第1.24話 王の娘ミア、火龍との長きに渡る戦いを始めること


 龍の伝説についてはエッダ——アグナルの母親から聞いたことがある。正妻の娘であるミアにとって、父親の愛人だった彼女とは複雑な関係ではあったが、ミアは彼女のことが嫌いではなかった。彼女は娼婦で、さまざまな口伝や物語を知っていた。ミアが父親との関係に悩んで彼女のもとを訪れると、伝えて聞いた話を教えてくれた。


 かつて(現在も、だが)、この〈半島〉には龍信仰があった。どのような土地でも龍というものは象徴的なアイコンであり、伝説的な存在であるのだが、〈半島〉は他の土地よりもその信仰が深かった。

 龍を崇める。

 龍を学ぶ。

 龍に近づく。

 手段を違えてはいたものの、それぞれの手段で龍信仰を行ってきたのが拠点が皇都、学都、そして帝都という三都市である。

 三都の思想や手法は異なってはいても、到達点は同じだった。

 すなわち、「龍になること」。


 では龍になるためには、如何様にすればいいのか?

 龍の肉を食らう。

 龍の血を浴びる。

 龍の住処で霊気を浴びる。

 龍の知識を己がものにする。

 龍をひたすら崇める。

 己が龍であると信じる。

 さまざまな手法が考えられるも、 いずれの方法も龍になるための決定打にならず、龍化の法は実現しなかった。

 が、実はそれが公にならなかっただけで、龍になるための秘法は存在しているのだという伝説もある。そして、三都を治めるものはそれに通じているのだと。

 三都に伝わると言われる、真の龍化の法。そのひとつ。

 龍の肉を喰らうのではなく、「喰らわれる」。これにより、喰らわれた龍と一体化する。

 そんな伝説。


「……ラーセンッ!」

 確信を持って憎むべきものの名を、ミアは口にした。眼前の存在の名を。巨大な顎を持つ、山ほどに巨大な龍の名を。

「わが名は」

 目の前の龍の喉が動いて音が響いたとき、最初ミアはそれが声であるとは認識できなかった。ただ聞いているだけで、否、耳を塞ごうとも、振動として腹の底に響いて身体の中までも蹂躙してくるかのような、声。自分の知る者とは違う声。だが、確信している。父親の声。

「わが名はファヴニル」

 と龍は言った。ミアを見下ろして。


(ファヴニル………)

 ワインレッドの体表のドラゴンを睨み返す。

 青い目、金色の髭。何より、ミアの前に立ち塞がり、ミアではなくアグナルを帝王であると宣言することこそ、目の前の龍が死んだはずの龍王ラーセンだという証左であった。

 龍に喰われることで龍と一体化する。それが帝都の龍化の秘法。それは間違いなく機能している、らしい。

(記憶までは受け継がれていない……? いや、混在しているのか………)

 記憶が継がれないのであれば、それは龍になったとは言えないだろう。ただ喰われただけだ。ならば、まだ表面化していないだけか、混じったのか。元の、ラーセンを喰らった龍が、ファヴニルという名なのかもしれない。あるいは混乱で、伝説に出てくる龍が己だとでも思ったか。


「矮小なる者、ミア。おまえに〈半島〉は相応しくない」

 とドラゴンが言ったとき、ミアは激昂しかけた。

 が、これは眼前の龍にラーセンの意識と記憶が僅かでも残っている証拠だとも思った。少なくともこの龍は、ミアの名と姿を知っている。

「玉座を去れ。どこへでも消えろ」

「黙れ、龍。黙れ、龍。人の身でなくなったおまえにこそ、この〈半島〉は相応しくない! ここはもはや、人の土地だ!」

 ミアは杖を地に突き立てた。石畳で補整されているはずの噴水広場だったが、龍の着地の衝撃で砕け、土が露出していた。ゆっくりと立ち上がる。


 兵たちは怯えている。保護されて噴水広場に集まって来た都民たちも。戦えまい——だが怯えているということは、龍に友好的ではないということでもある。

 龍が、なんだ。いまさら、なんだ。

〈半島〉に龍信仰は、ある。あるが、それはただの人の心に根付いた価値観だ。龍を崇めてその言いなりになるわけではない。アグナルが王だと宣言したところで、龍に怯える者たちはそれを支持しない。

 まだ、負けていない。

(負けない)

 まだ、戦える。

「王はわれではない。次なる者はアグナルよ」

「おまえが選んだ者ならば、おまえに支配されているのとおなじだ。おまえの指図は受けない」吐き捨て、ミアは龍の背の上のアグナルを睨む。「アグナル、降りて来なさい! こちらへ!」


 声に促されるようにアグナルが動こうとしたが、その瞬間に龍が大きく前足を上げた。踏みつけ。踏み鳴らし。アグナルが背から降りることを妨げるかの動き。

「アグナル、早く! あなたを助ける!」

「騙されるな、あの女はおまえを殺す気よ」喉を鳴らして龍が嘲る。「わからんか、アグナル」

 ミアは舌打ちしたくなった。アグナルは、動けない。この状況、せめて彼が全面的にミアを支持してくれていれば、危険を冒して龍の背から飛び移ってくれることもあり得なくもないだろうに、不信感を抱かれてしまっている。

「ね、ねえさま………」

 消え入りそうなアグナルの声が聞こえた。くそ、あの子はこんなときでもはっきりしない。うじうじしていて、気弱で、決断力がなくて。

「アグナル、さぁ、絶対に、大丈夫だから………」

「ねえさま、アウロラを……アウロラを………」

「アウロラ?」

 ミアは隻眼の小柄な乳母のことを思い浮かべた。アグナルを捕らえるときについでに彼女も別の場所に軟禁したが、彼女がどうしたのか。

「アウロラのことを、どうか………」


 彼が言い切る前に、龍が羽を動かし始めた。

「待って、待って……お願い!」アグナルが叫ぶ。「わたしを王にしたいなら、そうしろ! 龍の力で、そうすればいい!」

「王とは己の力でなるものだ。おまえはそうする。王にされるのではない。王になるのだ。これからな」

 龍とアグナルの会話の隙に、ミアは近くにいた兵が背負っていた弓を奪った。矢も。番えて、引く。

「逃げるな、龍!」

 矢を放つ。

 が、遅かった。いや、どちらにせよ、矢など通じなかったか。巨大な羽ばたきの前に、矢は運動量を失って吹き飛んでしまった。近くにいたミアも、また倒れてしまう。


 龍はそのまま空高く飛んでいく。

 空の向こうへ消えていってからようやく、近くにいた兵士がミアを起こしに来た。「ミアさま、大丈夫ですか?」だ? くそ、何もかも後手だ。

(だが、まだ負けていない)

 敵なるは父親の魂を宿した火龍ファヴニル。

 そして帝王の後継を指名された私生児の少年。

 こちらにあるのは龍の火に焼き尽くされた一都市の兵団のみ。

(だが、負けていない)

 おまえになど負けるものか。ミアは血が出るほどきつく拳を握り込んだ。 


 これが帝都の王の娘ミアと火龍ファヴニルとの、〈半島〉の覇権を賭けた戦いの始まりだった。

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