第33話

 低く、でも心臓に響く声で大佐は言った。フリッツさんとは違って、感情が顔に表れず、少し気味悪く感じた。


「ありがとうございます。実際に、裏通りには僕の友達がいます。よく知らない近所の人よりも、裏通りにいるその人の方が信頼できます」


 ケリーの頭には、ハルさんの顔が浮かんでいた。


「そんな人もいるから、僕は裏通りに住む人たちが悪い人ばかりなんて思えません。みんな、知らないから怖いんです。怖いから知ろうともしなくて、勝手に決めつけたりするんです。なにも悪いことしてない人まで悪人だなんて、そんなのかわいそうです。おかしいです」


 気付かないうちに、早口になってしまっていた。

 ケリーは息を整えて、改めて大佐を見た。大佐は変わらず手を組んだまま、布の目を向けていた。


「そうだな、その通りだ。そのことに対しては、我々が間違っていたな。すまない、訂正しよう」


 大佐は息を吐き出すように話すと、机に付きそうになるくらい頭を下げた。


「大佐、私が言ったことです、私が謝罪します!」


 フリッツさんは、心底驚いたようで見るからに焦っていた。


「フリッツ。お前の失敗や不手際は、お前の主である私の責任でもあるのだ。こんなものは、当たり前だ。ケリーくんには、大人の誠意を見せるべきだろう」


 フリッツさんは「すまなかった」と頭を下げた。声がかすかに震えていた。


「よしてください。もういいです、分かりました」


 自分でも驚くほど、ケリーは冷静だった。

 いつものケリーなら、大佐とフリッツさんに頭を下げられたりすれば、きっと慌てて逆に自分が謝っているだろう。


「ありがとう。では、こちらの質問にも答えてくれるかな?」


 大佐が少し前のめりになった。


「はい。分かりました」

「うむ、昨日行われた寄付自体については、まぁ善行と言えるだろう。問題は、彼らが出したお金だ。さっき言った通り、その金額は不自然だ。きみは、その出所を知っているのではないか?」


 大佐の言葉からは、お金は盗まれたものだという確信が、ありありと伝わってきた。

 そして、ケリーが真相を知っていることを見抜いている。

 ケリーは、大佐に見つめられていなくて、本当によかったと思った。もし、じっと目を見られたら、心の中をすべて知られてしまう気がしたのだ。


「はい。でも、知っているというより、僕はそう思うって感じです。確認はしてないですが、でも、たぶん合っていると思います」

「ほう。聞かせてもらおうか」

「はい。あのお金は盗まれた僕の給料です」


 大佐はケリーが嘘をつくと思っていたのか、口を開いて固まってしまった。フリッツさんも、目を丸くしていた。


「はっはっはっは。そうか、きみはそう思うのか」


 大佐は、弾かれたように笑った。


「はい。そうです」


 ケリーが答えると、すぐに大佐から笑みは消えて、静かな声がケリーに向けられた。


「なら、きみは盗んだ犯人を知っているね? そして、その上で昨日その者と一緒に寄付に行ったわけだ。それは、きみのために行動したすべての者を裏切る行為だ。軍の兵たち、フリッツや私。多くの人間を、きみは裏切ったと認めるのかね?」


 言葉が冷たい刃になって、体をひたひたと叩いているような気分になった。

 大佐が持つ権力と厳しさと怒りが、すべてケリーに向けられている。ケリーは生唾を飲み込んで、その場にへたり込まないようにふんばった。


「大佐、それはちがいます。僕は、そう思うだけです。盗んだ犯人は知りませんし、教会にいた人たちの中にいたのかも分かりません」


 大佐は疑うように首をかしげた。ケリーは体中が強張った。人生で一番大きな嘘の始まりだ。


「どういうことだ? すまんが、私にはイマイチ意味が分からない」

「ご説明します。僕が盗まれたお金だと思うのは、大佐がさきほど言われた通り、不自然だからです。大佐もおっしゃっていたように、裏通りの人たちが悪いことをしてしまう大きな理由が、貧しいことです。なのに、あのお金は不自然すぎます。実は僕は、昨日友達と犯人を捕まえようとしていました。大佐や軍隊の人たちに任せるんじゃなくて、自分で捕まえようと思ったんです。町の人にも迷惑をかけちゃったし」


 ケリーは、心を落ち着けるように言葉を切った。


「裏通りを探したんですが、犯人は見つかりませんでした。でも、そのときに寄付に向かっている人たちを見つけたんです。僕は、彼らといっしょに教会に行きました。たくさんの人たちが、町のためにと言って寄付していました。神父さまは、感動して泣いていました。そのとき、もしかしてと思ったんです。この人たちは盗んだお金を、寄付に使っているんじゃないかと」


 ケリーは、嘘と本当を混ぜて話した。大佐は黙って、耳を傾けていた。


「ならば、なぜきみは一緒になって寄付をしたのだ? きみを襲った犯人がその場にいた可能性は高いだろう。すぐに我々に知らせるべきではなかったのかね?」


 フリッツさんが、汗で下がった眼鏡を上げた。

 たぶん、ケリーが大佐を裏切るようなマネをしたから、許せないんだろう。また、ケリーに噛みついた。


「それは、たしかに盗んだ犯人がいたかもしれません。でも、悪い人はいませんでした」


 フリッツさんは首をかしげた。なにを言っているのか、分からないといった感じだった。大佐は黙っていた。


「どういう意味だね?」

「あの人たちが使ったお金は、もしかしたら僕から奪ったお金だったかもしれません。でも、自分たちが貧しいのに、町への寄付にお金を使った人たちを、僕は悪い人だとは思えません」


 これは、本当の気持ちだった。協力を頼んだとき、みんなお金を持って逃げることだってできたのに、誰もそんなことをしなかった。


「だから、僕は盗んだ人がだれであれ、許そうと思っています。だって、証拠もないですし」

「それは、金額を計算すれば分かることだ。もし、きみが受け取った給料と同じ額なら、彼らの中に盗人がいることは紛れもない事実だ。見過ごすわけにはいかない」


 フリッツさんはまったく引かなかった。すると、部屋の扉がノックされて、メイドのお姉さんが気まずそうに入ってきた。


「失礼します。兵隊の方が、集計の結果をご報告に来られまして、こちらをお渡しするように申しつけられました」


 メイドのお姉さんは、フリッツさんに茶色い封筒を渡した。


 ケリーとすれ違うとき、心配そうな目でチラリと様子を窺ってくれた。部屋を出ていくときも、フリッツさんに分からないように、ケリーにウインクをしてくれた。

 いつものイタズラっぽいものではなく、がんばってと励ましてくれているようだった。


「噂をすれば、ですな。寄付金の集計結果が来たようです。ケリーくん、これを見れば答えは出る。大佐、確認してもよろしいでしょうか?」


 大佐がうなずくと、フリッツさんは手早く封筒を開けて、中の紙を取り出した。


「昨日の寄付金の合計結果は……金貨一枚と銀貨五枚、銅貨十九枚。ん? これは」


 フリッツさんは目をぱちくりさせた。ケリーの給料と違うのだ。


 実はケリー、ジャック、エミリーが寄付したお金は、ケリーがお母さんに渡されたお金だったのだ。

 金額が同じだった場合、偶然だと言い張るのは難しいと、ケリーは考えた。だからそんなことをしたのだが、予想以上に効果があったので、ケリーはちょっとだけ得意な気持ちになった。


「違うみたいですね」


 ケリーが言うと、フリッツさんは諦めたようにうなずいた。


「どうやら、我々の負けのようだ。きみは、犯人が町のために盗みを働いたというのだね? いいだろう。その理由であれば、きみが犯人を許すというなら、これ以上の捜索は止めにしよう」

「いえ、それだけじゃダメです」


 強く言ったケリーに、大佐は口元を上げて「ほう?」と言った。


「大佐は言いました。裏通りの人たちが悪いことをする原因は、貧困だって。なら、それを解決してください。悪い人ばかりじゃないことは、今回の寄付で証明されたはずです」


 これには、大佐の笑顔は消えた。

 ハルさんが言っていたように、大佐は戦争のことが原因で、裏通りの人たちのことをあまり良く思ってはいなかったのだ。


「それに、大佐は前にこうもおっしゃいました。町の復興に努力してきたと。裏通りには、まだ復興が進んでいないところがたくさんありました。住んでる人は、お金がないし建物を直す余裕なんてありません。どうか、大佐が助けてあげてください。おねがいします」


 頭を下げたケリーには、大佐がどんな表情をしているのか分からなかった。


「はっはっはっはっは!」


 愉快だと言わんばかりに吹き出した笑いに、ケリーは思わず顔を上げた。見ると、大佐が大きな口で笑っていた。


「いやいや、すまん。まさか、きみのような子どもに、そんなことを言われるとは思わなんだ。今の私の立場はこの町の統治者だ。過去の因縁もあるが、やるべきことをしよう」


 ケリーの顔は、光が差したような笑顔になった。耳に入ってきたばかりの言葉が、なによりも嬉しかった。


「ありがとうございます!」

「いや、礼を言うのはこちらのほうだ。きみのおかげで、この町はよりよいものになるだろう。大人として、統治者として、これからの町に必要なことをしていこう。約束する」


 ケリーは勢いよく頭を下げて、もう一度お礼を言った。


「さぁ、今日はもう帰りなさい。これから会議を開いて、なにをするべきか決めるからね。もちろん、寄付に参加した者たちにも、相応の評価を与えるつもりだよ」


 笑顔の大佐に、倍以上に明るい笑顔で、ケリーは「はい!」と返事した。


「ケリーくん、すまなかった。多すぎた失言をお詫びしたい」


 フリッツさんが深々と頭を下げたので、ケリー慌てた。いつものケリーに、戻っていた。


「大丈夫です、フリッツさん! もういいですから!」


 フリッツさんが頭を上げると、ケリーは走り出したい気持ちを抑えて、部屋を出た。でも、廊下では我慢できなくて、足取りがスキップになってしまった。



「……すまなかったな、フリッツ」

「いえ、私はべつに」


 ケリーが部屋を出ると、大佐は椅子の背もたれに体を預けながら言った。フリッツさんは、眼鏡を上げながら応えた。


「大佐、本当によろしかったのですか?」


先ほどとは別人のような、いつものフリッツさんが静かに口を開いた。


「なんのことだ?」

「あまり、裏通りの者たちに対する救済を進めますと、兵たちの士気に乱れが生じる危険があります。軍に入ったばかりの新兵はともかく、古参の幹部や戦争を経験した者たちの中からは、不満の声が上がるでしょう。だからこそ、今まであの地域には手をつけてこなかった。そうでしょう?」


 真剣な瞳が、大佐を見つめていた。眼鏡の奥から、言葉にしていない強いメッセージが放たれていた。


「あぁ、分かっているとも。私も前線で戦い、多くの仲間と光を失った」


 大佐の太い指が、顔に巻かれた布にそっと触れた。


「そんな私の立場だからこそ、分かってくれる者もいるだろう。ケリーくんに言った通り、私はこの町の統治者だ。町のためになることをし、害になることはしてはいけない。裏通りの問題は、このままにはできないようだ。この町の未来のために、私は努力しよう。兵たちには私から説明して、理解してもらえるように努めよう」


 大佐は振り向いて、窓から差し込む光を浴びた。


「大した子どもじゃないか。我々を相手に、あれだけはっきりとものが言えるんだから」


 嬉しそうな笑みを浮かべた大佐は、まるで子どもの成長を喜ぶお父さんだった。


「ですが、彼は気づいているのでしょうか。自分がやったことに、どういう意味があるのかを」


 疑問を抱くフリッツさんに、大佐は優しい笑顔を向けた。


「あの子は我々が思っていたよりはるかに賢く、できる子だ。いや、そうなったのかな。どうやら、朗読の仕事は彼を劇的に成長させたようだ。あんな十一歳はめったにいないよ。今は分からなくても、きっと自分で気づくだろう。そのとき、彼がなにを考えどう行動するかが、楽しみだな」

「……大佐」


 重たいフリッツさんの声を聞いても、大佐は笑ったままだった。

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