験として知っているのだ。さくらは悪魔の存在証明のごときことをやろうとしているのである。一言言ってやりたくなるのも無理は無い。


「やってやりますってんだ!」


 さくらは超強気である。それはもう噴出するくらいに。人間やってやれないことはない派の人間である。やろうとしていることが一朝一夕ではできないであろうことであっても。


「なにか目星はついているんだ」


 魔紗は意外そうだった。


「所長にはなにか心当たりがあるようでしたので、きっと子供との会話の中に何かヒントがあるはずです!」

「これはまた行き当たりばったりで無計画な! 確信があったわけじゃあないのね」


 これには魔紗も呆れるばかりだ。


「地道に調べればどんな妖怪か当たりは付けられるはず。ただ、もしかしたら海外の妖怪の仕業かもしれないし、一応魔紗さんの話も聞いておこうと思って」

「そうね。被害者の死因は自殺なんでしょ。どのような死に方をしたのかはわからないけれど、キリスト教では自殺は神への反逆行為。つまり、その人の意思で行われているものって解釈されているの。だから教義的に禁止されているのよ。悪魔の仕業とは見られない。その人自身の選択とされているわけ。人の意思といっても悪魔はあくまで人間を自滅に追い込むもの。悪魔のなかには直接害を為そうとするのもいるけれど、本来は人を惑わし試すモノなのよ。自殺に追い込もうという悪魔がいても不思議ではないとは思う。でも、宗教的にはあくまで人の意思の選択。だから今回の話には悪魔は関わっていないでしょうね」

「そうなんだ。悪魔の仕業じゃあないと」

「断言は出来ないけれど、可能性は低いわね。それはそれとして、やはりあんたはこの件に関わることをおすすめしないわ。話を聞くに危険だとわかるもの。自殺を促して直接は害をなそうとするわけじゃあないところも狡猾さが見て取れるわ。きっと正体はかなり陰湿な魔物よ」


 さくらはそこまでは考えていなかった。ただ自分が気をしっかり持っていれば大丈夫だろうくらいにしか思っていなかったのだ。


「うっ、気が引けてきた・・・・・・でも後には引き下がれない! それに正体を掴むだけですし、なんとかなりますって!」

「正体を暴いてどうするわけ?」

「存在を立証できれば、あとは御役所の霊障対策課に届出を出して終わりです。そうすれば民間の退魔師辺りに依頼が行くでしょうから」

「へぇ、あんたなりに考えているのね。自分で退治しようとしていなかっただけマシね」

「それは・・・・・・・まぢむり・・・・・・」


 いくらさくらであってもそこまで無謀ではなかった。


「でしょうね。危険なことに首を突っ込むのはおよしなさい」


 しゅんとするさくら。


「昼間ならきっと大丈夫! 妖怪って夕方くらいに活動を再開するんでしょう!」

「へこたれない子ね・・・・・・そうだ。これを持って行って」


 魔紗がごそごそと何かを取り出す。それは透明な液体の入ったガラスの小瓶だった。さくらは魔紗から小瓶を受け取る。


「これはなんですか?」

「聖水よ。聖別されているからこの世ならざるものには効くはず。何もないよりは良いでしょ」


 さくらは小瓶を大事そうに受け取った。


「うわぁ、ありがとうございます!」

「私は直接手伝ったりはしないけれどね。とにかく夜は絶対に一人で行動しないことね。洋の東西に関わらず、夜は魔物達の時間だから」

「はーい。わかりました」


 魔紗はやれやれといったジェスチャーをした。何のかんのでさくらの話しを聞いてあげているので付き合いは良いのであった。


 さくらは暑い日差しの下を歩いている。ヒートアイランド現象による暑さが彼女を襲う。それは下手な妖怪よりも厄介な相手だった。さくらは日傘を差している。お洒落な薄ピンク色のレースの日傘だった。流石に熱中症対策はしている。


「確か赤坂って言っていたような気がしたけれど、赤坂のどの辺りなんだろう・・・うーん。やっぱり探すのって難しいのかな」


 さくらは辺りを見回した。流石に一目見て怪しいと思えるようなモノは歩いていない。


「そっか。あの子のお父さん。仕事で帰りが遅くなっていただろうから、夜の赤坂で遭遇したんだろうな。夜かぁ。夜の見回りには嫌な思い出が・・・・・・」


 さくらは狼男を探しておかしな男に捕まった過去を持つ。だから夜に一人で出歩くのにはためらいを感じていた。


「見通しが甘かったかー!」


 さくらはつい独り言が口から漏れ出る。即行動に移るからこうなるのだった。冷静に話を分析できていたらわかったことだった。日中には危険は無い。だから魔紗も夜じゃなければ良いというスタンスを取ったのだ。さすがにそこはさくらの安全を考えていたのだった。

 もっともさくらは安全では困るのだ。なぞの妖怪に遭遇しなければいけない。さくらには考えは及んでいなかったが、もし妖怪に遭遇したとしてもその正体を看破はできなかっただろう。だからせめて猫まんだけでも連れてくるべきだったのだ。あの猫はそういうときには大いに役立つのだ。単独行動をしていたのは失敗だった。

 それでも成果をあげようと赤坂の街を巡回する。重度の暑さの中では意識も朦朧としてくるものだ。さくらはこまめに水分を補給しながら赤坂を練り歩いた。

 もうじき夕方になろうかと言う頃、さくらは人に呼び止められた。それは道に迷っていたおばあさんだった。言葉だけで案内しようとしたが、おばあさんは耳が遠くて困難だった為、さくらは直接道案内することにした。そのため、道案内を終えた時には陽も殆ど落ちていた。


「いっけなーい。もうこんな時間かぁ。結局何も見つからなかったな・・・・・・」


 さくらは携帯で時間を確認する。さすがにこれ以降の時間は危険を伴う可能性を考える。妖怪に限らず、の話である。暗くなった道をさくらは足早に駅の方面を目指すのだった。

 街中の喧騒。車の音。様々な音が入り乱れる中、それは唐突に訪れた。

 はじめは遠くで誰かがしゃべっているようだった。それは周りの喧騒に思われた。だからさほど気にかけなかった。だがそれは暗示をかけるようにぼそぼそと続けられる。


「なんだろう。なんかうるさい人がいるな・・・・・・」


 さくらは周囲を見渡すが近くにうるさそうな人はいなかった。まだ人も多い街中だからだろう。油断があったのだ。謎の話し声に意識を集中してしまった。


「何、なんて言っているんだろう」


さくらは耳を済ませる。・・・・・・それは『首を括れ』と言っていた。気がついたときにはさくらは暗示にかかってぼんやりとしていた。対象を意識し続けた事によって、呼び寄せてしまったのである。

 気がつけばさくらの周囲に人の気配がなくなっている。完全に街中にあって孤立していた。


「・・・・・・そうだ。私、自殺しなきゃ・・・・・・」


 さくらは光を失った目で、そうぽつりと呟く。彼女はうつろな目でふらふらしている。明らかに尋常ではない様子だ。


「首を括るロープを探さなきゃ・・・・・・」


 さくらがふらりふらりとどこかへ歩き出そうとしている。その時であった。


「月魄刃!」


 どこからともなく三日月の刃が飛ぶ。刃はさくらのすぐ脇を飛びぬけた。


「ぎゃっ!」


 醜悪な悲鳴が上がる。さくらのとなりから赤黒い肌をした悪霊が姿を現した。ぼろぼろの死装束を纏っている。髪はボサボサで振り乱し、とてもまっとうな存在とは思えない。

三日月型の刃は飛んできた方向へと戻った。ヒュンヒュンと三日月の刃を立てた二本指でキャッチしたのは朧木良介だった。


「縊鬼よ。そこまでだ。観念するが良い」


 縊鬼。人に憑依して自殺させるという。憑依されたものは逆らう事ができないらしい。

 縊鬼はさくらからすばやく離れた。朧木を警戒している。


「何かと思えば陰陽師か。くっ、ここはひとまず退散させてもらおう!」


 縊鬼はしゅるりしゅるりと脇道へと滑り込んで行った。


「・・・・・・そうはいかない」


 朧木は一枚の式神の形代を取り出す。和歌の詠唱なしでそれを投げ払い、一羽の使い魔たる式神を召還した。鳥の式神に縊鬼の後を追わせる。

 朧木はふらふらしているさくらへと駆け寄った。朧木は「しっかりしろ!」とさくらを揺さぶる。ぺちぺちと頬を叩くが反応はない。さくらはそのまま気を失い倒れた。


「むぅ、このままにしてはおけんな」


 朧木はもう一枚の式神の形代を懐から取り出し、投げ払った。小さな子供のような式神を召還し、さくらのそばに見張りとしておいた。


「まったく、事務員なのに現場に出ちゃうんだから困った子だよ。だが、そんな君がいるからこそ僕も動かされるというわけだが・・・・・・さて。人に仇為す妖怪退治と行きますか」


 朧木は鳥型の式神が追って行った方角へと向かっていく。

 赤坂の街を陰陽師が進む。その日は霊剣を持っていはいない。

 式神は縊鬼を完全に捕捉していたが、縊鬼はとあるビルの壁の辺りに潜り込んで行った。

 朧木はその壁の前に立つ。


「ふぅむ。こんなところにも異界行きの穴が開いているのか。おかしい・・・・・・東京はかつて徳川家康が江戸を開発する際に、南光坊天海が陰陽道や風水を駆使して霊的加護のある都市を構築した。霊的結界は日本でもトップクラスの堅牢さを誇る都市のはずだ。それがなぜこんな霊的ほころびが・・・・・・。今回はこの穴を追っていくわけにもいかんな。封じさせてもらおう」


 朧木は懐から一枚の霊符を取り出した。冒頭に『勅令』と記されている。天からの命令としての符字や符図も記されている。


「急々如律令」


 朧木は陰陽師が良く唱える呪文を唱える。それは霊符にも記されていた。天からの勅令を速やかに実行せよという意味である。

 朧木は霊符を異界に繋がる穴に張った。とたんにパキッという音が鳴る。


「これでこの穴はもはや意味を成さないだろう。さて、縊鬼の行き先はおおかた見当がついている。縊鬼が逃げ込むとしたらかつての喰違門。麹町の喰違見附跡だろう」


 朧木は異界の穴だった壁を離れ麹町を目指す。

 目的地に辿り着いた頃にはあたりは夜となっていた。

赤坂のかつての喰違門だった場所に朧木は来ている。辺りは人気が少ない場所だ。


「出てこい縊鬼。隠れているのはわかっているぞ」


 朧木の言葉に反応は無い。・・・・・・風の音だろうか。何かが聞こえてくる。


「・・・・・・首を括れ。首を括れ」


 それは縊鬼の声だった。声を識別するや朧木が動く。


「そこだっ! 月魄刃!」


 三日月の刃が空を切る! 果たしてそこから姿を現したのは、件の縊鬼だ。


「おのれ、陰陽師! 存在を知られたからには生かしては返さんぞ!」


 縊鬼が両手を広げる。ばばばっと広がる荒縄。荒縄はあちこちの物に絡みつき、まるで蜘蛛の巣のように展開された。

 ひゅんひゅんと朧木の元に戻る月魄刃。


「もとよりこちらとてお前を野放しにする気は無い! ゆけっ、月魄刃!」


 くるりと回転しながら、朧木は三度月魄刃を放つ! 月魄刃は荒縄にぶつかりぎゃりぎゃりという音と共に軌道が逸れた。月魄刃はあさっての方角へと飛んで行った。どうやら荒縄は妖気に守られている特殊な物のようだ。


「こざかしや、陰陽師。しかし貴様に活路はない。我が絞殺縄地獄に落ちよ!」


 縊鬼が手をかざし振り下ろすと蜘蛛の巣状に張られた荒縄からひゅんひゅんと縄の先端が飛ぶ!


「ちぃっ、これは!」


 朧木は縄を振り払おうと腕を振るったが、その腕に縄が絡まった、


「我は人に首を括らせる妖怪。首を括るに縄は必要。であれば、我は縄の妖怪でもあるという事だ! そぉれい」


 縊鬼の掛け声と共に朧木の腕に絡まった縄が締め上げる。朧木は完全に動きを封じされた。


「しまった!」


 朧木が腕に絡まる荒縄を振りほどこうとするが、固く締まっていてほどけない。


「ふっふふふ! 数多の人間を地獄に落とせし我が縄を侮ったがお前の負けよ! 絡み付けい!」


 次々と縄が朧木を襲う! 手に、足に縄が絡まっていく。


「このような妖術も使うとは! 人を誑かして破滅に追い込む卑劣な手段しか使わない陰気な妖怪かと思いきや、意外に意外」


 朧木は完全に動きが封じられた。荒縄がぎりぎりと朧木の腕と足を締め付ける。四肢を完全に封じられた格好となった。


「なんだ、この程度の力か。我の勝ちの様だな。この時代の陰陽師も大した事が無いものだ。どうれ、直接我が手で絞め殺してやろう!」


 縊鬼は一本の荒縄を手にして朧木へと近づく。


「お前はまだ、僕の流派の極意を知らない。完全に勝利するまでは勝利宣言などしないことをおすすめしよう」

「カハッ、口の減らぬ陰陽師め。下らぬことを抜かすその口、首元から締め上げてくれるわ!」


 朧木は身動きが取れない。だが、朧木の表情に諦めは無かった。

 縊鬼がぐわっと襲い掛かる。縊鬼は朧木の首に縄をかけた。

 と、その時であった。ひゅんひゅんと何かが飛んで来る音。


「ギャアア!」


 上がる叫び声。叫び声の主は朧木ではない。縊鬼だった。苦悶の声と共にゴロゴロと転がっていく。その背には月魄刃が突き刺さっていた。


「月魄刃は術の行使者の元へと帰る。僕の側に近づいたのが運の尽きだったな」


 縊鬼がダメージを受けたのに連動して朧木を締め上げる縄が緩んだ。妖力で操られているからその元が断たれればただの縄となるのだ。

 朧木は縄の束縛から解き放たれて自由となった。縊鬼はまだごろごろと地面に転がったままだ。勝機である。

 朧木はかちかちかちと音を立てて歯噛みした。天鼓。そしていつものように独特のテンポで歩行を行う。禹歩だ。


「諸天善神に願い奉る。陰にひなたに歩く道。市井の者の静謐を守らんが為、我が行く手に勝利を」


 朧木は一枚の式神の形代を取り出した。


「宇治川の 先陣競い 行く川の 縄越え歩く 池月よ」


 朧木は故事を和歌とし吟じた。それは宇治川の戦いにおける佐々木高綱の先陣争いの歌だ。朧木は形代を投げ払った。形代が光り輝き、やがて名馬に跨る武将が姿を現した。 平安時代末期から鎌倉時代初期を生きた武将の幻想が具現化する。

式神が朧木の先頭に立つ。朧木良介必殺の布陣は整った。


「ぐぐぐぐ、陰陽師風情が調子に乗りおって!」


 ようやく立ち上がった縊鬼は縄を操って武将を襲わせる。おびただしい無数の荒縄が式神を襲う。

式神が手にしているのは刀長二尺三寸六分の刀。式神はヒュヒュンと刀を振るい、あっというまに荒縄を切り刻んだ。


「お前がロープの妖怪でもあるというのなら、こちらはこちらでロープを断ち切った逸話をモチーフに式神としての力をこめるだけの事」


 佐々木高綱は先陣争いの最中、川を渡る際に川底の綱を刀で切り裂いたという逸話が残る。その時手にしていた名刀を綱切丸という。綱を切り裂くという名刀、それをモチーフにした式神の刀。妖怪の荒縄を切り裂くくらいどうということはない。

 朧木は式神に命ずる。名馬に跨った武将の一騎掛け。縊鬼の脇を通り過ぎざまに一閃する。


「ぐぎゃあああああああ!」


 縊鬼は悲鳴を上げた。致命の一撃が打ち込まれたのだ。


「無にかえるが良い、縊鬼」


 縊鬼は塵へと帰っていく。周囲を覆っていた荒縄の蜘蛛の巣も消えていく。厳しい展開もあった戦いだったが、それは朧木良介の勝利に終わった。

朧木の視点がさくらを見守っていた式神へと移る。さくらは通行人に救急車を呼ばれていた。子供の姿をした式神はその行く末を見守っていたのだ。さくらの無事を確認して安堵する。

 朧木は佐々木高綱の式神を元の紙切れに戻した。


「あちらも無事か。さてさて、今回は大変な仕事だったなぁ。いや、仕事じゃあないか。うちの従業員がたまたま妖怪に襲われていたので、たまたまとおりかかった僕が退治したんだっけな」


 今回の一件。朧木は大活躍だろう。しかし、そのことを知るものはいない。少年にもさくらにも嫌われたままだ。嫌われ役のままで終わる。しかし、朧木にはそのことをさほど気にはしていない。自らの信条を曲げた上で、矜持だけが彼に残った。

 朧木は笑いながら赤坂の喰違門を後にする。月だけが知っている。彼の物語を。

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