第31話
「いいかい。ここからが正念場だよ。有難いことに、神父さまの協力が得られた。でも、うまく大佐を出し抜けるかは分からないんだからね。軍隊のやつらも、絶対に犯人を見つけてやるって、殺気立ってるんだから」
「軍隊はトニーがいるんだから、なんとかなるんじゃないの?」
「あいつは、下っ端の兵士さ。影響力はそんなにないよ」
ジャックがため息をついた。でも、教会に来るまでの道を確保してくれたし、何度も助けてくれたのだから、これ以上のことを期待するのは悪いとケリーは思っていた。
「ねぇ、ケリー。これからどうするの?」
エミリーは、なにかしたくてたまらないという目でケリーの顔を覗いた。
「えっと、考えはあるんだけど、すぐにみんなにやってもらうことはないよ。神父さまが大佐にかけ合ってくれるみたいだし」
ケリーが答えると、エミリーはつまらなそうに口を尖らせた。
「まぁまぁ、今は神父さまと、あたしたちのケリーを信じようじゃないか」
ハルさんは、ケリーの後ろに回ると覆いかぶさるように抱きしめた。
「ハルさん~」
ケリーは恥ずかしくて、必死に抜け出そうとした。
でも、ハルさんは面白がってなかなか離してはくれなかった。ジャックとエミリーがからかっていると、周りの人たちまで笑い始めて、教会の中に笑い声が満ちていった。シスターたちもつられて笑う中、神父さまだけは、涙を流してこの状況を喜んでいた。
「では、私は名簿を持って、このまま大佐のところへ行って参ります。必ず、大佐のみなさんへ対する考え方を変えてみせます!」
大佐の屋敷へ向かう神父さまの背中に、みんな「がんばれ! 神父さま!」「おねがいします!」「お気をつけてー!」と思い思いの言葉を投げかけた。
「さて、あたしたちも帰るかね」
「ちょっと待ちな」
四人が歩き出すと、すぐに呼び止める声がした。振り向くと、ゲルやショウ、寄付に協力してくれた裏通りの人たちが、ケリーたちを囲んだ。
「な、なんですか?」
「まぁ、ボウズ、そんなにビビるなや。ちょっと、一言づつ言わせてもらいたいだけなんだからよ」
目の前にいた、ひげがもじゃじゃ生えた大男が言うと、他の人たちも「うんうん」とうなづいた。ハルさんも一緒になって顔を見合わせていると、突然ゲルがケリーの手を取った。
「ありがとう。俺は生まれて初めて教会に来たが、神の教えがこんなにも素晴らしいものだとは、思わなかった。これからは改心して、真面目に働こうと思う。正直、最初はハルに言われたから来たんだが、お前は俺の人生を変えてくれた。ありがとう」
ゲルが顔がくっつきそうなくらい近づいてきたので、ケリーはちょっとのけ反った。
「へぇ、あんたがね。ツケを全部返してくれるのを楽しみにしてるよ」
ハルさんが言うと、ゲルは「おう!」と元気よく答えた。ゲルが手を離すと、さきほどの大男が進み出て、乱暴にケリーと握手をした。
「おれはよ、大佐にひと泡吸わせたいと思っただけなんだけどよ、なんだかうまくいきそうな気がするぜ。あんがとな!」
男が大きな口で笑うと、ひげがさわさわと揺れた。
「ねぇ、ひと泡吸わせたいじゃなくて、吹かせたいじゃない?」
エミリーが首をかしげて言うと、どっと笑いが起きた。
「う、うるせぇぞお前ら! 嬢ちゃん、教えてくれてあんがとよ。来週からよ、おれも日曜日の勉強会に出るからよ! 嬢ちゃんたち、会ったらいろいろ教えてくれよ! あ、おれの名前はバルドっていうからよ!」
勉強会に大人も参加できたか分からなかったが、バルドは満足したように大股で下がって行った。
そのあとも、何人もの人がケリーに握手を求めてきて、一人づつお礼を言ってきた。大半は、大佐や町の人たちを見返したいという思いから、協力してくれたようだった。
でも、涙を流してくれた神父さまの姿や、作戦の発案者が裏通りとは関係のない、しかも盗みの被害者であるケリーだと知ると、みんな感動して自分たちも変わるべきだと口々に言ってくれた。
やがて、まだ足をひきずりながら、ショウがケリーの前に歩み出た。
「えっと、悪かったな。その、謝ったって許してもらえないだろうけど、反省は死ぬほどしてる」
ショウはチラッとハルさんを見ると、すぐに目を逸らした。
「それと、まさかこんなことをしてくれるなんて、思ってもみなかった。これからは盗みなんて絶対しないし、なんか困ったことがあったら言えよな。おれたちにできることなら、なんだってするからよ」
ここまでショウが反省したのは、ハルさんの恐ろしさとシスターの優しさのおかげだろうと、ケリーは思った。
裏通りの人たちは、まるでお祭りの帰りのように、笑いながら帰っていった。ハルさんは、ケリーたちを送るためにゲルたちとは逆の道を歩いていた。
「なんかさ、すごいことになってきたよな」
赤く染まった雲を見上げながら、ジャックがぽつりと言った。昼ごろまで重たく空を覆っていた雲は、今はいくつかに分かれて、夕焼けが広がった空を漂っていた。
「ほんとよね。町をまきこんだ大事件のなかに、わたしたちがいるのよ。まるでお芝居のなかみたい!」
エミリーは嬉しそうに笑った。ハルさんが笑いながら、エミリーの頭を優しく撫でた。
「そうだね。でも、みんな浮かれすぎだよ。たしかにやることやったけど、うまくいく保証はどこにもないんだよ? まぁ、お気楽なのが、あいつらのいいところでもあるんだけどね」
遠くの雲のすき間から、ハルさんの顔を夕日が照らした。すごくきれいで、ケリーは一枚の絵のように見えた。
「でも、お姉さまもいっしょにやってくれたでしょ?」
「そうだね。うまくいく保証はないし、世の中そんなに甘くないとも思う。でも、なんだろう、うまくいってほしいって思ったんだ。今まで、こんなこと一度もなかったからね。それに、信じたかったんだよ。小さな可能性でも。なにより、あんたたちをね」
照れくさかったけど、ハルさんの笑顔に、ケリーは微笑み返した。ジャックとエミリーも、嬉しそうに笑っていた。
「ここまできたら、とことん付き合うよ! とにかく、明日まで待つことだね。神父さまの訴えがどこまで大佐を動かすか、見届けてやろうじゃないか!」
「オー!」
「もちろんよ!」
ジャックとエミリーは、威勢よく言った。
「うん!」
ケリーも笑顔で応えた。
町を巡回する兵隊を避けながら、四人は広場まで、楽しくおしゃべりをしながら歩いた。
広場でハルさんと別れてからも、三人は興奮したままで、すれ違った兵隊に怪しい目で見られてしまった。エミリーと別れ、ジャックとも別れたころ、夕日は見えなくなっていて、月が雲の向こうから一生懸命に町を照らしていた。
淡い光を見上げながら、ケリーは息を大きく吸い込んだ。
今日は色々大変だったけど、ものすごく楽しい一日だった。
まだうまくいったわけじゃないのに、あんなにお礼を言われるなんて思いもしなかった。目を閉じると、出会ったばかりの人たちの顔が、一人づつ蘇ってきた。
生まれ変わったように目を輝かせていたゲル。
豪快で、なんだか憎めないバルド。
怒る気持ちもあるけれど、ちゃんと反省して、二度と盗みをしないと約束してくれたショウ。
そしてなにより、ずっとケリーたちに協力してくれたハルさん。
優しくてきれいで、怒るとすごく怖いけど、悲しい過去も乗り越えた強い人。
この人たちが、これからずっと差別を受けるなんて、悔しくてたまらなかった。この人たちのために、自分ができることを精一杯したいと、ケリーは強く思っていた。
だからこそ、この作戦は最後までやり遂げなければならなかった。ケリーは目を開けると、雲の間から顔を出した月を見つめて、足早に家に向かって歩き出した。
まだ、この作戦は終わっていない。
みんなには話していない、重要なことが残っていた。
それは、ケリーにしかできないことだけど、話せばきっとハルさんは止めただろう。
だから、ケリーは誰にも告げず、一人でやり遂げるしかなかった。でも心細さはなかった。
むしろ、心の中では、使命感と責任感が競い合うように燃え上がっていた。
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