第39話

「なんだ、お前は!」


 おじいさんは、血走った眼を向けて、ケリーに唾を飛ばした。


 ケリーが顔にかかった唾を拭うと、勝手に口が開いて次々に言葉が飛び出してきた。


「おじいさん。おじいさんの話だと、子どものことなら、考えてくれるんだよね? じゃあ、僕はまだ子どもだから、僕の言うことなら、ちゃんと聞いてくれる? 僕はね、裏通りの人たちがこれ以上苦しんだりしないように、大佐にはちゃんと支援してもらいたい。裏通りの人もこの町に住んでるんだから、町人会議に出てもいいと思う。表町の人と、裏通りの人が仲良くしたっていいんじゃないかな。今までのやりとりを見てて、僕はそう思ったよ。おじいさんは、どうしてそこまで嫌がるの? 子どものことを考えてくれるなら、僕にも分かるように教えてよ」


 今までにないくらい怒っているのに、ケリーは暴れたりせず、妙に落ち着いていた。

 ただ、言葉だけが熱いお湯のようになって、おじいさんに注がれていた。


 おじいさんは、小さいケリーから淡々と発せられる言葉に目を丸くして驚いていた。


「そうだぜ! ちゃんと説明してくれよ、じいさん。オレ、意味わからねぇよ」

「いいじゃん、仲良くして。なにがいけないの? いつも、おとなたちは、みんなと仲良くしなさいって言ってるじゃない。おともだちを作ることが、いけないことなの?」


 ジャックとエミリーも進み出て、ケリーに続いて口を開いた。


 おじいさんは、三人の顔を何度も見たかと思うと、ぶるぶる震えてまた唾を撒き散らした。


「黙れぇ! ガキが生意気言うんじゃない! 大人の話し合いに口を出すな! 裏通りの汚いガキに、なにが分かる! ひっこんどれ!」


 おじいさんは、ものすごい形相で睨みながら、今までで一番の怒鳴り声を上げた。


 でも、三人とも怖がるより先に、首をかしげた。

 どうやら、裏通りの人たちと一緒にいて、バルドの応援をしていたケリーたちを、裏通りの子どもと勘違いしているみたいだった。


 これには、ケリーたちより早く表町の人たちが反応した。


「おい、じいさん! その子たちは、表町の子どもだよ!」

「朗読員の子よ。おじいさん、知らなかったの?」


 みんな、ケリーたちの存在に今気づいた様子だったが、おじいさんは背後から起こるブーイングに、言葉を失っていた。

 再びケリーたちに顔を向けたとき、心なしか、さっきまでの迫力が薄れているように思えた。


「な、なんで表町の子どもが、こんな奴らと一緒にいるんだ。こっちに来い。そっちは危ない」

「どこがですか?」


 振り向くと、ケリーのお母さんが、息を荒くして後ろに立っていた。となりのハルさんが、震えるお母さんを心配そうな目で見つめていた。


「私は、この子の親です。さっきから見ていましたが、親として言います。子どもにとって危ないのは、そちらです。さきほどの混乱で、あちらの兵士さんと一緒に、この子は押しつぶされそうになりました。助けてくれたのは、息子を昔から知っているはずの表町の人ではなく、知り合って間もない兵隊の方と、裏通りの方々でした。そして、今にも争いが始まろうとしていたとき、話し合いを提案したのも、裏通りの方です」


 表町の人はみんなうつむいて、何も言わなかった。


「話し合いの内容も、私はどうも裏通りの方に共感してしまいます。私は、生まれも育ちも表町ですが、あなたの言っていることは理解できません。どうぞ、罵るならご自由にしてください。私は、親として大人として、息子の未来を考える義務があります。今の私の頭には、表町と裏通りが和解するか、私たちが裏通りに転居するかの二つしか浮かびません。あなたのような人がいると、子どもに悪い影響を与えると思ってしまいます。」


 ケリーには、お母さんが涙を我慢をしていることが、はっきりと分かった。


 目は赤くなっていたし、声も微妙に震えていた。

 なにより、元々大人しい性格のお母さんが、こんな風に人に反論するところなんて、初めてのことだったのだ。

 そんなお母さんの姿が、ケリーは嬉しくてたまらなかった。ハルさんがそっと肩を支えると、お母さんは安心したように微笑んだ。


「お、おい。ちょっと落ち着け、な?」


 お母さんのことをよく知っているカシラは、戸惑った様子で言った。


 表町の人たちは、お母さんの言葉を聞いても誰も口を開かなかった。


 押しつぶされそうになったとき、一目見れば、ケリーのことは分かったはずだった。でも、みんな自分たちのことで頭がいっぱいで、まったく気づいていなかった。ジャックとエミリーが来ても、小さな子どもの顔なんて見えていなかったのだ。


 そんな中、じっとお母さんを睨んでいたおじいさんが、また一人で怒鳴り始めた。


「わしにそんなこと言って、ただで済むと思っているのか!」

「なにかするの?」


 とっさに口を開いたケリーの胸に、ムカムカしたものが渦巻いていた。

 せっかくのお母さんの勇気を、無駄にしたくはなかった。なにより、ずっとお母さんを睨んでいたおじいさんに、腹が立って仕方がなかったのだ。


「さっき、町の未来を考えろとか、子どものことを考えろって言ってた人が、ただ自分の意見を言っただけの人に、ただじゃ済まないことをするんだ。こわいなぁ。そんなこと言う人が、町人会議の代表だなんて、信じられないなぁ」

「ほんとうだよなぁ。でも、ハルさんたちはオレたちのこと、守ってくれたりするんだろ? さっき、格がちがうとか言ってたけど、格が上でこわい人よりも、格が低くても人間できてる人のほうがいいよなぁ。オレも、裏通りに住もうかなぁ」

「っていうか、カクってのがわけわからないのよ! なに、カクって。ばっかじゃないの? あんたよりも、バルドのほうが頼りになるし、お姉さまのほうが、くらべものにならないくらいきれいよ! 意味わからないカクっていうのより、みんないいところ持ってるんだから、そこを見なさいよ! このわからずや!」


 ジャックとエミリーも、吐き出すようにケリーに続いた。


 中でも、エミリーは噛みつくように言って、裏通りの人たちからは拍手が上がった。みんながおじいさんに言いたかったことを、小さなエミリーが言ってくれたからだ。


 ケリーも笑って、拍手を送った。エミリーは、なんでそんなことになっているのか分からないようで、きょとんとしていた。


「このっ、ガキが……」

「おじいさん。これが、おじいさんが考えるべきだと言った、子どもの意見です。住んでる場所は関係なく、みんなそれぞれいいところがあります。大切な友達だし、同じ町で暮らしていて、なんの違いも感じられません。大人たちが差別していても、無責任なことを言ったり、考えを押し付ける人よりも、僕らは、一笑い合って助け合える人たちと一緒にいたい。それは裏通りとか、表町とかは関係ないはずです。」


 エミリーのおかげで、ケリーは頭に上っていた血が下がって、冷静になることができた。


「よく知らない人と、急に仲良くするなんてできないと思います。だから、時間をかけて、お互いのことを知っていけばいいんじゃないですか? そうすれば、今すぐは無理でも、おじいさんが考えろと言ったこの町の未来は、みんなが笑って暮らせる未来になると思います。これが、僕の考えです」


 ケリーは、ぺこりと頭を下げた。


「あと、オレの考えでもあります」

「わたしも!」


 ジャックとエミリーも、続けて頭を下げた。


「そうだ!」

「いいこと言うじゃねぇか!」


 裏通りの人たちから、大きな歓声が起こった。


 ハルさんとお母さんは、一緒になって目に涙を浮かべて笑っていた。

 そのうち、表町の人から、ぽつぽつと拍手をする人が出てきた。やがて、それはみんなに広がって、広場はうねる波のような拍手と歓声に溢れた。


「ケリー! 気づかなくてごめんな!」

「一緒に町を変えていこう!」


 表町の人の中には、まだ複雑そうな顔をしている人もいた。

 でも、裏通りの人のように笑っている人も多かった。


「ジャック! また店サボりやがったな! でも、今回は許してやる! よく言った!」

「エミリー! いいこと言ってるんだから、もうちょっと言葉を選びなさい!」


 遠くから、ジャックとエミリーのお父さんの声がした。


 ジャックとエミリーは、恥ずかしそうな嬉しそうな表情で、ケリーと顔を見合せて笑った。

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