第1.18話 人狼騎士ジリー、王の娘から勅命を受けること
「人里から離れた場所で、新しい馬を調達できるまでは長距離走らなければいけなかったため、体重が軽くて馬に負担をかけないぼくが伝令の役を担うことになりました。それで、ずっと馬を走らせてきて……
「そのあたりのことは、あとでどうにかします。ご安心なさい」
と話を続けるルーネをミアが宥めた。その声色は優しくはあったが、どこかぎこちなさも感じる。単純に、誰かに優しくすることに慣れていない、というだけではなく、彼女の中に生じた負の感情をどうにか表に出さないように抑圧している、というように見える。
ジリーは傍らで鼻を鳴らす。ひとの感情は匂いに出る。が、人狼では犬ほどに嗅覚は鋭くはない。それでも、どこか恐怖に近い匂いを感じ取った——この女が、恐怖?
(青天の霹靂だな)
などとジリーは思った。少し愉快ではある。
「あなたはその話を、他の誰かに話しましたか?」
「ええと……」ルーネ少年はジリーを一瞥する。「すみません、帝都に来た直後のことはほとんど覚えていなくて……ジリー隊長には話したような、気がするのですが……」
「自分と騎士団の他の数名は、聞きましたね。ま、ほかにも伝わっているかと」
と悪びれずいうと、ミアは睨んでくる。どうも、いまルーネから聞いた話と、ジリーが上に上げたときに彼女まで伝わらなかった話の間で、何か重要な齟齬があったらしい。とはいえ、ジリーが彼女に直接説明したわけではないので、途中で何か言葉が抜け落ちていたとしても、彼の責任にされても困るのだが。
ルーネの疲弊が限界そうだったので、ジリーはミアに退出を勧めた。
「すみません……王をお守りできず………」
とルーネは泣いてベッドに伏せた。十数秒後には寝息を立て始めて、未だ身体が強行軍の疲れから立ち直っていないことがわかる。
「お守りできず、ね………」
と小さな声でミアが呟くのを聞きながら、医務室を出る。通路に出たところで、ミアが溜め息を吐いた。
「龍に喰われて死ぬだなんて……あの男には相応しいと思わないか、などと笑って言えれば良かったのだけれど」
というその言葉だけ聞けば、この女にもラーセンのことを肉親として想うだけの人間味はあったのか、などと思っただろうが、しかしその表情と声色は憎悪が渦巻いていて、彼女の中にあるのが後悔や懺悔などではなく、怒りと憎しみなのだということがわかる。
だがそうなのだとすれば、彼女をそうさせた原因は何なのだろうか。ラーセンが死んだのであれば、彼女が憎み続けていた存在はもはやいないはずなのに。
「事情が変わった。アグナルは始末しなければならない」
どこへ向かうかも言わずに、ミアは歩き出した。来るときとは打って変わって、速い歩調で。
「は?」と、後を追いかけながらジリーは問う。「アグナルは式典に参加させ、あなたが帝位を継ぐことを祝福させる、というつもりだったのでは?」
アグナルやアウロラを拘束しなければいけなくなったとき、為政者の地位を受け継ぐ者としてこれからどうするつもりなのか、ということは隊長格としてミアから聞いていた。
ミアは帝位継承の第1位ではあるが、女であるがゆえそれが認められにくい立場でもある。実際、ヒェテイルなどという貴族などの一派はミアが帝位を受け継ぐことに反対し、私生児であるが男子であるアグナルに帝位を継がせるようにと主張していた。そんな者は少数派なのだが、力ある貴族が中心となっているのであれば無視するのもの難しい。
「アグナルが実際に王に手を出したのかは不明だが、王を暗殺した人狼の女を保護していたのは確かだ。まずはアグナルとクマという女……それにアグナルの保護者であるアウロラを城の中で保護し、話を聞く」
と、建前ではそんなことになっていたわけだが、裏では「帝位を継ぐにあたってアグナルの協力も取り付ける」という話も進んでいたのだ。
ジリーとしてはそのような流れは特に反対するものではなかったが、アグナルが害されるとなると話は別になる。
「いや……先にあの女か?」とミアはぶつぶつと独り言のように言った。「」「クマとか言ったか。あれの正体はなんだ?」
「さぁ?」
ジリーは悪びれずに肩を竦めた。
実際、知らない。が、ある程度想像はつく。
アウロラとの会話の中でそれらの可能性を挙げたとき、もっとも反応が薄かったのは「皇都の暗殺者」という可能性を出したときだった。ひとは嘘を吐こうとするとき、努めてそうしようとするがゆえに動きが鈍くなる。アウロラは彼女の出自を聞いていたのであろう。
クマという女が皇都の暗殺者だということは、これまでの相対したときの様子や攻撃性、ラーセンの元にやってきたことなどと矛盾しない。
が、果たしてなぜ彼女が皇都にやってきたのか、どうやって龍を使役したのか、あるいは龍に食われるだけの何かがあったのか、などはわからないし、彼女がアグナルの周りでうろうろしていた理由も杳として知れない。
「そもそも……あの女を連れてきた龍は、どこからやってきた?」
と、ミアもジリーと同じようなことを考えていたらしく、疑問を発した。
「どこから、については、おおよそは把握しています。北です」
「北……〈冬の魔王〉か」
「あるいは、到達不能山脈か」
〈半島〉の三都、〈帝都〉、〈皇都〉、〈学都〉のほかに力を持つ勢力である北方の勢力は、その正体に不明な点が多い。ただ〈冬の魔王〉なる存在がいるということだけが知られている。3,000m級だといわれている到達不能山脈を背にした魔都がどんな場所なのかは不明だ。
「まぁ、それは、あとでもいい。いまは兎に角、龍だ。そしてあの人狼の女」とミアが語気荒く続ける。「犯人が必要だ。ラーセンを殺した犯人が。暗殺され、その犯人の足取りすら掴めぬとなれば、国力の減退に繋がる。犯人を挙げ、捕まえられるのだと、もう二度とこんなことは起きないのだと、何も衰えてはいないのだと、むしろラーセンの頃より強くなっているのだと、半島中にそれを知らしめなければならない。そうでなくてはならない。だからあの女が必要だ」
ジリー隊長、わかっているな、とミアは己より背の高いジリーの顔を睨んできた。
「隠密行動だ。さっさとクマという女をわたしの前に連れてこい」
「アグナルと龍のことは?」
「アグナルを対処すれば、龍もどうにかなる、が、対処するなら人狼の暗殺者と一緒だ。アグナルの死は大々的に行われなければいかん。それこそ、龍にも伝わるように、な。暗殺された、毒殺された、などというものでは駄目だ。龍を対処するには、それがいる。処刑の場を設けるしかない」
「……まぁ、了解しました」
ミアはこれから、アグナルの元へ向かうのだという。特に嘘を言っている様子はないので、これから殺しに行く、などということはないのだろう。逆に言えば、ジリーがクマを捕まえたら、そうする、ということだ。
だが今のところ、ジリーは彼女の令に反することない。剣闘奴隷上がりの人狼、ジリーは騎士であり、ミアはいまや帝王の椅子に座ろうとしている。彼女のことは誰にも止められまい。それこそ、龍以外には。
(あの女性を探す、か………)
クマ。皇都の暗殺者であるならば、逃げ隠れは得意だろう。おまけに人狼だ。感覚が鋭く、目立った探し方をしていたらすぐに気づかれて逃げられてしまうに違いない。
彼女を探すには、単独で気付かれずに接近する必要がある。人海戦術に頼らないで探すとなると、鼻が効く。人狼なのはクマだけではない。ジリーもだ。彼女の匂いがこびりついているものがあれば、それを使って行方を辿れるはずだ。
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