第43話

「そうだ、ケリー。あなた、靴が欲しくない?」


 食事を終えると、お母さんは食器を片づけながら言った。


「えー、いいよ。べつに」

「でも、いつも足が泥だらけじゃない。それに、お給料が入っても全部お母さんに渡しちゃって、一度も自分のために使ってないでしょう? 自分で稼いだお金なんだから、たまには自分のことに使いなさい」


 笑顔のお母さんは、前よりも生気があって、顔色も良く見えた。

 ケリーは、少し照れながらも、言われた通り靴を買いに行くことにした。


 ケリーは、銀貨一枚と銅貨八枚を持って、町の南側にある靴屋へ向かった。


 今までは、裏通りを大きく迂回していかなければならなかった場所だ。

 でも、今は最短距離を安心して通ることができる。ケリーは嬉しくなって、気づかないうちに足取りが軽くなっていた。


「あ、ケリーだ! おーい」


 道の向こうから、聞き慣れた声に呼ばれた。

 見ると、エミリーがバルドの肩に乗ったまま、大きく手を振っていた。


「おう! ケリー。元気か?」


 バルドは、大きな口で笑った。

 近づくと、バルドの体に隠れて見えないところに、小さな子どもが何人もいて、肩に乗る順番を待っていた。


「あはは、大人気だね」

「おう! 休憩中はよ、こうやってガキどもと遊ぶんだよ! でもな、いっつもエミリーが一番に来て、肩に乗るんだ」


 また大きな口で笑いだしたバルドの肩で、エミリーが恥ずかしそうに耳を赤くした。


「ちょっと、バルド! それじゃあ、わたしが子どもみたいじゃない! もういいわ。降ろしてちょうだい!」


 十分子どもだと思いながら、ケリーは笑いをこらえていた。

 バルドがエミリーを降ろすと、すぐに子どもたちが足元に集まって、肩に乗せろとせがんだ。


「おうおう、まぁ待てって。せっかくだから、ケリーも乗っていくか?」


 まるで自分が馬車かなにかのように、バルドは明るく言った。


「いや、いいよ。この子たちが順番を待ってたんだから。それに、今から靴屋に行くんだ」

「そうか。じゃあ、今度な! おいおい、そんなにひっぱるなって!」


 バルドが二人の子を持ち上げると、子どもたちから歓声が上がった。

 目線が高くなった子も、楽しそうに笑って、バルドのひげをひっぱったりしていた。


「ねぇ、ケリー。わたしも、いっしょに行っていい?」

「うん、もちろん。エミリーも買うの?」

「ちがうわ、今は見るだけよ。未来の名女優にふさわしいくつがあるか、見に行くの」


 胸を張って答えるエミリーを、バルドが大声で笑った。


「な、なによ、バルド! 見てなさい! 大きくなったら、ぜったいに後悔させてあげるわ!」


 鼻息が荒くなったエミリーと歩きながら、ケリーはバルドたちに手を振って別れた。

 歩きながら、初めて来たときとは見違える裏通りの様子を、まじまじと見て回った。


「ねぇ、せっかくだから、お姉さまのところに寄って行きましょうよ」


 エミリーの提案で、二人はハルさんのお店に立ち寄ることにした。


「ケリー、エミリー!」


 お店の近くまで行くと、外にいたハルさんは、二人が声をかけるよりもはやく気がついて、駆け寄ってきた。


「なんだい、二人して。デートかい?」


 ハルさんは、いつかみたいな意地悪な笑顔で言った。


「ちがう!」

「そんなんじゃない!」


 ケリーとエミリーは、ほとんど同時に否定した。

 ケリーが見ると、エミリーの顔は赤くなっていて、ケリーの視線に気づくと乱暴に顔を背けた。


「あっはっは、ごめんごめん。そうだ、ちょうどよかった。二人も見ておくれよ」


 ハルさんは、二人の手を引くとお店の前まで連れてきた。


「どうだい?」


 ケリーは、目を丸くした。

 汚れていた壁は真っ白に塗られていて、ところどころ剥げていた扉も、きれいな赤色が彩っていた。

 お店の看板も、大きくて立派なものが下げられていて、存在感があった。


「すごい! お姉さま、すてき!」

「うん。新しいお店みたいだよ」

「そうだろう。ま、中は変わらないんだけどね。ちょっとお金に余裕も出てきたし、外見だけでもきれいにしたのさ。やっぱり、見た目がきれいな方が気分もいいからね」


 ハルさんは満足そうに言った。


「ところで、今日はどうしたんだい? ケリーは、いつもならこの時間はまだ仕事だろう?」

「うん、今日は大佐に仕事が入っちゃって、はやく終わったんだ。だから、今から靴屋に靴を買いに行くところなんだ」

「そうだったのかい。たしかに、あんたとジャックはいつも裸足だもんね。いい機会じゃないか。エミリーは付き添いかい?」

「うん、そうなの」

「うーん……でも、あたしの記憶が正しかったら、あんたのお父さんたちは今、裏通りの子どもに服を配っている最中で、あんたはそのお手伝いをしていたんじゃなかったかい?」


 エミリーは、小さく「あっ」と言った。


「忘れてたね。また、バルドと遊んでたんだろう? 今ならまだ、怒られずに済むんじゃないかい?」


 ハルさんに言われて、エミリーは悔しそうに唸った。


「うぅ、すっかり忘れてたわ。ごめんね、ケリー。わたし、パパのところに行くわ。でも、ちゃんとわたしのくつも見ておいてね。かわいいやつよ」

「まぁ、見ておくよ」

「それじゃあ、お姉さま、ごきげんよう。バイバイ、ケリー!」


 人の間を駆け抜けて、エミリーはあっという間に見えなくなっていった。


「まったく、あの子は忘れっぽいね。どうだい、ケリー。うちに上がっていくかい?」

「ううん、今はいいや。靴屋さん、夕方には閉まっちゃうから。帰りにまた寄るよ」

「そうかい。じゃあ、気をつけて行くんだよ。ジュース用意して待ってるからね」


ハルさんが道の真ん中で頭を撫でるもんだから、ケリーは照れくさい気持ちになった。

 ハルさんと別れると、ケリーは金槌の軽快な音を聞きながら、靴屋に足を進めた。


活気のある裏通りを抜けると、クレアおばさんの家がある静かな道に出た。

 野良猫があくびをして、のんびりと目の前を横切った。道沿いに進むと、よくある赤みがかったオレンジ色の屋根に、茶色いレンガでできた靴屋が見えてきた。

 近づくと、入口の横にある大きな窓から店内を見ることができた。大人から子ども用まで、いろんな靴が飾られていた。


「ごめんください」


 扉を開けると、取り付けられていた鈴が鳴って、店内から革の独特なにおいが漂ってきた。

 ケリーは、昔からこのにおいが好きだった。新しい革のにおいは、心を勝手にウキウキさせた。


「いらっしゃい」


 かすれた声と共に、腰の曲がったおじいさんがお店の奥から現れた。


 細目で、いつも不機嫌そうなこのおじいさんは、お父さんの知り合いで、ケリーも昔から知っていた。顔と違って、意外に優しい人なのだ。


「こんにちは、レーベンさん」

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