5月7日 4
第3Qは抜いたり抜かれたりと拮抗していたものの、第4Qが始まる頃の得点板は「78対76」の点を示していた。
そして迎えた最終Q。コートを駆ける10人の目からは、これまで以上の覇気すら感じられる。
徳沢がシュートを入れると、海皇もゴールを決める。
海皇がゴール下で得点すると、徳沢のスリーポイントがネットをくぐる。
点差は開いたり縮まったりを繰り返し、遂に残り時間は1分を切って電光掲示板に1/100秒までが表示された。
現在、海皇95点、徳沢97点。
「止めろ!」
水島がスリーポイントラインでパスを呼ぶのを見て、徳沢6番のPGが鋭く叫んだ。
インサイドに切り込んでいた不動が水島にパスを回すと、マーカーの覚が跳び上がってシュートの阻止を図る。が、覚が最高点に達した時、水島の足はまだ地に着いていた。
彼は、ボールを頭上にかざしただけ。…跳んで、いない。
味方すらも欺く完璧なフェイク。覚は気付いたようだが、もう遅い。
マーカーが着地する頃、水島は悠々と跳び上がってシュートを放った。ボールは天井に綺麗な弧を描き、音も無くネットに吸い込まれる。
残り15秒。海皇98対徳沢97。
覚から「藤堂」と呼ばれていた5番が、ゴール下から6番にパスを回す。
が、その前に立ちはだかったのは黄宮と天海だ。
二人がかりで6番を封じ、ボールを奪おうとしている。
突然のダブルチームに怯んだ6番は、二人の後ろでパスを呼ぶ仲間に目を移す。そして、ボールを回そうと頭上に手を挙げたが…その瞬間、何者かが彼の手からボールを奪い取った。
「なっ!?」
振り向いた6番の目に入って来たのは、海皇の6番がインサイドへとドリブルを展開する姿。
神嶋だ。海皇のエースが、徳沢の隙をついて得点を狙っている。
「決めろ!神嶋!」
不動が叫んだ。覚と藤堂が止めに入るが、間に合わない。
神嶋が立ち止まって、ストップ&ジャンプシュートを放つ。ボールが宙を舞う間も、電光掲示板の数字は動き続けて…。
シュートが決まったその瞬間に、その数字はゼロに変わった。
100対97。勝者、海皇中学校。
「っしゃあああ!!!!!」
コートの中で、海皇選手達の勝利の咆哮が轟いた。頭上のギャラリーでは、一瞬白けた空気が流れたものの、すぐに彼らに続いて歓声や拍手が上がり始める。
整列や挨拶が終わると、私は徳沢側のベンチへとゆっくり歩いて行った。広いコートを縦断して、足を止めたのは…そう、覚の前。
私の姿を見た彼は、ほんの少しだけその双眸を見開いて見せた。
「覚」
「…俺らの完敗、やな。また日ィ改めて挑ませてもらうで」
「おん。…覚、変わったんやね。昔より、めっちゃ強くなっとった。海皇の事ここまで追い詰めた選手、覚だけやで。…今の覚見とったら、過去に縋っとったうちがほんま阿呆らしうて…」
「…何や、藍もやってん。俺も…沖縄来たばっかの時は、藍がいのうてほんまに大変やった。…やけど、藍も藍で頑張っとる思うたら、無性に突っ走れたん。…藍、さっきの言葉、訂正するで。海皇さんとは、ほんまにええ試合させてもろた。…次は、今年の夏…全中でリベンジしたる」
「…おん。約束、な」
3年前より大きくなった拳に自分の拳をぶつければ、目の前の少年は嬉しそうに笑う。
…ああ。変わってない、な。下がる目尻も除く歯も、最後に見たあの時のまま、私の知る我妻覚のままで。
『蘭堂!…本当か?今日、我妻に会ったって』
『…うん』
…沖縄に来て2日目の夜、個人練習とミニゲームの終わった午後10時の体育館で。ドリンクボトルを回収する私に掛けられた、切羽詰まったような水島の声。
『…なあ、訊きたい事あんだけど』
『…何?』
『お前さ…我妻の知り合いだろ』
『…ッ!?』
『出身、我妻と同じ大阪って言ってたろ。それに、当時の我妻は同い年の女子とコンビ組んでたって聞いたしな。それと、昨日の夜…徳沢戦のビデオを観た時のお前の反応。…全部偶然かもしれねえけど、もしそうじゃねえってなら…』
『…そう、だよ。…ずっと黙っててごめんね。覚の幼馴染なんだ、私』
…水島、やっぱり頭良いなあ。まさかバレちゃうなんて。…声、震えちゃったけど大丈夫だよね。
『…何で、違う中学に進んだんだよ。それに…蘭堂、何でお前はプレイヤーじゃねえんだよ』
『…受験を意識するようになって来た頃だったかな。覚ね、徳沢から推薦貰ったって私に話してくれたの。それで、その話の後に誘われたんだ。公立最強校で、また一緒にバスケしようって。…でも、私は親が離婚して、海皇に来なくちゃいけなかったから…。…覚は、何も悪くない。裏切ったのは私なんだよ。辛い事から逃げて、3年間…ずっと目を背けて来たんだから』
…軽蔑、してるよね。相棒に酷い仕打ちをしておきながら、当の本人はプレーヤーから逃げて、のうのうとマネージャーなんてやってるんだから。
誰もいなくなった体育館に、少しの間流れた沈黙。…小さく息を吐くと、水島は『でもよ』と口を開いた。
『…目、向けたんだろ。確かに時間はかかったかもしんねえけど…今回の徳沢戦に同行したって事は、向き合う覚悟が出来たって事だろ』
『…!』
『それで十分だと思うぜ。…蘭堂と我妻の過去に、俺達は立ち入れねえけど…その分、今の仲間として手助けは出来る』
決別、して来いよ。なんて、水島は私の背をポンと叩く。…そっか。私、今は海皇の一員なんだ。
『有難う。…練習試合、絶対勝ってね』
『負けねーよ』
ちょっとだけ笑った私は、差し出された水島の拳に自分の拳を軽くぶつけた。
靴を履き替えて外に出ると、少し歩いた所で「蘭堂、早く」と車の運転席に座った監督が手招きしていた。…って、あれ?
「…監督、黄宮達は…?」
「ここから空港までは走って行くように言った。さっき出発したばかりだが、フライトには十分間に合うから安心しろ」
砂浜15kmだ、と補足した監督の隣に乗り込むと、私は監督が指さす先…砂浜へと目を向けた。
穏やかな波が打ち付けるそこでは、監督が言った通りいくつもの足跡が空港の方角へと続いていた。更に、車の後部座席では、本来ソファーしか無いはずの空間に10数人分の荷物が所狭しと詰め込まれている。
「…空港で現地集合って事ですか」
「勝ったとは言え、課題も多く残った試合だからな。それに、折角沖縄に来たんだから良い機会だ。…ところで蘭堂」
「…はい」
「実際に戦ってみて、水島は何と言っていた。8月の全中で、海皇の脅威となる存在か?」
「…断定は、難しいそうです。試合中に彼が言っていた通り、決定率がずば抜けているのは我妻だけ…つまり、彼さえ止めてしまえば後は一山いくらのレベルですから。それに…私の考えですが、今年は霧華を初めとした多くの強豪も、近年稀に見るほどのベストチームを作って来ていると聞いています。…そんな猛者達を倒していかないと、徳沢は海皇と戦う事が出来ないかと」
「…そうか」
私の言葉を聞いて一言零すと、監督は車を発進させた。海沿いを走る車窓の外で、閑静な住宅街が特に目にとどまる事なく流れて行く。
ふと窓の外を見やると、砂浜を走る10人の少年達が監督の運転する車に追い越された。
そんな彼らの向こう、穏やかな水平線上に、燃えるように赤い夕陽がその身を委ねようとしていた。
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