第25話 フェイ・ユーの女?

 さくらはその日自分のマンションにいた。さくらは親元で暮らしているのだ。3LDKのマンションの一室がさくらの部屋だ。部屋の中は白とピンク色を基調としたカーテンレースや壁紙で整っており、さくらが名前の由来となっている桜色を好んでいるのが丸わかりだった。その部屋の角にハムスター用のケージが置いてある。さくらはそのペット用ケージの餌入れに穀物を入れていた。


「ねぇ、ちゅう太。今日も元気にしてた?」


 さくらがペット用ケージに話しかける。ちゅう太とはさくらが飼っているハムスターの名前だ。普通なら動物相手に話しかけても仕方が無い。殆ど独り言だがこれは彼女の日課となっていた。


「所長ったら酷いんだよぉ。私が熱中症で倒れたってのにまるで心配してくれなかったんだから。救急車で運ばれて大変だったんだよぉ?」


 さくらが縊鬼に襲われていたことは朧木しか知らない。気を失っていたさくらは熱中症で倒れた事になっているのだ。朧木はさくらに大事無いことを知っていたので平気だったのだ。

 余計な心配はかけさせたくなかった朧木は縊鬼のことはさくらに黙っていた。縊鬼については既に退治してしまっているがそのこともあえて黙っていた。

ちょっとは気にかけて欲しかったさくらとはやりとりがかみ合わなくなっても仕方が無かったのだ。


「まったくもう、今度妖怪探しに行く時は猫まんを連れて行こうかな。私一人じゃ妖怪を見つけられそうにないや」


 さくらは未だに妖怪を探すつもりでいた。妖怪は退治されていることを知らない。


「猫まんって人間の言葉をしゃべる猫でね。可愛げがないのなんのって、探偵事務所のマスコットキャラかと思ったけれど、とてもじゃないけど向かない! 時代は可愛らしいマスコットなのよ。ちゅう太もしゃべれたらいいのにね。ねずみのマスコットでなんか可愛いのいたかなぁ。ピカチュウとかどうかしら。私に代わって妖怪と戦ってくれるの! いいなぁ、そういうのも。さてと」


 さくらが飲み水入れの容器の水を交換しようと立ち上がった。その時である。


「ぴっぴかちゅう?」


 ハムスターの鳴き声が聞こえてきた。


「・・・ちゅう太、何か言った?」


 この時点で既になにか怪しい挙動はあったのかもしれないが、さくらはただの聞き間違えかと考えたのだった。ペット販売店で妖怪など売っているわけが無い。そういう先入観があったのだ。妖怪の中には齢を得た動物が化けたものもいる。妖怪と動物の関連性はどこにでもあるものなのを彼女は知らなかった。

 ハムスターはおかしな鳴き声はあげなくなった。さくらは気を取り直してハムスター用の飲み水を交換しに行くのだった。

 部屋に一匹取り残されたハムスターはつぶらな目で虚空を眺めていた。


 その後、さくらはいつものように朧木探偵事務所に顔を出した。事務員のアルバイトとして働いているので、きっちり時間通りに現れる。基本は土日だが平日の夕方辺りにもシフトが入る事がある。

 朧木が外に仕事に行ってしまうと事務所が誰もいなくなってしまうので、そんな時の為にさくらはいるのだ。事務員ではあるが事務所が余りに暇なので、掃除等の雑用をこなす事もよくあった。

 その日は猫まんの姿が無く、朧木が一人で事務所にいるだけだった。


「所長。今日は一件アポイントメントが入っていますね」

「ううむ、その人物が問題なんだけれどさ」


 朧木は困ったように頬をかいた。


「・・・・・・フェイ・ユーさんですか。一体何用なんでしょうね」


 さくらがホワイトボードの予定表を確認する。たしかにあの中国人道士の名前があった。


「さぁ、仕事がらみでの相談とも思えないのだがね。面倒そうなら断ろうかな」


 と、そんなこんなで各自が思い思いに過ごしていると、フェイは時間通りに現れた。いつものように白いスーツに身を包んでいる。サングラスをしているので、どうにもガラの悪さが漂う。

 フェイはズカズカと乗り込んできて応接用のソファにどかりと座る。さくらが気を利かせてアイスコーヒーを持ってくる。外は暑い。氷の入ったアイスコーヒーは喉を潤すのにもってこいだろう。今日はフェイを客として迎えているようであった。


「やぁ、朧木サン。おまたせネ。今日は時間を取ってもらって申し訳ないネ」


 フェイは相変わらずにこやかな笑顔を浮かべているが、この笑顔のままにとんでもない事をするので油断は出来ない。


「なに、自慢できたものではないが時間はあったのでね。話くらいは聞こうかと。ところでフェイ、聞けば君のところでは日本人の道士を育成し始めたらしいじゃないか。本来なら君も人材育成に忙しい身なんじゃあないのかい?」


 朧木は世間話を装って探りを入れた。相手が本当のことを言うとは限らないが、やはり動向は気になるようだった。フェイも朧木の問いは予想できていたようで、


「あぁ、老師が面倒を見ているネ。私は大して何もしていないヨ。指導できるような立場にはまだないと老師に言われているネ。まぁ、私は新たな門下生には興味ないヨ。めぼしいやつはいなかったネ。彼らは使える人材になるまでに早くて五年。おそくとも十年は掛かると見たネ」


 とあっけらかんと答えた。本来はべらべらと内情を話すべきではないであろうが、今回のフェイは朧木に何らかの用があって来ていた。だから少しくらいなら話しても構わないと考えたのだろう。


「そうか、はやり人材育成にはそれなりに時間が掛かるな。それだけに堅実に動いている君達が僕にとっては脅威なんだが」


 朧木は眉間にしわを寄せた。彼にとってはこのような地道で堅実な行動こそが脅威なのだ。将来的に自分の役割を、仕事のシェアを奪われるかもしれないのだ。


「我らのパトロンの山国議員は町議会議員の中でも若い方ネ。将来を見越して自分の手駒を増やそうと動ける先見の明のある男ヨ。呪術師の育成に金と時間の投資を惜しまないのは見込みがあるネ」


 フェイはのんきにコーヒーを飲みながら話をしている。特に何の気負いも無い。そう。彼はその日、プライベートで来ているのだ。


「僕にとっても山国議員は難敵さ。陰陽寮を立ち上げようとし、陰陽師のルーツになった道教の道士として人を用意しようとするのだからさ」

「朧木サンを支援する怪貝原議員はキリスト教派のエクソシストを動員しようとしているという噂を聞いたネ。朧木サンだけが出遅れているヨ。まぁ、私のように一介の呪術師としてやっていればよいわけじゃないからご苦労な事ネ」

「さてさて、困ったものだな。僕の流派は一子相伝。大勢の伝承者を作れるわけじゃない。だからこの件に関しては本当に頭を悩ませている」

「後継者の質を確保する為に一子相伝にしたのだろうが、それでは失伝する可能性が高いネ。時代の形にあった伝承形態にすることをおすすめするネ。魔術も古いままではやっていられないネ」

「この問題ばかりは僕の一存だけでは決められないな。祖霊達に叱られてしまう」

「古い因習に囚われるのは様々な機会損失の始まりネ。朧木サンの流派は非常に興味深い。一度詳しく話を聞いてみたいものヨ。ところで、朧木サンはなぜ月魄刃という道教にちなんだ術を行使するネ? あれだけ異彩を放っているヨ」


 朧木は少し考え込む。しばらくして口を開いた。


「僕の術は隙が非常に大きい。禹歩を行ったり式神召還には和歌を吟じる必要がある。また霊剣をいつも手にしているとは限らなかったりする。そんな状況の時に頼りにしている。・・・昔、友人だった男が『この術はいずれ君に必要となるだろう』と僕に託したんだ。彼は未来視が出来る人物でね。僕も彼の話を信じたのさ。以前フェイ、君がこの術は魂を元に練り上げた術だと看破したことがあったが、その件は僕も承知している。己の魂をかけた術だからこそ信頼に足りるものだと思っている」


 その月魄刃にも月をシンボルとした特色があり、夜に結びつきの強い魔物や魂の領分、死神の力のようなものとは相性は悪い。それを承知の上で用いる分には多大に信頼できる術のようだ。


「文字通り退魔に命を賭けるか、なるほどわかったネ。確かにそれはいえてるヨ。そこまで覚悟を持って呪術師をやっているものも少ないネ。新しい日本人の門下生たちにはそれが欠落しているよ。切った張ったのやり取りの場では命取りになるネ」

「正式に陰陽寮が立ち上がれば公務員のようなものとなる。命を賭けて望む人はあまりいないさ」

「さて、朧木サン。話が長くなってしまったが、用件に入るネ」


 朧木は頷いた。


「君から僕に依頼したいことがあると聞いた。一応僕は何でも屋のような表稼業もやっている。まずは話だけでも聞かせてもらおう」


 すると先ほどまではリラックスしていたフェイの表情が変わった。なにやら渋い表情だ。


「・・・そうネ。お願いしなければいけないことネ。実は今度の土日に中国から女がやってくるネ。彼女をうまく煙に巻いて中国へ送り返して欲しいヨ」


 それは変わった依頼だった。朧木の予想の遥か斜め上を行っていた。


「それはまたどういう了見なんだい」

「あの女、私が日本で他の女にうつつを抜かしていると思って殴りこんでくるネ。場合によっては朧木サンに仲裁して欲しいヨ。私はきちんと日本で仕事を頑張っているネ! うちの門下生達に証言させても、私が口裏を合わさせているだけとしか思ってないネ。だから部外者も部外者、商売敵の朧木サンに証言してもらいたいネ!」

「君、一応僕が商売敵だって認識していたのか・・・」


 朧木はフェイに呆れている。商売敵に頼み事をしているのも含めてだ。


「そこは今重要な話じゃないネ。大事なのはどうやってあの女を送り返すかヨ!」


 フェイは必死になっている。よほど都合の悪い相手なのだろう。そんなフェイをみて、朧木は直感的に閃いた。


「フェイ。君、何か過失があるだろう!?」


 フェイはぎくりとしている。明らかに目が泳いでいた。


「し、知らないヨー。あの女が人の話をきちんと聞かないのがいけないネ。リンリンとかランランとかのほうが可愛げあるヨー」


 フェイから女性と思われる名前がいくつも飛び出した。恐らくそういうところだと思われる。


「ふむ。なんだかしょうも無い話だな。痴話喧嘩の仲裁をしろという事か・・・そうだなぁ。その一件、請け負っても良い」


 フェイはしめたといった表情をした。


「それは助かるネ! 仕事の依頼料はどれくらいになるカ?」


 朧木は思案する。そして一つの答えを出した。


「あくまでプライベートで受けて良い。流石に仕事にするには気が引けるような日常的な内容だ」


 朧木はフェイに貸しを作っておこうと打算した。フェイと言う男はそういう点には気にかけるのだ。

 意外そうな表情をしたのはフェイであるが、話を聞いていたさくらも同じだった。


「日常的・・・そうか。ならそれでお願いするネ・・・あとできっと後悔するヨー」


 フェイはぼそっと小声で言葉を付け足した。


「プライベートな相談と思っておくよ」


「頼んだのが朧木サンでよかったよー。実は日本にはあまり知り合いがいないネ。あの女には朧木サンは仕事上の付き合いのある相手だと伝えておくネ」


 仕事上の付き合い、間違ってはいない。たとえ切り結んだ相手同士であったとしても。


「しかし君も隅に置けないな。彼女さんを故郷へ残して日本に来たのかい」

「それはないネ! そんないいものじゃないヨー!」


突如フェイが慌てた。一体話に上がる女性とはどういう関係なのだろうか。


「全く話が見えないままの気もするが・・・ま、なんとかしよう」


 朧木はフェイの頼み事を侮っていた。よくある男女の仲違いの仲裁をすればよいのだろうくらいにしか考えていなかったのだ。そのことを後ほど彼は後悔する。


「頼みにしているネ。当日は行きつけの中華料理屋で食事をするネ。また連絡するヨ。ではではー、ザイツエン!」


 フェイは何度も朧木に礼をしながら去って行った。


「・・・・・・彼もちゃらんぽらんだからなぁ・・・・・・女性とどのような交際をしているかわかったものじゃないぞ」


 フェイの姿が見えなくなってから不安に駆られる朧木であった。

 さくらは一貫してニマニマしながらフェイの話を聞いていた。


「所長。なんだか面白そうな事に関わるんですね!」

「面白い、面白いときたか。確かに他人の色恋沙汰は聞いている分には面白かろう」

「他人の恋バナは大好物♪」

「・・・・・・・・・」


 自分のはどうなんだと尋ねかけたい朧木であった。


「で、所長はフェイさんともうまくやっていくつもりなんですね」

「そこ気にするのか。一応彼もそれなりの人物だからね。それに人徳を積む意味でも良いだろう」


 さくらは朧木が利益至上主義者じゃないことにホッとしていた。自覚していなかったが、さくらにとって朧木はヒーローであって欲しかったのだ。


 フェイから依頼をされた土曜日。朧木は指定された中華料理屋に来ていた。一階はランチも受ける場所として開かれていたが、朧木は二階の大部屋へと案内された。店内は赤と金色で彩られ、縁起を重視する中国人にも愛用されている。

 朧木は店の外で待っていた。夕方も終わり、夜に差し掛かろうという頃。待つこと十分。フェイが一人の女性を連れて現れた。長い黒髪にスレンダーボディ。服装は紅いチャイナ服。かなり目立つ派手な格好だった。


「やぁ、朧木サン。こちらイーヌオ。私の知り合いネ」


 フェイが隣に立つ女性を紹介する。


「フェイ。シリアイダナンテナニンギョウギナ。ワタシ、ニホンゴワカラナイトデモオモタアルカ?」


 イーヌオはカタコトで日本語をしゃべっていた。


「と、とんでもないネ! 適切な距離感で説明できたと思ったヨ!」


 イーヌオはフェイの様子にむっとしたままだ。


「はじめまして。朧木良介といいます」

「アナタガオボロキサンアルカ。ハナシハフェイカラキイテイルアル。アナタウデガタツトキイタネ」


 イーヌオは値踏みをするように朧木を見た。


「まぁまぁ、こんなところで立ち話もなんだネ。この店で予約とっているから食事しながら歓談するが良いネ」


 フェイが親指で背後の中華料理屋を指差した。一向はフェイのなじみの店の二階へと通される。

 大きな回転するテーブルに座る朧木達。朧木はフェイの対面に座った。イーヌオはフェイのすぐ隣に座っている。


「オボロキサン、アナタニホンノジュジュツシカ」

「えぇ、そうです」

「朧木サンとは仕事をしたこともあるネ。腕は私が保証するヨ」


 対立関係で仕事をしていましたとは言わない。


「フェイもかなり熱心に仕事をしています。僕もうかうかしていられないくらいでして」


 朧木は嘘をつかない範囲でフェイをフォローする。だが、イーヌオは朧木の言葉に懐疑的だった。


「ソレホントアルカ? チュウゴクデハケイコヲサボッタリシテイタネ。キュウニマニンゲンニナルトハオモエナイアルヨ」


 朧木はフェイを見る。ちゃらんぽらんなのは根っからのようだった。


「そ、そんな目で見られても困るネ! チンジャオ老師も来ているヨ。サボったらどやされるネ」


 フェイは慌ててイーヌオに弁明した。


「ソンナコトイッテ、コッチデハドンナオンナニイレコンデイルアル?」


 イーヌオがさらに何かを言いたげにした時、ちょうど料理は運ばれてきた。


「そ、それよりせっかくの料理をたべるのが良いネ、ネ!」


 フェイはこれ幸いと何とかごまかした。

 次々と運ばれてくる料理はフカヒレやツバメの巣、金華ハムなどの高級食材をふんだんに使った豪華なものだった。食事の最中は静かに時が流れていく。だがやがては食べ終わるものである。


「フェイ。イツニナッタラケッコンスルアルカ?」


 唐突なイーヌオの質問にフェイは口に含んでいた飲み物を噴出した。


「それは・・・・・・自分の仕事がひと段落ついたらに決まっているネ。今は大事な時期ヨ」


 朧木は、フェイのやつめ、なんだかんだ言って結婚する気なのかと思った。


「イツモオナジヨウナコトヲイッテイルネ。モウダマサレナイアルヨ」

「私仕事に目覚めたネ! もっと自分の限界に挑戦するヨ。だから他の事にかまっていられないネ!」


 朧木はフェイのやつめ、あからさまに嘘を言っているなと思った。当然イーヌオも疑惑のまなざしでフェイを見ている。朧木は口を挟めずにいた。どうもそのような雰囲気ではない。


「ワタシマチクタビレタヨ。フェイガイナクトモニホンノシゴトハウマクイクネ。ナントナクソンナキガスルアル。フェイ、イッショニチュウゴクヘカエルヨロシ」

「そんなことないネー! 私老師に必要とされてるヨー! ・・・・・・たぶん」

「トテモシンジラレナイアル」

「本当のことネ! ・・・・・・私トイレ行って来るヨ」


 フェイは席を立ちトイレへと向かっていった。その間、朧木はイーヌオと二人きりとなる。なんだか気まずかった。


「オボロキサン、フェイトハドウイウカカワリネ? ドウシガニホンノジュジュツシトテヲクンデシゴトヲスルトハオモエナイワルヨ」

「・・・・・・僕とフェイは商売敵同士ですよ。ただ、今回はプライベートな問題で、あなたとの間を取り持ってもらいたいという相談がありまして協力しました」


 朧木は正直に言った。下手なごまかしは不信に思われるからだ。


「・・・・・・ナルホドソウイウコトカ。ワカッタアル・・・・・・」


 イーヌオがうつむいた。朧木はわかってもらえたのだろうかと思った瞬間、イーヌオの姿が朧木の目の前から消えていた。

 シャッ!

 横から朧木の首に剣が突きつけられていた。


「うわっ!」

「オマエヲタオセバ、フェイハチュウゴクニカエレルアル!」


 それはそうかもしれなかった。フェイの仕事の最大の障害は朧木である。


「一体どこにそんな刀剣を・・・・・・体が剣になっている!?」


 朧木は驚いた。イーヌオは剣を持っていたのではない。腕が一本の剣となっていたのだ。そして恐ろしいほどの早い踏み込みで朧木の脇に付け、剣を朧木の首筋に向けているのだ。朧木は全く反応が出来なかった。彼女は間違いなく剣の達人である。


「ワタシ、コウイウモノネ。フェイ、イッテイナカッタアルカ?」


 朧木はそんな事まったく聞いてもいないと思った。


「そうか。文献で見かけたことがある。君は剣仙と言う存在だな?」


 剣仙とは体が剣で出来ている中国の妖怪だ。


「ソウアル。このキョリナラモハヤワガケン、カワセナイネ」


 朧木、絶体絶命のピンチである。

 と、そこにフェイがトイレから戻ってきた。


「おまたせネー。二人とも仲良くやっていたカ? ・・・・・・アイヤー!?」


 戻ってきて早々に仰天するフェイ。


「ヨカッタネ、イマカラコノオトコ、セイバイスルアル」


 朧木は全く動けずにいた。少しでも動けば切られる。その確信があった。


「何事ネ! 今日は朧木サンと戦う予定は無いネ!」


 今日は、とつけるあたり、フェイもなかなか正直であった。


「ソレモコレモフェイヲオモエバノコトネ」


 フェイがわなわなと震えている。


「そんなことしなくて良いネ。お前は中国におとなしく帰るヨ!」


 フェイがその言葉を最後まで言い終えるか終えないかの瞬間、ヒュンという音がする。朧木が気がついたときには剣仙の剣はフェイの鼻筋に向けられていた。


「ヤハリワタシガイルトツゴウガワルイヨウアルナ? ソコヘナオレ。ドコノオンナニイレコンデイルカキカセテモラウアル」


 フェイの顔色が真っ青になっている。彼もイーヌオの剣筋を見切れなかったようだ。汗をだらだらたらしている。


「そ、そんな覚えないヨー」


 と、言いつつもフェイはイーヌオから視線をそらした。


「ウソツイタアルナ?」


 ヒュカッ、と一閃される剣。朧木達が食事をしていたテーブルが真っ二つに切れた。店員達がおろおろとイーヌオたちを見ている。


「もう、お前に追いかけられるのは嫌なんだヨー!」


 フェイがここで本音を吐露した。その瞬間、目も止まらぬ動きをする剣。はらはらとフェイのスーツの上着だけが切り刻まれて落ちる。


「ジゴクヘイクアル。カクゴスルヨロシ!」


 イーヌオが剣を振りかぶった。フェイは観念しているようだった。


「待つんだ」


 制する声。朧木であった。その声に動きを止めるイーヌオ。


「ナニアルカ?」

「こんな事を僕が言うのもなんだが、イーヌオさんには暫く日本に滞在する事をおすすめするね。そしてフェイのことを見極めたら良い。君にとって本当にフェイがふさわしいかどうかをね」

「・・・・・・ソウネ。ワタシモモットフェイノコトシリタイアル。ゼヒソウスルアル。フェイ、オマエノトコロニイクアルヨ」


 フェイは何てこと言うんだといった表情で朧木を見ていた。


「あー。これは言っていいのかわからないが、僕はフェイにイーヌオさんとの間を仲裁して取り持ってくれるように頼まれているんだ。だから彼も全く気が無いわけではないと思う」


 朧木はフェイをイーヌオに差し出すほうで考えが纏まったようだ。

 朧木の言葉に気をよくするイーヌオ。


「ナラハジメカラソイッテクレルトイイアル。ソレジャア、フェイ。アナタノスミカニイッテイルアル。・・・・・・イバショハモンカセイカラキキダシタアルヨ」


 イーヌオはズカズカとその場を去って行った。呆然としているフェイ。


「朧木サン、困った事になったネー」

「フェイ、君は下手にカッコつけようとせず普段どおりの姿を見せてあげたらよい。それで愛想をつかされるならそれは自然な事だ」

「格好なんてつけてないネー。でも危ないところを助かったヨ。イーヌオが本気を出していたらこっちの首がはね跳んでいたヨ。剣の腕では敵わないネ。首の皮一枚で繋がったネ」

「君もとてつもない女性に好かれたものだな。常日頃の行いの問題かね」

「うっかり一夜の関係を持ってしまったネ。若さゆえの過ちヨー」


 これは全面的にフェイが悪いなと思う朧木であった。

騒がしい夜は終わったが、喧騒の日常は始まったばかりだ。

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