第44話

 ケリーが名前を呼ぶと、レーベンさんは少し驚いたように眉を上げた。


「ケリーか。見ないうちにでかくなったな。今日はどうした?」

「僕の靴を買いにきたんだよ」


ケリーはポケットからお金を出して、レーベンさんに見せた。


「ほぉ。これだけあれば、お前には十分なものができる。だが、全部はいらん。少しは取っておけ。安くしてやるから」


 レーベンさんは銀貨と銅貨を一枚づつを受け取ると、無造作にポケットにしまった。


「ありがとう、レーベンさん」

「ほら、こっちに来い。そのぶんじゃ、足の大きさも昔よりでかいんだろう。足の型を取ってやるから、そこに座れ」


 ケリーは言われた通りに、古い丸椅子に腰かけた。


 レーベンさんは道具を持ってくると、ケリーの足を測り始めた。

 こうして仕事をしているとき、レーベンさんは絶対に喋らない。ケリーもそのことを知っていたから、あえて話しかけることはしなかった。でも、沈黙は静かに破られた。


「お前、朗読員になったんだってな」


 普段なら、絶対に口を開かないレーベンさんが声を出したので、ケリーは驚いた。


「う、うん。そうだよ」

「この金も、お前の給料だろう。ずいぶん、余裕が出てきたみたいだな。お母さんは元気か?」

「うん。最近は、僕も働いてるから、ちょっとは休めてるよ」

「そうか。しかし、お前はでかくなったのは、背丈だけじゃないみたいだな。ちょっと前は、町はお前の話で持ちきりだった」

「そ、そうかな」


 レーベンさんが言っているのは、裏通りのことだと分かった。

 ケリーはなんとなく、くすぐったい感じがして、窓の外に目をやった。


 それからは、いつも通りレーベンさんはなにも話さなくなった。足の型を取って、気に行った革を選ばせてもらったケリーは、大満足だった。


「じゃあ、また月の終わりにでも受け取りに来い。作っといてやる」


 笑顔で別れを告げたあと、ケリーは約束通りハルさんのお店に立ち寄った。

 やがて、仕事終りのバルドやエミリーの家族、教会帰りのショウとジャックもやってきた。大賑わいでとても楽しかったけど、エミリーの靴のことをすっかり忘れていたケリーは、エミリーに怒られてしまい、みんなに笑われる羽目になった。


 

 月末、ケリーは靴を受け取りにレーベンさんのお店へ向かった。

 中に入ると、カウンターに真新しい箱が置かれていた。


「来たか。ほら、そこにあるのがお前の靴だ。開けてみろ」


 ケリーがドキドキしながら箱を開けると、中にはぴかぴかの靴がきれいに並んでいた。ケリーが選んだ黒い牛革の生地が、つやつやと光って履いてもらうのを待っていた。


「レーベンさん、履いてもいい?」

「あぁ、なんならそのまま履いて帰れ」


 靴べらを借りて丁寧に履くと、靴はケリーの足にちょうど良く収まり、歩くと楽しそうな足音を立てた。


「すごいや! ありがとう、レーベンさん!」


 満面の笑みを浮かべるケリーとは対称に、レーベンさんの表情は暗かった。


「どうしたの? レーベンさん」

「なぁ、ケリー。お前、あの男を許したのか?」


 一瞬、誰のことなのか分からなかった。

 少し考えて、レーベンさんの言う「あの男」が頭に浮かんだ。


 大佐のことだ。


「え、どういう」

「わしは絶対に許さん。息子の命を奪った、あの男を」


 レーベンさんはケリーの言葉を遮って、吐き出すように言った。


 レーベンさんの息子は、靴屋を継ぐ大事な一人息子だった。

 ところが、ケリーのお父さんと同じく、大佐の船団と戦って死んでしまったのだ。


「息子は、わしのすべてだった。それを奪われたのだ。あの男が、この町のためになにをしようと、関係ない。たとえ、どんなに高い金を積まれたとしても、水に流すことはない。どれだけ時間が経とうが、この恨みは消えん。消えるはずがない」


 レーベンさんの目は、信じられないほど暗く、冷たかった。

 なのに、吐き出される言葉には、どんどん熱がこもっていった。


「で、でも、大佐だって目が見えなくなったし、仲間だってたくさん亡くしているんだよ。なのに、兵隊も説得して、この町のために、いろんなことをしてくれてるんだよ」

「それがどうした! そんなのは、あの男の自己満足な罪滅ぼしだ。わしの気持ちは、そんなものでは決して晴れん! あの男がなにをしようと、息子は帰ってこんのだ! ケリー、お前はこのままでいいのか?」


 レーベンさんは、痛いくらいの力で、ケリーの肩を掴んだ。


なにか言いたいのに、ケリーは言葉が出てこなかった。胸の奥で、得体の知れないものがざわついている感じがした。


「なぁ、お前のお父さんは、とてもいい男だったよな。腕のいい漁師で、気前も良かった。みんなに慕われていたし、力だって、裏通りの大男にも負けなかっただろう。わしは、お前のお父さんが大好きだったよ。あんな男は、滅多にいない。ケリー、お前にとっても自慢のお父さんだったろう?」


 レーベンさんの言葉が、急に柔らかみを帯びてケリーにまとわりついた。

 ケリーは、お父さんとの思い出がぐるぐると頭の中を回って、涙が溢れてきた。


「なぁ、失った悲しみは、癒えることはないだろう? このまま、あの男の下で働くなんて、悔しいとは思わんか? お父さんだって、そんなお前の姿は見たくないはずだ」


 ケリーは、レーベンさんの瞳から目が離せなくなった。


 死んだお父さんが、そんな風に思っているなんて、考えたこともなかった。心臓を掴まれたみたいに息苦しくなって、さらに涙がこぼれてきた。


「これからお前がどうするかは、お前が決めることだ。だが、わしがお前の立場だったら、やることは一つだと思うがな」


 そう言うと、レーベンさんは手を離して後ろを向いた。


「気をつけて帰れ」


 お店の奥に入っていく後ろ姿は、いつものレーベンさんだった。


 ケリーはふらふらとお店を出ると、途端に怖くなって、力いっぱい走り出した。


 ジャッ ジャッ ジャッ ジャッ ジャッ ジャッ ジャッ


 地面を乱暴に踏みつけた足音が、首飾りの音色を消していた。

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