第1.14話 私生児の乳母アウロラ、軟禁されつつ訪問者に対応すること

 簡素だが造りのしっかりとしたテーブルの上にはティーセットが載っている。〈帝都〉の鍛冶屋が得意とするのは鋼鉄の武具だけではない。農具や調理器具だって鍛治の分野だし、その炉を転用して陶芸を行うものもいる。であれば、特産のひとつにもなり、輸出もされている。この茶器もそうしたもののひとつで、出来が良いことは見事な文様でわかる。お湯は外で待機している兵に言えば用意してもらえる。

 部屋は広いし、ベッドはふかふか。手足を縛られているわけではなく、部屋の中で見張られているわけでもない。しかし窓には鉄格子が嵌っていて、部屋の外には監視がいて、場所は帝都の城の中で、なによりもそばにアグナルがいない。であれば軟禁なのである。アウロラは拘束されているのである。


(失敗した……のかもしれない)

 正直なところ、なんとも言えない。自分の選択は正しかったのか、間違っているのか。結果的には——などと考えるのは間違いだろう。結果から逆算して事前に考えておくことなんてできないし、なによりまだ「結果」は出ていない。

(まずは落ち着かなくちゃ………)

 現状を把握する。

 今日の午後、自宅にてジリーにクマから聞いた王の死に感する事実を伝えていたわけだが、そこに伝令がやってきた。王に同行していた部隊の兵だ。おそらくほとんど眠りもしなかったのだろう、休まなかったのだろう、死にそうな態でやってきたその兵がもたらしたのは、王が死んだという、アウロラも聞いていた情報と、その死がクマによってもたらされたと帝都の軍には思われているという、予想していなかった内容だった。

(ま、考えてみれば当然かもね………)

 ふたりだけで話をしていたそうだから、ラーセン王が血を吐いた現場は見られていなかったかもしれない。だがラーセンを喰らい、クマを咥えることになった龍が現れた状況は多くの兵が見ていただろう。そう思われても仕方がない。正直なところ、そこまで予想していなかった自分が情けなくなくさえある。


 とにかく、人狼の女が王を暗殺した犯人らしいという話は伝わった。そして都合悪く、それに合致する(というかその場にいたという意味では本人なのだが)人物がアウロラたちの近くにはいた。アウロラはその人物が〈皇都〉の暗殺者であり、王を暗殺しにきたということを既に治安維持隊のジリーに話してしまった。

 つまり、何もかもが悪い方向に進んでいた、のかもしれない。

 当時、その場にいた兵やジリーは、瀕死の伝令の言葉を鵜呑みにはしなかったようだが、もちろん本人からの伝聞でしかその潔白を証明できないアウロラの言葉を全面的に信用したりもしなかった。

 が、クマが王を暗殺したということは、クマを擁護しようとするアウロラはもちろん、クマを邸宅の中に匿っているアグナルも怪しまれるかもしれない。クマを暗殺者として見るならば、それを匿うアグナルは、暗殺に関連があると見られても仕方がない。なにせ、王からあまり良い待遇を受けてこなかった。だからといって直ちに王の暗殺などという大それがことをするなどと思われても困るのだが、残念ながら帝都にはそれを無理矢理にでも関連づけようとする勢力がいる。

(なにより、あの女の考えが読めない)

 アウロラはアグナルの腹違いの姉であり、昨日まで王の娘に過ぎなかった——いまや玉座に着いた女のことを思った。誰が見ても魅力的な女性にしか見えないミアのことが、アウロラは苦手だが、それは単に自分のほうが年上なのに背が低かったり、幼く見えたりするから、などというくだらない理由ではない。

 龍王ラーセンが毒殺されて、その犯人がクマではないならば、別に犯人がいる。そしてその犯行を指示した人物も。ラーセンを殺したがっていた人物が。


 何もすることがないままで思考に耽っていたときにドアがノックされたので、アウロラは胡瓜を見た猫のように吃驚して勢い良く顔を上げた。足音を忍ばせてドアの前まで向かうが、もともと人質を捕らえるために作られた部屋なのだろう、覗き穴などあるわけがない。

「あの、何か?」

 と分厚いドア越しにも聞こえるように声を張る。

「お客さまがいらっしゃっています」

 と入り口を守る——というよりはアウロラを見張るための兵から答えが返ってくる。

「お客?」

 言い方からすると、アグナルやクマではないだろう。では誰か、と尋ねてみると、知っている名が返ってきた。ドアを開けてもらう。


「アウロラさん、今回は大変なことに………」

 そう言って深々とお辞儀をしたのは、帝都の教会の修道女スールだった。

「ティリルさん、どうぞ入ってください」

 とアウロラは修道女ティリルを部屋の中に招いた。失礼します、と礼儀正しく言ってからティリルは部屋に入る。ドアが閉められた。

「さっきお湯を貰ってお茶を淹れたところで……まだ温かいので、いかがですか?」

 茶を勧めると、ティリルは素直に頷いてくれた。テーブルを挟んで対面するのだが、まったく面識がないというわけではないものの、親しいというほどではない相手なので、場繋ぎに困る。

「アウロラさん、いまの状況は……ええと、ご不便などはないですか?」

 だから、ティリルのほうから話題を出してくれたのはありがたかった。

「あ、ええ、見てのとおりです。閉じ込められてはいますが、そう酷い扱いを受けているわけでは……」

「そうですか。良かったです」

 ほぅ、とティリルが安堵の吐息をつくのがわかる。心の底からそう思ってくれているのだろう。


 皇都や学都と同様、帝都にも教会がある。〈半島〉では龍信仰があり、帝都の教会も例外ではない。例外ではないのだが、帝都の龍とは、力を借りたりその力に憧れるものではあっても、皇都や学都のように崇拝したり、研究をしたりするものではない。信仰というほどの信仰はなく、だから教会の力は非常に弱い。

 帝都中央では、しかし教会はいちおう帝王の庇護下にある。当代の——いや、もう先代のか、帝王であるラーセンは教会を保護していたのだ。理由は簡単である。現在教会を管理している修道女が美人だからだ。

 艶やかな亜麻色の髪といい、整った目鼻立ちといい、修道服で隠しきれない肢体といい、ラーセンが目をつけるのもわかる。純朴そうな、しかし美しい修道女は、実際無垢で心優しい人物だとアウロラは思っている。

 アウロラは教会とそう深い付き合いがあるわけではないのだが、教会は孤児院にもなっているため、アグナルが成長して着られなくなった服を寄付したりすることがある。その縁でティリルとは知り合った。


「アウロラさん、王が殺されたというお話は……」

「ええ、はい、それは、事実……なんだと思います」アウロラは頷きつつ、いまはどうにか情報収集をしたいと思った。というより、ほかにできることがないのだ。「あの、街ではどういう話になっているのですか?」

「わたしも断片的にしか知らないのですが……王が皇都の暗殺者に毒殺されたうえ、龍に食われたというお話と、それに……その、アグナルさんが、その暗殺者を匿っている、というお話が………」

 言いづらそうだったが、修道女は答えてくれた。

(正確に伝わっちゃっているなぁ………)

 兵士が漏らしたのか、それとも積極的に情報をばら撒いている存在がいるのか。どうも後者な気がする。


「それは……その、後半のことは間違ってはいないのですが、たぶん一般に流布している話とは事情が違いまして………」

「はい」

 と殊勝な顔で頷くと、ティリルの亜麻色の髪が頭巾の端から溢れた。

 改めて考えてみると、この場で彼女に(少なくとも現時点でアウロラが想像している)真相を伝えるのは急すぎるという気がする。ティリルとはお互い名前や事情を知っているという立場ではあるが、そこまで親しいわけではない。

 あるいは、と考えてしまうのが、彼女と帝都の支配者との繋がりだ。かつてはラーセンと、資金的に援助を受けているだけとはいえ繋がっていた彼女だが、代替わりによって今度はミアとの繋がりができていてもおかしくはない。さすがにアグナルにとって不利な言動を引き出せ、などと言われてそれに従うとは思えないが、結果的にそうなる可能性は否めない。

(でも……もう遅いかも)

 既に帝都騎士団のジリーには一定の話をしてしまっている。彼がアグナルを害するはずがないとは信じてはいるものの、騎士団員のジリーはミアに従わざるを得ない。いざというときに諫言はしてくれるかもしれないが、それはギリギリのときになるだろう。少なくとも、ミアにクマと王、それに龍の話は伝わっているに違いない。


「あの、アグナルについては何か聞いていますか?」

 とアウロラは別の話を始めた。というより、これはなによりも先に訊きたかった話でもあった。

 彼はアウロラが捕まった時点では、城の中で訓練をしていたはずだ。あるいはそれを終わらせて、友人と遊んでいたかも。どちらにしろ、兵には捕まっているに違いない。ミアが——ミアがいかに玉座に固執していたとしても、アグナルを害するとは思えないのだが、しかし、先日の襲撃者のことを思えばそうとも思えなくなる。兵には尋ねても教えてくれなかった。

「アグナルさんもお城に連れていかれたと聞きましたが、会ってはおられないのですか?」

「はい、ここに来たときから出してもらえなくて……クマは? ええと、隻腕の人狼の女性です」

「その方については、王の暗殺者という話以外は聞いていません」

「そうですか………

 クマは暗殺者である。逃げ隠れはうまいだろう。

「……あの、アウロラさん、アグナルさんが王の暗殺を指示したというお話は、嘘ですよね?」

 という問いかけに対して、アウロラは迷うことなく首肯した。「ええ、嘘です、そんなことは、ぜったい、ぜったいに、ありえません。保証します。あの子がそんなことをするなんて、ありえないんです。アグナルはただ、クマを拾っただけで……」

「その、クマさんという方が人狼の女性ですか? その方が王を殺したというのは……」

 ぐ、とアウロラは言葉に詰まりかけた。

 クマは皇都から来た暗殺者で、死ぬ直前に王のそばにいた。彼女の話も早馬での報告も、それが正しいということを示している。それで、彼女は、王を殺していない? そんな話をして、誰が信じてくれるというのだろう。いったい、誰が。

「それも間違いです」

 アウロラは信じた。


 アグナルのことだけを想ったとしても、クマをここで切り捨てるのは間違いだ。玉座に座るミアにいいようにされてしまう。アグナルもクマも助ける。そうしたら、クマもきっと力になってくれる。そう、だから、アウロラはクマを助けなければいけない。

 私生児の乳母は己にそう言い聞かせ、ティリルの疑問を否定した。自分たちは、何も悪いことはしていないのだ。

「そうですか……わかりました」とティリルは頷く。「アウロラさんが信じられるのでしたら、わたしもそう信じます。現状はどうにかしなくてはいけませんね。ミアさん……もう、ミアさまと呼ばなくてはなりませんか、彼女にも、お三方の身柄についてはわたしからもお話をしてみます」

「ありがとうございます」

 と礼を言いながらも、しかしティリルは頼りにならないだろうと内心では思う。それだけの発言力があるのなら、ラーセンの時代にその恩恵に縋って崖っぷちの教会運営をしたりはしていない。


 去り際、アウロラはティリルに二通の手紙を渡した。

「もしクマに会うことがあったら、この手紙を渡していただけませんか?」

 とお願いする。一通はクマ、一通はアグナルに宛てたものなのだが、まぁどちらもクマ宛ということにしておく。アグナルに宛てた側は、アグナルへ渡してくれ、と書いておけば問題なかろう。

「わかりました。会えるかわかりませんが、はい、もしかすると教会に来るかもしれませんね」とティリルは頷いてくれた。クマに文字の読み書きができるかどうかわからなかったので、読んでくれるようにも頼んでおく。

 正直なところ、この選択が正しいのかはわからない。ティリル自身が信じられたとしても、手紙を検閲される可能性はある。しかし、手紙の内容はアウロラの個人的な感情を綴った当たり障りのないものだし、なによりティリルを信じられずに見送ったからといって、次に手紙の運搬役を担ってくれる人物がより信じられるかどうかはわからないのだ。


 そしてアウロラは、己のその考えが正しいことを、ティリルの次にやってきた訪問客で理解した。

「いや、災難でしたな」

 と髭を撫でながら言った男の顔は四角かった。

(なんで来るの………!?)

 とアウロラは心の中で叫んだ。できることなら実際に叫びたかった。可能なら立ち上がってぶん殴って蹴り飛ばして股間を踏み潰してやりたかった。

 ヒェテイルは龍王ラーセンと同じくらいの年齢の中年男である。龍王ほど上背があるわけではないが、小さいというほどでもない。龍王ほどに筋肉質というほどではないが、痩せているわけではないし、太っているわけでもない。黒髭と顔の四角さ以外は特に特徴のない男ではあるのだが、帝都では有力な貴族であり、アウロラにとってはもっとも——つまり龍王ラーセン以上に——嫌っている人物だ。


「このままだと近日中には、戴冠式が行われるでしょう。その前にどうにかして止めなければなりません。アグナルさまに帝位に着いていただくためには、あなたのご協力が必要です」

 などと口調だけは慇懃な言葉からわかるとおり、ヒェテイルはミアが玉座に座ることに反対している貴族の代表だ。なぜかというと、ミアが女だからである。

「女の血で帝都を穢してはなりません」

 などと、目の前の女を説得するために言うのだ。馬鹿げている。人間の感情というものがわかっていない。信じられる人間ではない。

 こんな人間が軟禁されているアウロラのところに訪問してきたという事実はなんら驚くことではない。この手の人間は、他人の感情や事態の大きさを考えないからだ。自分がこの状況でアグナルやアウロラのもとを訪れることで、その立場が危うくなるなどということは考慮しないのだろう。

 それよりも、来た、ということより、通された、というほうが問題だろう。つまり、これみよがしに「叛逆せよ」と言っているようなものだ。


「わたしもアグナルも、帝位になんて興味ありません。お願いですから、放っておいてください」

 とアウロラはぶち撒ける。この後に及んで気遣いだの、遠慮だのはしていられない。この男が一分一秒でもこの場に長く留まるほど、アグナルの身が危険に晒されるようなものなのだ。

「それは残念です」とほとんど動じずに貴族ヒェテイルは肩を竦めた。「しかしこの状況、われわれに協力してもらうしか、打開策はないように思えますが」

 反女帝派に協力する。アグナルを玉座に担ぎ上げる。それは一見してミアへの対抗策になりそうな気もするが、それは間違いだ。反女帝派など、帝都の意見の中では一割にも満たない。アグナルは所詮、私生児なのだ。それにミアには玉座に着くだけの力がある。聡明であり美しく、政治にも通じている。

 やはりこの男の話を聞くのは間違いだ。アウロラはヒェテイルと会話を成立させるのを諦めた。ヒェテイルが去っていくまでの時間が長かった。


 既に日は落ちていた。アウロラは疲れ果てていた。昨晩に起きた事件にクマからもたらされた衝撃的な事実、王の死、ジリーの説得、軟禁、そしてティリルと、何より腹ただしいヒェテイルという訪問者。本日の訪問者はこれで終わりではなかった。

 三人目の訪問者は、しかしドアからはやって来なかった。

 ひとりきりになった部屋の中、ベッドに座って今後のことを懸念していたアウロラの耳に、何か金属が叩かれるような音が響いた。大きな音ではない。が、近くで鳴っている。窓だ。窓の鉄格子。近づいてみると、その正体はすぐにわかった。

「クマ……!」

 壁面の出っ張りか何かに掴まりながら、膝で鉄格子を叩いていたのは、隻腕の人狼だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る