第6話 術者達

 その日のさくらは不機嫌だった。いつものようにバイトに出て行って、朧木良介に昨日の顛末を話したが、反応が予想外だったからだ。


「もう少し心配してくれてもいいのに!」


 朧木良介の話もろくに聞かずに飛び出し、自分から囮役を買って出て囮捜査を始めた者が言うには面倒すぎる乙女心だった。

 朧木良介にとっても昨日の話は予想外だったようだ。ただ、「間に合わなかったか」と一言呟いたのみだった。

 そんな朧木良介が口を開いた。


「心配だから猫まんを付けたんだよ。まぁ、結果的にはもう一人の専門家も居たのに狼男には逃げられた、と言うわけか」

「仕方なかったじゃないですか。その時こっちはそれどころじゃなかったんですから!」


 朧木良介はさくらの話を聞いて笑っている。


「悪質なナンパにひっかかったんだって? 全く、とんだ囮役を餌にしたもんだ!」

「笑い事じゃないです! 大変だったんですから!」


 朧木良介の笑いは止まらなかった。


「まぁ、狼男が裏で動いているという裏付けは取れたから良かったかな」


 朧木良介の言葉に、さくらが意外な表情をした。


「朧木さんは狼男が今回の件に絡んでいると思って居なかったんですか?」


 さくらの言葉に、朧木良介はしばし考える。


「んー、そうだねぇ。気になる点はあったからね。もっともその点も踏まえて、打つべき手は打っているつもりだよ。君の考えた手段も一つの手だとは思うけれどさ・・・おや、なんだ?」


 朧木の様子がおかしかった。難しい表情で椅子に座っている。

 と、その時、コンコン。と事務所のドアがノックされた。

 さくらが玄関を開けると、そこにはフェイ・ユーが立っていた。

 フェイ・ユーは応接室に通された。所長室に座る朧木良介のもとにさくらがかけより、小声で話しかける。


「今日の面会予約は無かった筈ですが・・・」


 以前の亜門が訪れた時と同じようなやり取りだった。


「急な依頼かもしれない。僕が話を聞こう」


 朧木良介は応接室で茶を飲んでいるフェイ・ユーの正面の席に座った。


「やぁ、始めまして。アナタ、ここの責任者カ?」


 フェイ・ユーがニコニコしながら朧木良介に話しかける。


「そうです。僕は朧木探偵事務所の4代目所長。朧木良介と言います」


 朧木良介はすっと名刺を前に差し出した。フェイ・ユーは目を細めて名刺を眺める。

「ほう、探偵ですカ。あなた、裏の顔を持っているネ?」


 フェイ・ユーの言葉に、名刺を差し出した朧木良介がピクリと動きを止めた。


「・・・えぇ、そうですが、どこでそのことを?」


 朧木良介の質問に、フェイ・ユーが「くっくっくっ」と笑いながら、スーツの懐から何かを取り出した。

 それは紙切れだった。人型の紙切れ。それが左肩から袈裟切りに破られている。


「先ほど、そこで妖怪の類と間違えて切り裂いたネ。これ、あなたの使う術カ?」


 フェイ・ユーはすっと破られた人型の紙を差し出した。


「・・・これは僕が放った式神。紙切れに仮初めの命を吹き込んで従者として使う術です。・・・そうか。さっき感じた式神が消えた反応はあなたの仕業でしたか」


 フェイ・ユーは興味深そうに紙切れを眺めている。


「そうカ。そうカ。これが日本で発達した術ネ。道術には無かったからわからなかったよ。引き裂いてすまなかったネ」


 フェイ・ユーは糸目を尚細めてすまなそうにしている。


「えぇ、陰陽道と言うものの術です。陰陽道は中国の道教にルーツを持ちますが、式神は確かに日本独自の術です」


 朧木良介もフェイ・ユーに興味を持ったようだ。少々警戒をしている。


「申し遅れたネ。私、フェイ・ユー。道術に少々精通している。最近この町にやってきたネ。あなた、このような術で自分の住まいを警護させているのカ?」


 フェイ・ユーは笑顔で自己紹介をしながら朧木良介に尋ねた。もっとも、その笑顔は本当に愉快で楽しくて笑顔なのかはわからない。


「いや、自分の屋敷の警護の為ではないですよ。・・・ちょっとした事件の捜査の為に町中に放っているんです」


 フェイ・ユーは頷いた。


「沢山街中で見かけたネ。普通の者は気がついていないようだが、私のような術者なら何事かと思うネ」

 さくらは物陰で話を聞いて驚いていた。朧木良介が何もしていないと思っていたのだ。


「既に街中に数十体。一日おきに数を増やしていっていますね。まぁ、先日お目当ての相手が早々に現れてしまって、準備不足で対処できませんでしたが」


 さくらが狼男に遭遇したのは想定よりかなり早かったようだった。本来なら町中に張り巡らせた式神で捜索する予定だったのだ。

 フェイ・ユーが「くっくっくっ」と笑う。どうやら心底愉快そうに笑っているようだった。


「あなた、中々のやり手のようネ? この術。数体も使役できればいいほうネ。それを数十も同時に使役しているなら、相当な使い手であるのがわかるネ」

「・・・とは言っても、探している者を見つけるのが目的。式神達は特に何も出来はしませんがね」

「いや、それだけで十分ね。そうそう、自己紹介が足りなかったね。私、山国町議会議員の客人でもあるネ」


 フェイ・ユーの口から出てきた山国という名。その名を聞いて朧木良介は笑った。


「・・・なるほど。僕にとっては想定外の客人と言うわけだ。きちんとしたもてなしが出来ずに申し訳ない」

「・・・あなた、いい笑顔する。私、今日はただのご挨拶ネ。中国でもまずは挨拶がとても大事。先に言わずともわかっているだろうが、今回の件。背後の町議会議員達の進退問題がかかっているね」

「なるほど。色々な意味で今後のご挨拶と言うわけだ」

「そういう事ネ。私には事件がどうなろうが知ったことではないが、お手並み拝見するヨ」

「ならば、是非ご静観頂きたい・・・」


 と、朧木良介が言葉を紡いだところ、いつの間にかフェイ・ユーは左手をポケットに入れていた。フェイ・ユーの左手がすっとポケットから符を取り出す。

「これが返事ネ。・・・点火ディェン フゥオ!」


 フェイ・ユーはそう叫ぶと右手をさっと応接室のテーブルに振りかざす。テーブルの上に置かれていた破られた式神の紙にぼっと火がついて燃え上がる。それは一瞬大きな炎と成ったが直ぐに消えた。

 朧木良介が慌てて立ち上がったところ、目の前に座っていたフェイ・ユーの姿はいつの間にか消えていた。フェイ・ユーの座っていた場所に、ひらひらと一枚の符が舞い落ちる。

 朧木良介はその落ちていた符を拾い上げた。


「・・・点火。発火の力を持つ火成符か。火種となる、と言う意味かねぇ」


 朧木良介はそのようにのんきに述べている。さくらは自分のデスクの影で驚いていた。


「朧木さん。な、何ですか、今の?」


 朧木良介が振り返る。


「これは中国の道教に伝わる道術。その中の符術の一種さ。ま、ちょっとしたご挨拶、なんだってさ」

「朧木さん、なんだか平気そうですね?」


 さくらは平然としている朧木良介の様子に気がついた。


「なにかしらが現れるのは予想していたからねぇ。教会の女性のエクソシストに続いて中国人の道士か。競合他社が多くて困るよ」


 朧木良介はそういうとおどけて見せた。とはいえ、内心はライバル企業? がわんさか現れて心穏やかではない。安楽椅子探偵になりたいという男にとっては過当競争にも等しい状況が出来上がってきていることが、気が気でならないのだ。


「ところで、山国町議会議員とは誰なのですか?」

「あぁ、僕のスポンサーのライバルさ。狼男よりよほど手ごわそうな相手だよ」


 さくらはふと何かに気がついたようだ。


「あのぅ、常々思っていたのですが、町議会議員ってこの町の何なのですか?」


 朧木良介は「ふむ」と一言呟いた。


「この霞町を取り仕切る行政機関の代表者、とでも言うかね」

「なんだか話を聞いていると、とても大きな権力を握っているように聞こえましたが」

「この『霞町』の町議会議員というのが大きいのかもね。霞町は『特別な』町だから」


 さくらは首をかしげた。


「朧木さんがどうしてそんな権力者とお知り合いなのかはわかりませんが、事件解決に向けてのやる気が無いわけではないので安心しました」


 朧木良介は意外そうな表情をした。


「んっ、僕がそんなにやる気なさそうに見えていたわけ?」

「そりゃそうですよ。早速何を始めるのかと思えば、待つと言い始めるんですから。でも、先ほどのフェイさんとのやり取りを聞いていると、何もしてないわけじゃあなかったんですね」

「んー、そうだね。僕は式神を町中に放っていたんだ。狼男を見つけ出すと知らせるようにしてある。これでただ闇雲に探すよりも見つけやすくなる。まぁ、さっきの男といい面倒ごとばかりがドンドン増えてくるけれどさ」


 朧木良介には先ほどのフェイが気がかりでなかった。自らの元を訪れ、堂々と山国議員のところに居ると宣言して帰ったのだ。

朧木良介は知っている。山国議員の交友関係は利権で結ばれている傾向が強い。つまり、フェイ・ユーにもなんらかの背後関係があり、利害関係で山国議員と結びついている可能性が高い。そんな相手は・・・事件の外側の思惑で動く。霞町の平和の為に活動を心がける朧木良介にとってはイレギュラーな存在でしかない。

 事件が解決しようとしなかろうと、彼らとのいざこざは無くならないのだ。この継続性のある課題は朧木良介の頭痛の種となっていた。


「式神って、先ほどの紙切れがそうなんですか?」


 朧木良介は頷いた。今までさくらに術の類を見せたことがない事を思い出したのだった。


「あれはただの実体さ」


 朧木良介は所長机の引き出しから一枚の紙切れを取り出した。


「あっ、さっきの紙切れと同じ形の紙切れだ」

「そう。これに髪の毛を一本挟み込んで・・・式神将来!」


 そういうと朧木良介は紙切れを前方に放り投げた。紙切れは地面すれすれをホバーするようにするするっと飛行し、くるりと反転してまばゆく輝く。

 輝きが収まった時には、その場に子供のようななにかが立っていた。


「うわっ、人間にしか見えないっ!」


 子供のような何かは人形のように無表情だった。


「これが式神さ。街中に潜り込ませて狼男を探させていた。見つければ術者である僕に即座に伝わる。これは簡易召喚。この程度なら楽に使役できる。普通の強力な式神招来は和歌を練り上げて行うんだよ」


 さくらが朧木良介を羨望のまなざしで見る。


「所長ってすごい人だったんですね!」


 朧木良介は軽くずっこけた。なので、さくらが敬意を込めて所長と呼んだことに気がつかなかった。


「あれれれ。今まで僕の事をどう思っていたんだろう」


 さくらは頬に指を当てて思案する。


「そうですねぇ・・・昼行灯?」

「あららら。僕ってそんなに信用無かったんだ!」


 朧木良介の頬を汗が伝う。想像以上に自分の評価が低かったことを驚いているようだった。それならば始めにさくらが話も聞かずに飛び出していったことも納得と言うものだった。


「だって、今回が私にとっては初事件なんですよ! 所長の実力なんてわかるわけがないじゃないですか!」


 さくらはエキサイティングな日常を求めて朧木探偵事務所のバイトに志願した背景もある。このような変わった出来事に首を突っ込みたくてうずうずしていたのだ。


「なんともはや・・・」


 朧木良介はさくらがかつて怪異に襲われて命を落としかけ、それ以来毛嫌いしていることを知らなかった。今でこそ人に仇なす妖怪を憎みこそすれども、かつては超常現象や悪魔や妖怪といったものは興味の対象だった。そんな彼女が超常現象絡みの事件に関われるかもしれないと探偵事務所を訪れてバイトに志願したのである。非日常は所長の朧木良介の飼い猫が化け猫の時点で既に予兆はあったのかもしれないが、さくら自身は深く考えていなかった。所長自体が超常現象を操ると知って、内心では驚いているのだ。


「朧木さんが何か術を使える人だと思いませんでした」

「これくらいは出来なければ、僕はこの事務所の四代目にはなれていなかったさ」

「・・・そういえば、所長はなぜにこの町での怪異に関わる重要な立ち位置に居るんですか?」


 朧木良介が真剣な表情に変わった。


「それはまだしていない話だったかな。うーん、話せば長くなるんだけれど、平たく言えば、僕の後ろ盾である怪貝原町議会議員にとって、僕の祖父は恩人である。その怪貝原議員がその権限で僕をこの町の要職である守人に抜擢してくれた。守人はこの辺り一帯を守る役職であり、守人は代々その土地を守る実力者が役割を担う。この町で唯一の退魔師である僕の仕事となった。以上」

「全然長くないですよ? 所長はコネで今のポストについたんだ」


 朧木良介がさくらの言葉にうーんと唸った。


「なんだろう。棘がある感があるのは気のせいかな? 能力に信頼が無ければさすがに怪貝原議員も僕を指名しなかっただろうさ・・・もっとも、当時の僕の能力を買ってくれたというよりは将来性こみで成長する事を前提に任せてくれた節もある。僕にとっては怪貝原議員が恩人なんだ」

「そんなものなのかなぁ」

「仕事と言うものも案外そういうものさ。人と人との繋がりを、ご縁と言うものを軽く見てはいけない」


 朧木良介はこのときは真顔でそう語る。それは彼自身の世界観、人生観にも繋がっていた。朧木良介は人の助けを得て今に至る。朧木良介は様々な人に感謝を述べる。それはそれだけ彼が幸運だった事を現してもいる。

 人に恵まれた者は幸運である。

 人は自分の力だけで生きていくのは非常に困難だと思う。だからこそ色々な人の手を借りる。力を借りる。

 朧木良介は自己の力だけで生き抜くことの限界に、壁にいち早くぶつかり、それ以降は人への感謝を忘れずに生きていく事を決めていた。

 彼は彼が育った町である霞町に多くの恩人達が居る。

 ゆえに、仕事でいかなる困難に当たろうとも、彼は決して背を向けない。そのようにあって、朧木良介はようやく人に認められる仕事をこなすようになった。

 さくらが不意に尋ねる。


「じゃあ、今回の事件を所長は解決できると、そうお考えなんですね?」

「・・・当たり前さ。霞町の平和は僕が守る!」


 朧木良介は真っ直ぐ見つめてくるさくらを見て、真剣な面持ちでそう返した。

 さくら自身が超常現象で危険な目にあった側である。超常現象と戦う者に敬意を払わぬわけが無い。

 さくらは喜んでいた。自分の雇い主が、自分が捜し求めていた理想の人物像である事に。


「じゃあ、早く狼男が見つかるといいですね!」

「早くは見つからないかもしれないが、チャンスはもうじき訪れるよ」

「・・・? それってどういう意味ですか?」


 さくらが小首をかしげた。


「あぁ、僕が待っているのは時期なんだ」


 朧木良介は静かに所長椅子に座った。そして机上のカレンダーを眺めた。そのカレンダーには月齢が書いてあった。


「そういえば、所長は待つって言っていましたね。何を待っていたんですか?」


 朧木良介はにっと笑った。


「狼男といえば満月の晩だよ!」


 さくらは少し間を置いて反応した。


「あっ、そういえばそうですね!」

「今、何だか間があったような気がしたが・・・・まぁいい。以前に狼男の話を聞いた時にはちょうど満月が近かったもので、ならば満月の晩を待とうかって思ってね。式紙たちを放ちながら準備をしていたのさ」


 やはりさくらの反応がいまいち鈍かった。


「あのぅ、狼男が満月の晩に変身するのって、創作のイメージなんじゃないんですか?」


 さくらは以前に猫まんから聞いた話を気にしていた。


「いや、狼男と満月は切っても離せないんだ」


 さくらは猫まんから聞いたキリスト教史観による狼男の伝承を思い出した。


「宗教絡みでのお話がありましたが、そういうものなんですか?」


 朧木良介は頷いた。


「そっか。さては狼男の事を猫まんから聞いたな? なら説明は省くが、キリスト教の異端者等を満月の晩に狼の皮を被せて野原をさ迷い歩かせたのもなぜ満月の晩なのか、なのさ」

「そういえばなぜ満月なんですか?」

「月は人を狂わせる、と言う伝承もある。満月は特にね。つまり、狂気の象徴なんだよ。狼男にとっても例外では無くて、自己のコントロールが出来なくなるんだ。自ら望まずとも変身してしまい、血が騒いで月夜に吼えてしまうのさ」

「それが創作物にも反映されて今のようになった、と?」

「その通り。もうじき訪れる満月の晩。狼男は必ず動く。少なくとも人の姿のままではいられない。その日こそ千載一遇のチャンス。それまでに式神を沢山用意しておき、必ずや見つけさせるようにしておかないと。・・・今度は逃げられないようにね」

「・・・ん、今度は?」


 さくらは朧木良介の言葉の端が気になった。朧木良介は両手を合わせてさくらに謝っている。


「あぁ、ごめん。あの日の晩。猫まんやカトリックの専門家が一緒に居るから大丈夫だろうと、式神にはノーマークにさせてしまっていたんだ」

「あぁ、所長! 私を放置したな!」

「だからごめんって。まぁ、今度は必ず捕まえて見せるよ」


 さくらが少しだけ考え事にふける。どうやら気になる点があるようだ。


「所長。もし狼男が見つかったらどうするつもりなんですか?」

「もちろん捕まえるさ」

「・・・所長は戦えるんですか?」

「もちろん戦えるさ」


 朧木良介はあっさりとそのように返した。それは自信の表れか。あくまでこともなげに返事を返したのだった。

 だからさくらもそれ以上は何も聞かなかった。そして一行は満月の晩を待つことになる。

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