第24話
ハルさんは、カウンターからオレンジジュースとリンゴジュースとミルクを、ごちそうしてくれた。
「ふう。のどが渇いてたから、ありがたかったぜ」
「エミリーはなんでミルクなの?」
「決まってるじゃない。少しでもハルお姉さまに近づくためよ」
「あははは。見てるだけでたのしいねぇ、あんたたちは。そういえば、よくここまで来れたね。外は兵隊がうじゃうじゃしてるのに。そのせいで、この辺りの連中は気が立っちまってるけどね」
「あ、そういえば来るとき見たよな、大乱闘。すごかったなぁ」
ジャックが興奮したように言った。
ケリーは、あのときの人たちがどうなったか気になった。
怪我をした人はいただろうか。
兵隊の人は捕まえるっていってたけど、本当だろうか。
もし、そんな人がいたら原因を作ってしまった自分のせいではないか。
「あんたが気にする必要はないからね、ケリー」
心の中を見透かしたように、ハルさんが言った。
「この辺りの連中は、元々大佐たちが嫌いなのさ。店の税金を払ってないところだってあるし、小さな揉め事ぐらいなら、いつも起こってるんだよ」
ハルさんは小さく笑いながら言った。
「お姉さま、なんで大佐が嫌いな人が多いのですか?」
「それは……」
エミリーの問いに、ハルさんは言葉を詰まらせた。
戦争が関係していることは、ケリーには分かった。ジャックも同じようで、渋い顔でエミリーを小突いていた。
「この辺りに住んでる人たちはね、多くの人が戦争で家族を失ってるんだよ。なんでか分かるかい?」
ケリーは首をかしげた。そんなの、ケリーだってお父さんを戦争で失っている。この辺りの人に限ったことじゃないように思えた。ハルさんは、またケリーの心を読み取ったように話を続けた。
「言い方を変えようか。ここ以外でも、戦争で家族を失った人がいるね。でもね、この裏通りみたいに、そんな人たちが固まってるとこは他にはないんだよ。ここに住んでる連中で、家族が全員いるような人は見たことがないね」
ケリーは、なんだか背筋がぞっとした。たしかに、ケリーの近所には戦争で家族を亡くしたあまり人はいない。
ジャックやエミリーの家だって、お父さんは戦争に行ったけど、無事に帰ってきた。一体、このことにどんな理由があるのか、とても気になった。
「理由はね、戦争に行った連中の中でこの辺りに住んでた奴らってのは、ほとんどが最前線で戦わされたのさ。最前線って言えば聞こえはいいけど、要は盾さ。一番銃弾や砲弾が当たりやすい、死にやすい場所にやられれば、そりゃあ生きて帰ってこいっていうほうが無理な話さ。逃げる場所すらないんだから」
ハルさんは、さっきの笑顔がどこかへ行ってしまったように、静かな表情をしていた。
「だから生き残るためには、多くの敵をやっつけなくちゃいけない。辛うじて帰ってきた裏通りの男たちは、誰よりも戦果を上げたんだよ」
ハルさんはため息をついた。
「でもね、戦争に負けてしまったから、命がけで上げた手柄も無駄になってしまったんだ。だから、ここに住んでる連中の多くは大佐が嫌いなのさ」
ハルさんは、後味が悪そうな表情で話を終えた。話を聞いていた三人は、なにを言っていいのか分からなかった。
「はぁ。せっかく遊びにきてくれたってのに、暗い空気にしてしまったね。そうだ、なにか食べるかい? すぐに作るよ」
「ハルさん」
ケリーは、ハルさんがせっかく雰囲気を明るくしようとしてくれたのに、暗い声のまま真剣な表情で言った。
「ひとつ気になるんだけど、聞いてもいい?」
「……あたしはいいけど、他の二人はいいのかい? たぶん、楽しい話じゃないんだろ?」
ハルさんは、ジャックとエミリーを見て言った。
「オレはいいよ。っていうか、聞いてみたい。こういうとき、ケリーが意味のないことを聞くとは思えないし」
ジャックは、ケリーと同じように真剣な顔で言った。
「わ、わたしも!」
エミリーも声を張ったけど、イマイチ状況が飲み込めていないみたいだった。
二人の返事を聞いて、ハルさんはうなずいた。
「分かったよ。じゃあ、ケリー。一体なにが聞きたいんだい?」
ケリーは、口に溜まった唾をごくりと飲み込んだ。
「どうして、ここの人たちだけが戦争のとき、最前線に送られたの? 同じ町の人たちなのに、どうしてここの人たちだけが、危険な目にあったの?」
ケリーが言い終わっても、ハルさんはしばらく黙って、なにかを考えているようだった。
やがて口を開くと、さざ波に似た静かな声が流れた。
「あんたたちは、この辺りのことを大人たちからなんて聞いてる?」
「悪い人が多いから、近づいちゃだめだって」
ケリーが答えると、ジャックとエミリーも同じだと言うようにうなずいた。
「だろうね。じゃあ、どうして悪い人が多いのかは聞いているかい?」
三人は、誰も答えることができなかった。誰も、大人からその理由を聞いたことがなかったからだ。
ハルさんは、三人の反応を予想していたようで、答えがないまま話を続けた。
「じゃあ、あたしが教えてあげる。この辺りが避けられるのは、あたしたちが生まれるずっと前からのことさ。いつからなのか、具体的な年月なんて分からないけど。あたしが子どものころにも、この辺りは悪い人が多いって言われていたよ」
ハルさんの目が、悲しそうに曇った。
「大昔のはなしさ。この町は、二つに分かれて争っていたんだ。簡単に言えば、町長が二人いて、どっちが町を治めるかでもめてたんだ。で、争いが終われば当然負けた方が生まれる。それが、この辺りに住んでる人間のご先祖さまなのさ」
三人は、目を丸くしてハルさんの話を聞いていた。お母さんや、教会の神父さまからも聞いたことがない話だった。
「争いに敗れて以来、今でも続く差別が始まったってわけさ。先祖代々、きつい仕事や汚い仕事を押し付けられて、収入も少ないから貧乏になった。そうなれば、犯罪に手を出す奴が出てきて、あんたたちの言う悪い人が多いところになっちまったのさ」
ケリーは、なんだかハルさんの言葉が重さを持ってのしかかってきているようで、胸が苦しくなった。
自分が責められているようで、今までなにも知らないままだった自分が、なんだか申し訳なかった。
「大佐もここのことは知ってるから、表町では終わりかけてる復興も進んでない。今では、重い病気で家族から見捨てられた奴や、事故やなんかで家族を亡くした子どもなんかも流れてくるんだよ。なおさら、誰も見ようとしない場所になってしまったんだ。この酒場に来てくれる表町の客も、ここの様子には知らん顔だ」
ハルさんが黙ると、重たい空気が店中に満ちていった。
耐えきれなくなったエミリーのすすり泣く声で、ハルさんはハッとしてカウンターを出てエミリーに駆け寄った。
「ごめんね。あんたたちは、なにも悪くないのに。つい、話し始めたら止まらなくなって。でも、本当のことなんだ。あんたたちは、このことを知っていておくれ」
ハルさんはエミリーにハンカチを渡すと、優しく抱きしめて頭を撫でた。
ケリーは、ただ悪い人が多いとだけ言われて納得して、理由も知らずに裏通りを避けていた自分が、恥ずかしかった。ハルさんに聞いた話が本当なら、誰も覚えていないような昔のことが原因なんて、バカバカしく感じた。
「ハ、ハルさん。ごめんなさい。わたし、なにも知らないのに」
「ばか。あんたが謝ることないんだよ」
「オ、オレも。」
「僕も。ハルさんに会うまで、ここの人たちみんなが悪い人みたいに思ってた。だから、当たり前のことだと思って、差別をしてたんだと思う。でも、いくら知らないからってそんなの間違ってる。だから謝らせて、ハルさん。僕たちがしてたことは事実なんだから。謝らないと、もうここには遊びに来られない」
ハルさんの胸に顔をうずめていたエミリーは、さっと立ちあがって、鼻をすすりながらケリーのとなりに並んだ。
「ごめんなさい」
三人は、ほとんど同時に頭を下げた。
「ばか! ちゃんと教えてない、あたしら大人が悪いんだよ。なに、頭なんて下げてるんだい」
ハルさんは、三人のことを抱きしめた。
「でも、ありがとう。そんな風に思ってくれて。あんたたちだけでも、このことを知っててくれてれば、あたしは十分さ」
ハルさんは、優しい声で言った。
すっと腕の力を抜くとハルさんは、ケリーたちに笑いかけた。ケリーは、やっぱりハルさんは笑った方がきれいだと思った。
「あ、そうだ、ジャック。まだ、あんただけちゃんと抱きしめてなかったね。おいで!」
ハルさんは、あっという間にジャックを捕まえて顔を胸に押し付けた。
「ハ、ハル……さん!」
「ほら、やってほしかったんだろ?」
照れまくるジャックを、ハルさんは笑いながらぐりぐりと揺すった。ケリーとエミリーは、大笑いで二人を見ていた。
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