第13話 猫会の怪
通り魔事件が解決してから一週間後の事だった。
その日の朧木は迷い猫探しの依頼を受けていた。彼は午前中に依頼を受けて出掛けていた。
事務所にはさくら一人。他には寡黙な護法童子が留守番をしているばかりである。護法童子は以前さくらが誘拐された事もあって、その用心の為に守りを任されている。護法童子は子供のような外見であり、さくらには護法童子が鬼神の類であるという意識は無かった。
特に何事も無く時間が過ぎていく一日。夕方近くになってきた頃、朧木がペットケージを持って事務所に帰って来た。
「やぁ、丼副君。迷子になっていた猫を保護してきたよ。飼い主が2時間後くらいにやってくるので、それまでこの子を見ていてくれないか? 僕は少々出掛けるところがある」
ゴトリ、と朧木はペットケージを床に置いた。
「わかりました」
さくらは猫を引き受けた。朧木はあわただしく事務所を出て行った。
さくらがペットケージを覗き込むと、中には可愛らしい黒猫が入っている。さくらが軽く手を振ると、猫は興味深そうにさくらの顔を見つめている。
だがさくらも仕事があったので、猫にかまけてばかりいるわけにはいかなかった。彼女は手紙を投函する為に、近くのポストへと向かった。用事を済ませて手早く事務所に戻る。
と、事務所のソファーにはいつの間にか黒いゴスロリ服の女の子が座っていた。女の子の年齢は中学生くらいであろうか。ふわふわのボブヘアーをしている可愛らしい女の子だった。護法童子はどうしたものかと無言でおろおろしているばかりだ。
さくらがどうしたものかと考えあぐね、女の子に話しかける。
「あの・・・どちらさまでしょうか?」
女の子は不思議そうな表情を浮かべた。そして、
「にゃーん?」
と、返事を返す。さくらが困惑する。
「えっ、あのぉ。何・・・猫のまね? ・・・あれ、ペットケージに猫がいない!」
さくらは朧木が置いて行ったペットケージが空になっているのに気がついた。慌てて室内を捜し始める。
女の子はそんなさくらを気にも止めず、自分の髪の毛を手でいじっていた。
護法童子は猫を捜すさくらに対し、女の子を指差している。
「護法童子君。何? この子が猫をどこかへ連れ出したの?」
護法童子は首を横に振った。そして女の子を再び指差した。
「にゃにゃん?」
女の子はもう一度子猫のように声をあげた。
「どういうことなんだろう・・・」
さくらは状況が全くわからずにいた。と、そこに猫まんが猫ドアをあけて入ってきた。
「ただいま・・・おや、この子はなんなんだい?」
猫まんは女の子がいることに気がついた。
「えーと、わからない。私が帰ってきたら座っていた」
猫まんがじーっと女の子を見つめる。
「この子、人間じゃないねぇ。あんた、名前はなんていうのかい?」
猫まんが女の子に話しかける。
「・・・あたしぃ? マルにゃん」
女の子はそう答えた。
「えっ、マル? 所長が探しに行った迷い猫の名前だ」
猫まんがすっくと二足歩行で立ち上がった。
「この子も化け猫の類だねぇ。ふむ、さてはシャ・ノワールだね?」
「あたし何も知らないにゃん」
マルはぷいっとそっぽを向いた。
「えっ、猫まん。シャ・ノワールって何?」
「魔女の使い魔とも言われる黒猫たちのことさ。予言の力を持っているなど言われている。それが人間に化けているんだろう」
「へぇ、じゃこの女の子はさっきの黒猫なんだ? 飼い主は知っているのかな」
「そんなの知るわけ無いにゃん。飼い主はただの人間にゃん。それよりさっきの魔法使いのお兄さんはどこに行ったにゃん?」
「えっ、魔法使い? 所長の事かな。用事があるとかでどこかへ行っちゃったけれど」
「あたしぃ、あのお兄さんの飼い猫になりたいにゃん。魔法使いの飼い猫になるのが自分達の使命だって、お母さんも言っていたにゃん」
「やっぱりシャ・ノワール辺りだね。化け猫ともなると、普通の人間には飼えないかも知れないねぇ」
と、化け猫が化け猫の事を語る。
「ねえ、猫まんはこの子の様に人間に化けれないの?」
「なんだい? わたくしは人間には化けれないよ」
「猫まんって人語を話す以外は殆どただの猫だよね」
猫まんが二足歩行のまま、ふりふりっと尻尾を横に振った。
「だって猫又だもの。わたくしはどちらかというとケット・シーと呼ばれる化け猫とかと同じタイプなんだよ。猫の世界も色々とあるのさ」
マルは猫まんとさくらのやりとりを横から聞いていて、
「なに、このおばちゃん達。さっきのお兄さんはいつ帰って来るにゃーん?」
と言った。
「えっ、何この子。さっきからにゃんにゃんって語尾につけて!」
さくらはおばちゃん扱いされて気分を害したようだ。
「年増の人間。マルはあのお兄さんに会いたいにゃん。飼い主なんてどうでもいいから、マルはここの子になるにゃーん!」
「年増ですってぇ!? さくらはこれでも女子高校生です! 花も恥らう乙女に向かってなんてことを言うのかしら」
「にゃんにゃん!」
「なんなのこの子。あざとい、あざとい!」
マルはフフンとさくらをあざ笑った。
「猫がにゃんと鳴こうが自然なことにゃん」
マルは招き猫のように手を動かした。
「あざとい、なんてあざとい!」
さくらはマルを見ながら身震いしている。かわいい子ぶっているキャラが苦手なのかもしれなかった。
「マルのご主人様は魔法使いがいいニャ」
洋の東西を問わなければ、朧木は確かに魔法使いの分類だろう。
「あいにくと化け猫なら間に合ってます! 二足歩行する猫だけで沢山なの!」
さくらはマルと睨み合っている。
「どちらにせよ、良介の客に返す事になるだろうよ。化け猫だったと知らせるのが良いかね。妖怪にも住民票とか戸籍はあるものでね。きちんと届けてやらなきゃ大変な事になる」
猫まんがマルを見ながらそう語る。
「いやニャン。マルは自由に生きるニャン」
さくらがダメな子を見るような目でマルを見つめた。
「なんてわがままな子なんだろう。猫ってみんなこうなのかな。ねぇ、猫まん」
「子猫のうちに親元から離されたんだろうね。自分が世界の中心と考えている事だろうよ。まぁ、あまりしつけは良さそうじゃないねぇ」
「失礼なおばぁちゃん猫にゃん」
さくらがムズムズしている。語尾にニャンニャンとつけて喋る人間姿の女の子がどうしても慣れないようだ。
「あー、私こういうの駄目!」
さくらはきっぱりと断言した。
「なんだい。そういうあんたもじゅうぶんに猫被りじゃあないか」
「えー、猫まん。私は猫かぶりじゃないよぉ。ていうか、猫に言われたくないし!」
「猫は猫を被るまでもないんでねぇ。しかし、あっちのニャンニャン子猫にはどうしたものやら」
猫まんがマルを見てため息をついた。
その時であった。来客を告げるベルの音。さくらが慌てて出向く。
「はい、いらっしゃいませ〜」
さくらがドアを開けたら、そこには一人の女の人がいた。
「あのぅ、飼い猫が見つかったと伺ったのですが」
女性は飼い主らしかった。さくらはマルを見て躊躇いながら、「あれです」と答えた。
「えっ、どういう事ですか?」
女性の疑問も当然だった。女性は飼い猫が化け猫の類だと知らないのだから。
「えっと、その、そこにいる女の子がマルちゃんです」
さくらがしどろもどろに説明する。
「マル?」
女性は飼い猫の名を呼んだ。
「はいにゃん。ご主人」
女性は返事を返したマルを不思議そうに見ている。
さくらが説明しづらそうにしていると、とてとてと猫まんが女性の前に進み出た。
「申し上げにくい事ですが、あなたの飼い猫はわたくしと同じ化け猫の分類。飼うには特別な申請が必要になるんですねぇ」
女性が猫まんの姿を見て驚く。
「うわっ、猫が二足歩行して喋ってる。可愛い!」
猫の姿のままの化け猫と、うまく人間に化けている化け猫では、猫の姿のままの化け猫の方が、猫好きには可愛らしく見えたようだ。女性はペタペタと猫まんを撫で回す。
「えっ、可愛い?」
さくらの頭に疑問符が浮かぶ。彼女には普段のふてぶてしい姿の猫のイメージしかなかった。
「可愛いじゃないですか! 何なんですか、コレ?」
女性は大はしゃぎだ。
「ご主人。マルは今日からここの子になるにゃん。今までお世話になったニャン!」
飼い主の女性はキョトンとしている。
「えっ、本当にマルなの? ここの子になるってどういう事!?」
「マルは魔法使いの猫にゃん。やっと自分にふさわしいご主人様を見つけたニャン」
飼い主の女性は何やらショックを受けている。
「そんな…マル、私を捨てないで!」
「これまでカルカンをありがとうにゃん。カルカンの事はきっと忘れないニャン」
カルカンとはペットフードのことを指していた。
「マル! それは私の事は忘れるって事?」
「ご飯をくれる人の事は忘れないニャン」
「たまにはモンプチもあげるから、見捨てないでよ、マル!」
女性と女の子の修羅場の様相。さくらと猫まんは黙って横で見ていた。
「なぁ、さくらさんや。カルカンとはゼリー仕立てのウェットフードの事かいね?」
「やだなぁ。猫まんったら。ドライフードの事でしょ。ゼリー入りだなんて、そんな贅沢なキャットフードはありません!」
猫まんが羨ましそうにマルを見ている。
「なぁ、さくらさんや。モンプチとは缶詰の事かいね」
「やだなぁ、猫まんったら。猫用のご飯はカリカリしかありません。贅沢は敵です」
カルカンもモンプチもドライフードはあるが、贅沢なウェットフードもある。
「年寄りには硬いものはきつくてねぇ」
「総合栄養食はカリカリが中心なの。頑張って食べて!」
猫まんがよその飼い主を眩しそうに見ている。
「…よそのお家はトロトロのペースト状のご飯も出てくるようだねぇ…」
「やだなぁ。猫まんったら。この間、人間用の鯖缶を自分で開けて食べてたでしょうが」
「人間の食べ物は塩気がきついねぇ…」
「うーん、人間の食べ物は猫にはあまり良くないから、たまには猫缶くらいはいいかもねぇ」
さくらが妥協しかけたとき、猫まんが「やたっ!」とガッツポーズをした。
「とまぁ、マルさんや。うちは柔らかフードが出てくるのも稀にしかないんだねぇ。それでもうちに来るかいね?」
猫まんの一言で、マルの動きがピタリと止まった。
「…マル、やっぱりご主人のところがいいニャン」
マルはあっさりと引き下がり、ひしっと飼い主に抱きついた。
さくらは、「所詮は
飼い主の女性は満足そうにマルを撫で回しながら、
「ねぇ、マル。マルは猫の姿で喋れないの?」
と尋ねる。
「む〜り〜にゃん」
マルがボブっと煙を上げる。後には女の子の姿はなく、黒猫の姿があるばかりだった。
「やっぱりマルはこの姿が一番よねぇ!」
飼い主の女性はマルをギュウギュウに抱き締めながら頬ずりをした。
マルが迷惑そうに目を細める。飼い主の愛が重いようだった。
「話は丸く収まったようかねぇ。化け猫と言ってもまだ子猫。飼い主がきちんと見ていてあげなきゃねぇ」
「喋る猫、私もほしい〜!」
飼い主の女性は猫まんの話を全く聞いていなかった。
「…わたくしは退散するとするよ」
猫まんはととととっ、と駆け出していった。
「あのう、飼い主さん。その子はどうするんですか?」
さくらが唐突に質問した。
「えっ、どうするとは?」
「ですから、もののけの類なので、きちんと届け出を出さなきゃいけないらしいんですが」
さくらの言葉を聞いたマルが猫の姿のままイヤイヤをした。
「マルと離れ離れになるんですか!?」
「多分このままだとそうなるかと…」
飼い主の女性は、目いっぱいにマルを抱き締めた。マルが暑苦しそうにしている。どうも普段から溺愛され過ぎて苦労しているようだ。
「マルをもののけとして申請すると、どうなるんですか?」
「さぁ…動物の予防接種みたいなのがあったりして。猫まんは大丈夫なのかな」
予防接種という言葉を聞いて、マルはダダダっと駆け出して逃げていった。どうやら予防接種の経験があるらしく、苦手で怖いもののようだ。普通の猫でもペットケージに入れて連れて行くと、ペットケージに入ってくれなくなったりする。
マルは猫まん用の出入り口から外へと逃げ出していった。
「ああっ、マルが!」
「…人間の言葉が分かるようだから、逃げていっちゃいましたね…」
その後、朧木は再び猫探しをすることになった。今度は家出中の化け猫探しとして。
霞町の平和な一日はこうして過ぎていった。
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