第1.11話 龍王の私生児アグナル、騎士に憧れる少女と鍛錬をすること
振り下ろされる剣先を、こちらも剣で受けて距離を取ろうとするが、それを読んでいたかのように対戦者は距離を詰めてきた。受けるが、鍔迫り合いの体勢になる。
「アグナルさぁ」と相手は言った。「昨日、なんか襲われたんだって?」
「わたしが、襲われたわけじゃ、ないけど………」
相手の剣を受けながらアグナルは応じる。余裕がある相手方に対し、こちらは辛い。相手のほうが背が高いし、力も強い。競り合いになると不利だ。引きつつ胴に入れようとするが、察知されて飛び退かれる。しかし、ひとまず鍔迫り合いからは脱することができた。
「だって、襲われるのってアグナルしかいないじゃん?」
再度仕掛けようとする相手が接近してくる前に、アグナルは近くの標的用木人形の集団の中に逃げる。戦うエリアは指定されてはいない。小柄なアグナルのほうが、剣が振り回しにくい中では幾分優勢になるかもしれない。
「そうかもしれないけど」近づいてきた相手に、木人形の陰から仕掛ける。「結局、わたしは相手のこと、見てないからっ」
「へぇ」相手は難なく受けた。「戦えば良かったのに。練習の成果が出るじゃん?」
「まだそんなに強くないっ」
「そうだね」
言葉とともに、相手が接近。受けの姿勢を作るが、態勢を低くした飛び込みに意表を突かれる。その低い姿勢のまま、アグナルの足元まで接近。剣が剣を弾き飛ばす。高く舞った剣は、傍らで見ていたジリーの手の中に収まった。
「決着だね」
と対戦相手は剣先を突きつけ、笑った。
「決着ですか」
とジリーが思案げな顔で首を傾げた。
「どう見ても、そうでしょ」と膨れるのは剣を突きつけた側のヴィルヘルミーナだ。「もう、どうしようもない」
「いや、剣を飛ばされてもやりようはありましたね」ジリーは淡々と言う。「武器を失わせて油断している相手に殴りつけるというのは有効な手段ですから……剣闘場ではよくあることです」
ミーナがアグナルを一瞥して、不安げに一歩下がる。
「いや、負けだって」とアグナルは両手を挙げた。
「ほらぁ」
「じゃあ、決着ということで」
というジリーの言葉で正式に決着ということになったわけだが、勝者であるところのミーナは膨れた。
「なにそれ、ジリー、なんかいいかげんじゃない?」
「負けを宣言したのであればそれで終わりでしょう」と飄々とした顔で審判役は言った。
「もっとしっかり勝ちを宣言してほしいのに……」
「あなたの勝ちです。すごい、えらい。完璧な戦いでした。これで騎士になれることは間違いなし——これでいいか」
「いいか、じゃないよ……もうっ」
休憩にしよ、と言って、ミーナはアグナルの手を引いて城の中庭の教練場にある木立のところに引っ張っていく。木陰は涼しく、ふたりとも汗ばんでいたため、流れていく風が心地良かった。革製の小手と脛当てを外すと、その部分がひんやりした。
「アグナル。おやつは、おやつ」
とせがむからには、ミーナの目当てはアウロラの持たせてくれたバスケットだったらしい。開けてやる。
「チョコレートだ!」とミーナは瞳を輝かせてバスケットから三日月型のチョコレートを摘み、頬張る。「甘酸っぱい……これ、何? 何が入ってるの?」
「なんか砂糖漬けにしたフルーツの皮だって。オランジェット? だとか言ってたかな。苦手?」
「美味しい。もう一個食べていい?」
「さっきは聞かなかったのに……」
「一個くらいはいいかなって。もう一個は」とミーナは上目遣いになる。「駄目?」
「いや、いいけどね。アウロラも、ミーナとジリーに食べてもらってって言ってたから」
と言ってやると笑顔になって遠慮をしなくなった。
アグナルと同様、ミーナも騎士を目指してジリーに稽古をつけてもらっている子どもだ。アグナルのひとつ歳上で、アグナルとは違って女の子で、アグナルよりも強い。赤毛は短く、格好も短いズボンに動きやすい袖のシャツなので、男の子のようだ。
「アウロラさんは料理が上手くてすごいなぁ。うちのママなんて、ぜんぜんだよ」
とミーナは指を舐めて言った。ミーナには母がいるが、父はいない。死んだからだ。彼は騎士だった。帝都騎士団の第1隊だった。つまり王の直属の護衛隊だ。王を守るために戦って死んだらしい。
「ミーナは、ぜんぜん、じゃないの?」
とアグナルが言ってやると、彼女は鼻を鳴らした。「それはいいの。だって騎士になるんだもん」
ミーナは亡き父に憧れを抱いていて、彼のような王直属の護衛隊になりたいらしい。そういうわけで、彼女の目標はアグナルと似ている。が、それは行く方向が同じだから同じ道を歩いているというだけのことで、目的地は違うし、歩くペースも、見ている風景も違う。
ミーナの騎士になりたい理由が憧れによるものであるのなら、アグナルの理由は護衛のためだ。守りたいひとがいる。
「ふたりとも、勝手に休憩にするのはいいですが」とゆったりとした歩みでジリーが木陰に近づいてきた。「自分はそろそろ上がります」
「え!?」とミーナが声をあげた。「なんで? 拗ねたの? 勝手に休憩されたから? お菓子、食べさせてもらえないから? 食べる? 美味しいよ、アウロラさんの。そんなに食べたいんなら、言えばいいのに、良い大人が拗ねちゃってまぁ………」
「いや、そうじゃなくて、人との約束があるもので」
と言われるとミーナは目を見開いた。
「ドラゴンだね!?」
「いや、自分の知り合いにはドラゴンはいないです」
「そうじゃなくて、龍の情報の提供者でしょ!? そうでしょ!?」
「違いますよ……なんでですか?」
と答えるジリーの表情はいつもどおり朴訥としていて、その感情は読めない。
「だって、ジリーは友だちとかいないでしょ? それなのに人と会うってことは、なんか情報提供とか、そういうやつじゃない? いまだったら、じゃあ、ドラゴンじゃん」
「なんですか、友だちがいないって……」
と言うジリーの獣耳は先が下がっていて、わりあいダメージを食らったことがわかる。
「じゃあ、誰となんですか?」とアグナルも訊いた。
「アウロラさんです」
「デートだ!」
とミーナが言った。大きな声で。
だがアグナルも心の中で、同じくらい大きさで叫んでいた。
「違いますよ……なんか話したいことがあるっていう手紙を人伝てに受け取ったんで………」
「やっぱり、デートじゃん」
「いや、そういうわけでは」ふぅ、とジリーは小さな溜め息を吐いた。「昨日の事件の関連か、あの人狼の女性についてだと思うんですが……ほか、なんか言ってました?」
「いや……知らない」
ジリーの問いかけに、アグナルはつい頑なな返答をしてしまった。
デートだ、と意識してみれば、ジリーの服装もいつもと違うような気がする。といっても、上着一枚着ているだけなのだが、治安維持隊の制服ではなく、少し格式張ったかんじの、大人の服装だ。簡素で地味な色のズボンとシャツだけの上に一枚黒い上着を羽織ることで、いつもより引き締まった印象を受ける。
「ま、直接聞いてみます。あとは副長に任せているんで、あんまり迷惑かけないように」
じゃあ、と言ってジリーは中庭の訓練場を去っていった。
「アグナル、いいのぉ?」
とジリーを見送ってから、ミーナが顔を寄せてくる。
「なにが」
「ジリーにアウロラさんを取られちゃうんじゃない?」
いひひ、と歯を見せてミーナは笑った。
かっと顔が赤くなるのを感じる。
アグナルが岸になりたいのは、守りたいひとがいるからだ。ひとりはミアで、彼女は腹違いの姉で、アグナルとは立場が違っていて、それなのに優しくしてくれて、次に玉座に着くのであれば、きっとたくさんの危険に遭うであろうひとだ。だから守ってやりたい。
もうひとりは……アウロラは、アウロラは姉ではないし、母でもない。ずっと、子どもの頃から、産まれるまえからそばにいてくれた、とても大切なひと……大切なひとだ。だから、アグナルは、守りたい。彼女を。できれば、ずっとそばで。
だがもし彼女がそれを望まないのなら。
アグナルはそのことを想像しただけで、泣きたくなった。
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