第41話
「おはよう、ケリー」
「毎日ご苦労さん。朗読員殿!」
海からの風がひんやりと冷気を帯び、港で獲れる魚の顔ぶれも変わり始めていた。
ケリーは、声をかけてくれた人に挨拶を返して、大佐の屋敷へ足を進めた。朝もやの向こうから、金槌を叩く高い音がテンポよく鳴っていた。
ケリーは音のする方へ顔をやると、自然と笑みがこぼれた。笑顔の先には裏通りがあり、この音は壊れた建物を直している音だった。
広場での出来事から、三ヶ月が経っていた。
大佐は、あの事件の翌日に説明会を開き、町の人に裏通りへの復興について詳しい説明を行った。
表町からはまだ反対する人もいたけれど、あのお金持ちのおじいさんがすっかり大人しくなっていて、勢いが足りない反対派の人は、しぶしぶながら従った。
おじいさんが、大佐とどんな話をしたのか分からない。でも、人が変わったみたいにケリーやハルさんたちに謝ってくれた。ジャックは、大佐となにがあったのか調べたがったけど、なんだか恐ろしくて、ケリーとハルさんでやめさせた。
それから、町は目に見えて変わっていった。
裏通りには働くために大勢の人が集まり、今まで無かった活気に溢れていった。
食べ物や服の支援も行われて、これはジャックのパン屋と、エミリーの仕立て屋が中心になって行った。
大佐の政策とみんなの支援で、みるみるうちに、汚かった裏通りはきれいになって、痩せて暗かった人たちは笑顔になっていった。すると、裏通りで悪いことをする人は減り、町全体の雰囲気が明るくなった。
もちろん、反対したり、不満がある人もいた。けれど、復興が進むにつれて、徐々にそういった声は聞かなくなっていった。
復興が進むのに合わせて、ケリーの周りの人たちも少しづつ変わり始めていた。
ハルさんは、裏通りから初めての町人会議の代表に選ばれた。
最初は遠慮したけど、みんなが「ハルさんしかいない!」と言うと、照れながらうなずいてくれた。先月あった町人会議に初めて出席したハルさんは、堂々と意見を言って、税金の金額について大佐を説得してみせた。
そんなこともあって、いまやハルさんは町中の男や若い女性に大人気になって、お店も忙しくなった。それでも、ケリーたちが遊びに行くと、必ずジュースをごちそうしてくれるし、今までの優しくてきれいなハルさんは変わらなかった。
バルドは、カシラに気に入られてよく一緒にお酒を飲みに行くようになったし、漁師にならないかとも誘われた。
でも、バルドが裏通りのために働きたいと言って断り、今は大工さんたちに混ざって、建物の修理の仕事をやっている。
力持ちのバルドは、みんなから頼りにされていて、本人も気分がいいようだ。
ゲルは、誰よりも教会の教えに熱心になって、毎日教会に通うようになった。
初めて会ったときとは別人のように礼儀正しく、言葉遣いも丁寧で、心なしか頭も神々しく光っているように見えた。
ショウは、ゲルとは別の理由で、教会に通うようになった。
シスターの女の子に、ぞっこんなのだ。なんとか気に入られようと、いつも一生懸命で、教会の掃除まで手伝うほどだった。
そのおかげか、鼻につく話し方はなくなり、悪さもせずによく働くようになった。仲間と一緒に、裏通りの子どもたちから、頼れる兄貴分として慕われていた。
変化があったのは、裏通りの人たちだけではなかった。
ジャックは、なぜかショウと気が合ったらしく、一緒に行動することが増えていった。だから、ショウの恋愛事情は、ジャックを通してみんなに知れ渡ってしまい、ケリーも話を聞くのを楽しみにしていた。
エミリーは、ハルさんに誰よりも惚れこんでしまって、夢が「ハルさんみたいな、かっこいい女優」に変わっていた。バルドにもすっかり懐いていて、バルドの肩に乗って町を歩くのが、なにより気持ちがいいらしい。
ケリーのお母さんもあの日以来、今まで裏通りに対して持っていた「悪い人が多くて危険なところ」という考えを変えたようだった。中でもハルさんとは仲良くなって、二人でお茶をするほどだった。
他の表町の人たちも、まだぎこちないけれど、裏通りの人を受け入れ始めていた。目には見えないけど、みんなお互いの間にあった壁が、徐々に崩れていっている気がしていた。
そして、ケリー自身にも、大きな変化が起きていた。
ずっと心の中にあったはずの大佐への殺意が、いくら探しても見つからなくなってしまったのだ。
ケリーには、その理由に心当たりがあった。
大佐が自分に協力してくれ、裏通りの人のために支援を行ってくれたこと。
そして、自分と大佐の行動に込められた意味を知ってしまったからだ。
あの日から一ヶ月が経ったある日、ケリー・ジャック・エミリー・ハルさんなど、例の寄付に関わった主な人たちで、教会に行った。
神父さまに、あの寄付について本当のことを話すためだ。
みんな、ずっと悪いと思っていたし、改心したゲルに至っては、罪悪感で苦しんでいた。
教会に着いたケリーたちを、神父さまはいつもの優しい笑顔で迎えてくれた。ケリーたちは、頭を深く下げて本当のことを話した。
「そうですか。よく分かりました。あの寄付が善意からではなかったのは、たしかに残念です。しかし、おかげで町は変わろうとしています。ゲルさんのように、神の教えを信じてくれる方も増えました。あなたたちは人を救おうとし、実際に人を救ったのです。それを責める気持ちは、私にはありませんよ」
神父さまは、微笑んだまま言った。
「こうして、神の前で私に謝ってくれたのです。神も、懺悔として聞いてくださるでしょう。正直に話してくれて、ありがとうございます」
神父さまの言葉を聞いて、みんな心のつっかえが取れたように安心した。
みんなで神さまにお祈りしたあと、ケリーたちは教会をあとにした。
帰り道。みんなで楽しく話していると、ハルさんが何気なく言った。
「それにしても、大佐はやっぱりすごいね。裏通りに対して良く思っていないのは、大佐だって同じだろうに」
「どうして大佐がよく思ってないの?」
エミリーが首をかしげて聞いた。
「ほら、この前話しただろ? 裏通りの連中の多くは、戦争で敵をやっつけて戦果を上げたって。ってことは、大佐の仲間を大勢殺したってことさ。それを水に流したってことだろう? なかなかできることじゃないよ」
ケリーに、頭を思いっきり殴られたような衝撃が走った。
くらくらして、足が急に重たくなった。
「どうしたんだい? 大丈夫かい、ケリー」
「う、うん。ちょっとつまずいちゃっただけ」
「そうかい? 疲れてるんじゃないかい? 今日は家で休みな」
ハルさんが優しく声をかけてくれて、ジャックが家まで送ってくれた。
「あんまり無理すんなよ。じゃ、またな!」
家に入ると、お母さんはまだ帰ってはおらず、冷たい静けさがケリーを包んだ。
ケリーが倒れ込むと、ベッドがきしんで小さく悲鳴をあげた。
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