第1.13話 私生児の乳母アウロラ、人狼騎士の説得を試みること

 三つの要点をまとめて言葉にしたとき、人狼の男の表情が曇るのがわかった。

 信じられないと思いますが。

 こんな話、急にされても困りますよね。

 わたしも戸惑っているんです。

 そんな言い訳じみた言葉はいくらでも思いつくのだが、言って効果的なのかどうかが検討が付かないまま、ジリーの顔色を伺う。


 実際のところ、信じられない話なのは当たり前だ。龍王ラーセンが死んだ。前帝王を転がして帝位に着き、帝都の富国強兵に努め、常に最前線に立ち続けた、髭もじゃの金髪がむさ苦しいあの男が、死んだ? 酒好きの、肉ばかり食う、そのくせ健康には五月蝿い、スケベの、そのくせ産ませるだけ産ませたらあとは知らん顔の、あの男が死んだ?

 考えてみれば、これらの話はすべてクマからの伝聞だ。クマは確かに腕は立つようだが、皇都の暗殺者というのは自称に過ぎないし、龍王ラーセンが死んだというのも聞いただけだ。ドラゴンに喰われて帝都の上に落とされたなんていうのは夢物語だ。いや、最後のだけは、もともとジリーも想像していたものだったか。


 せめてこの話を伝えてくれたクマがこの場にいてくれれば良かったのだが。 

(あの子、どこ行っちゃったんだろ………)

 一通りの情報交換をし、アウロラと戦闘訓練をしたあと、クマは「ちょっと街を見てくる」と言って家を出て行ってしまった。止める気力があれば止めていただろうが、久しぶりに身体を動かしたあとで、彼女を止めるほどの力は肉体的にも精神的にも残っていなかったのだ。


「とりあえず、あの人狼の女性……クマさんでしたっけ、彼女についてなんですが」

 とジリーが口を開いてくれたので、アウロラは安堵した。「はい……はい!」と思わず二度返事をしてしまう。

「実は自分のほうでも多少、彼女が入都した記録がないかどうかを探ってみたんですが……ありませんでした。ですから、正規のルートで帝都に入り込んだ者ではない、というのは確かだと思います」

「じゃあ……」

「奴隷は帝都では当たり前ですし、剣闘用や愛玩用の奴隷だったら普通に取引されていたと思います。それ以外の、かなり特殊な奴隷だった場合は……闇取引もありますので、彼女がその対象だった可能性もありますが、どうもそういうかんじには見えませんね」

「特殊な場合」については想像したくはない。国で認められている剣闘奴隷や愛玩奴隷にしても、思い返すだけでも嫌なのだから。

「そう考えてみると、やはり帝都外の者と考えるのが妥当でしょう。であれば、ありえそうなのは学都の実験台か皇都の暗殺者……でなければ遊牧民ノマドですが、学都の実験台にしては、彼女は理性的に見えます。皇都の暗殺者に関してはいろいろですね。半人狼は完全に洗脳されている場合が多いですが、彼女は純粋な人狼のようですからね……皇都では使われている身分でしょう。遊牧民の可能性は、まぁ、なんとも言えないと思っています。本人は、彼女の立場はなんと?」

 複数の可能性のひとつとはいえ、ジリーがほとんどクマの立場を言い当てたので緊張する。

「それは………」

 皇都の暗殺者。それは最後のカードのような気がしたが、言っても言わなくても同じ要素な気もした。クマから告げられていたにも関わらず、アウロラはクマの正体を言葉にするのに戸惑った。

「聞いていませんか? それとも、言えませんか?」

「……後者です」

 とアウロラは正直に言った。

「なるほど」

 ジリーは頷いてはくれたものの、そこに感情の色は読み取れない。帝都騎士団の第2隊隊長を務めあげるこの若き英才は、無表情というわけではないのだが、どこか朴訥としていて、考えていることが読みにくいところがある。いつもは感情を反映している立て耳でさえも、いまは抑えているのか、少し横になっているだけで動かない。


「王が身罷られたというのは、信じがたいことですが、彼も人間です」

 とジリーは切り返してきた。アウロラはひとまず頷き、受ける。

「王は毒殺されたということですが、クマさんが暗殺したということですか?」

「いえ、いいえ、それは、いえ、違います」ここは受け損なっては駄目だ、とアウロラは判断し、唇を湿らせて答える。「彼女は確かにラーセン王を暗殺しにきたそうですが、それには失敗しました。それで彼女は提案を受けました。ええ、ラーセン王からの提案です。彼は言ったそうです。『自分の私生児である息子を守れ』と」

「つまり、アグナルを?」

「はい」

 断定的に頷いたが、これは正しいかどうかはわからない。というのも、ラーセンという男は色恋沙汰には困らない男だ。色欲の権化であり、彼の種は帝都中にばら撒かれている。ただ、現在のところ公に私生児だと知られているのは、アグナルだけだ。


「彼女はなぜ毒殺だと判断したんですか?」

 ジリーはさらに踏み込んでくる。彼が隊長を務める騎士団の第2隊は治安維持隊とも呼ばれており、帝都の警備が任だ。脱走した剣闘奴隷を捕まえるとき、頼りになるのは街を知り尽くすことと己が腕だが、より狡猾な悪党や他都市からの侵入者を相手取るとき、揺れない心こそが武器になる。

「それはわたしにはわかりませんが、吐血したと言っていました。彼女は暗殺者なので、毒の知識も豊富だと思います。だから、ええ、毒によるものだと判断できたのでしょう」

「その暗殺者の彼女によれば、毒は何に入っていたと?」

「酒だろうと」

 とアウロラはクマから聞いたことをそのまま言った。酒を飲みながら会話をしているときに、彼は吐血したというのだ。

「彼女は死ななかった?」

「昼間から酒は飲まないそうです」

「なるほど。酒はどこから?」

「その場で開封して、ボトルから無造作に注いでいたようです。ふたりだけで、天幕の中で会話をしていたときだったと言っていました。特に毒味をつけたりはせず……というか、彼女の存在は他人には知られていなかったそうです。だから、ただ普通に、未開封の瓶を開け、杯に注いだと」

「王にしては珍しい動作ですね」

 そうだ。そのとおりだ。龍王ラーセンは大雑把で豪放磊落な人物に見える。実際、そのとおりだろう。が、毒殺されることだけには恐れている。槍を持たせては誰にも負けなくても、それ以外の力では負ける。ある意味、謙虚なのかもしれない。

 だからラーセンは、毒殺には慎重になっている。口に入れるものは毒味を通す。例外は「信用できるもの」だけだ。

「それで、あなたはミアさまが王に毒入りの酒を送ったと考えたと?」

 直接的に問いかけられて、う、と言葉に詰まる。が、既にほとんど、それを示唆するようなことをアウロラは口にしてしまっている。いまさら否定をしては、大振りの好きを晒すようなものだ。力は失い、技もない。ただの女になったアウロラにできるのは、愚直に剣を振り続けるだけだ——首を縦に振った。


 「ふむ」

 ジリーは再度、長考モードに入ったらしい。握った拳で口元を隠し、視線はじっと伏したドラゴンのステンドグラスに注がれている。

 アウロラは、待った。ここで何か余計なことを言うのは、構えている相手のところに飛び込むようなものだ。隙も弱点もわからぬままでは、無謀すぎる。ましてや、相手は百戦錬磨のジリーなのである。いまはまだ、待つしかない。

「酒瓶は」

 とジリーが切り込んできた。

「はい?」

「酒瓶を回収したりはしなかったのですか?」

 アウロラは首肯する。ジリーは治安維持隊であり、どちらが犯罪者でどちらが被害者かわからないような話を判断しなければならないこともある。そうしたとき、彼は物証を重視するから、この問いかけは想定していた問いではあった。

「たぶん、余裕があればあの子はそうしていたでしょう。でも、できなかった。ドラゴンが現れたからです」

「ドラゴンが、彼女の連れ去ったから、と。そういうわけですね?」

「まぁ、そうです」

「そのドラゴンは、いったいぜんたい、どこから現れたんです? なぜ彼女を咥えて帝都まで来たんです? どうして皇都へと飛び去ったんです?」

「最初の問いかけに関しては、実は、わからないそうです。クマは天幕の中で王と会話をしていましたから……でも、なぜドラゴンが現れたのかは……なぜ帝都まで連れてきたのか、なぜ皇都へ向かったのか、それはわかるそうです。それは——」


 アウロラが話を続けようとしたときだった。不意に邸宅の入口が騒がしくなった。

 アグナルやクマが戻ってきて、門番をしている騎士団員と話している、というふうではない。もっと慌ただしく、もっと何か恐ろしいものの接近を感じさせる。馬の嗎がする。慌てふためいた声がする。鳴らされる足音がする。

「ジリー隊長!」

 玄関の扉が開き、門番をしていた団員が入ってきた。

 その背には小柄な人物が背負われていた。まだ年若い少年に見えたが、元の髪の色がわからないほどに薄汚れていた。背負ってくれている兵の首に手は回されてはいるものの、その指にはほとんど力は入っていないように見えた。指の何本かからは爪が剥がれ、傷だらけだった。

「なんだ?」

 と異変を理解し、椅子から立ち上がってジリーが尋ねた。

「急報です。王に同行していた第1隊の兵がひとり戻ってきたんですが……」

 第1隊は王直属の護衛部隊だ。背負われている少年がそうらしい。護衛というが、あまり腕が立ちそうには見えないので、王の身辺の世話が任務なのかもしれない。

 ドラゴンは僅か数時間でクマを皇都の近くから帝都まで届けたらしいが、普通なら早馬でも一週間はかかる距離だ。が、この少年は馬を乗り潰し、一睡もせずに、それよりも一日早く駆け抜けたらしい。意識はあるらしかったが、瞼は閉じられていた。


 門番団員がジリーの傍らまで近づくと、血と泥で固まっていた瞼が薄っすら開いた。

「た、隊長……ジリー隊長……」と少年はかろうじて聞き取れる掠れ声で言った。「王が……王が亡くなられました」

 衝撃的な事実ではあるが、もちろんジリーもアウロラも驚かなかった。クマから既にもたらされていた情報だったからだ。

 だが次にこう言ったならば、話は別だった。


「人狼の女に毒殺され、ドラゴンに喰われました」

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