第22話

 ケリーは、久しぶりにお母さんの優しい声で目を覚ました。


 前の日の晩、ケリーはお母さんと一緒に寝た。

 お母さんはやっぱりあったかくて、優しくて、とても安心した。お母さんは、小さいころによく歌ってくれた子守唄を歌ってくれて、あまりに心地よくてケリーはあっという間に寝てしまった。


 泣き腫れた目をこすって、ケリーは体を起こした。


「おはよう。よく眠れた?」

「うん、おはよう。あれ? おかあさん、今日お仕事は?」


 ケリーが聞くと、お母さんは困ったように笑った。


「実はね、市場に行ったら「今日は大佐からお休みさせるように言われてる」って言われてね。すぐに帰って来たの。おとなりからも、昨日たくさん兵隊が来てたけど、大丈夫かって、心配されちゃった」


 お母さんの表情からは、複雑な気持ちが滲み出ていた。

 大佐が町に来て以来、必要以上に関わらず、一定の距離を置いてきたお母さんは、大佐の気遣いに対してどう思っていいのか、分からないのだ。


 お母さんの気持ちが、ケリーにはよく分かった。ケリーも、大佐に抱いていた憎しみを、今の大佐にも向けていいのかが、分からないのだ。


 どんよりと黒かった殺意が重みをなくして、向けるべき矛先を見失いつつあった。


 久しぶりにお母さんと一緒に食べる朝食は、パンと温めたミルクだけだったけど、とても幸せな朝だった。


 いつもより遅く起きられたから、頭もすっきりしていた。いつもは大佐の屋敷に向かう途中に聞いていた、灯台守のラッパも、気づくと終わりに差しかかっていた。


 ふと、ケリーは外の様子が気になった。昨夜見たあのたくさんの兵隊たちは、今朝も町を巡回しているのだろうか。お母さんが食器を片づけ始めたとき、おもむろに玄関を開け、外を覗いた。


 ケリーは驚いた。


 大勢の兵隊たちが、道を歩いていたからだった。


 町の人たちは、怯えるように端へ避けて、小さくなって歩いていた。兵隊たちは、三人組や二人組で歩いていて、鋭い目でいたるところを睨んでいた。目が合ってしまった人は、「ひぃっ」と小さく声を上げて目をそらした。


 外の様子に、ケリーはなんだか居心地が悪くなった。


 自分のせいで、町の人たちに迷惑がかかっている。大佐に言って止めてほしかったかったが、たぶん、犯人が捕まるまで終わらないだろう。昨日の大佐には、誰にも止めることができない凄みがあった。


 となれば、ケリーは自分になにができるのかを考えた。そして、それはすぐに浮かんできた。


 自分で、犯人を捕まえるのだ。


「おかあさん! 僕、出かけてくる!」


 ケリーは、洗い物をするお母さんに言った。


「今から? 急にどうしたの? せっかくお休みなんだし、ゆっくりしたら?」


 一瞬、お母さんと一日中一緒にいるのも悪くないなと思った。でも、そういうわけにはい。今のケリーは、大きな使命感に燃えていた。


「えっと、エミリーが今日、外出禁止が終わるんだ。今思い出しちゃって、会いに行こうかなって」

「あら、そうだったの? なら、しかたないわね。今日は、兵隊さんが町を回ってくれているから安全だろうけど、気をつけてね? 昨日みたいなことは嫌よ。裏通りになんて、絶対に近づかないでね」


 お母さんは、濡れた手を拭くと、ケリーをそっと抱きしめた。


「うん、分かってるよ。おかあさん」


 お母さんの背中に手を回しながら、ケリーは心の中で「ごめんなさい」と呟いた。


 服を着替えると、いつもの首飾りを巻いた。


 そして、木箱の底に横たわった銛をじっと見つめた。


 これは、大佐を殺すためだけに使うつもりだった。でも、持っていれば何かの役に立つかもしれないと思って、ポケットにしまった。


「ケリー、これ持って行きなさい」


 お母さんは、銀貨を一枚と銅貨を四枚、ケリーの手に握らせた。


「え! なんで」


 ケリーは昨晩、前から決めていた通りに大佐から受け取ったお金を、すべてお母さんに渡していた。


 自分で使うつもりはなかったし、お母さんに対して今までのお礼の気持ちもあったのだ。だから、お母さんがお小遣いを渡してくれたことに、とても驚いていた。それも、ケリーが持ち歩くには多すぎるお金だった。


「ジャックくんも一緒でしょう? みんなで、なにか買いなさい。これはあなたがもらったお金なんだから、なにも遠慮することないわ」

「で、でも」

「お母さんの好きに使っていいんでしょ? なら、お母さんはこのお金をあなたに渡すわ」


 優しく笑うお母さんに、ケリーはぎゅっと抱きついてから家を出た。


 外に出ると、ケリーは広場に向かって走り出した。

 昨日ハルさんと通った道から、裏通りを目指すつもりだった。空は灰色の雲が覆っていたけど、雨が降ってくる気配はなかった。町は、兵隊の鋭い目と町の人の怯えた目に満ちていた。


「おや、朗読員殿」


 声をかけてきたのは、昨日家に来た口ひげの隊長だった。となりには背の高い兵隊がいて、なにも言わずにケリーを見下ろしていた。


「こ、こんにちは」

「おでかけかな?」

「えっと、友達の家に行く途中です」

「そうか。見ての通り、今犯人を軍が総力を挙げて捜索中だ。なにもないとは思うが、気をつけて」


 隊長の言い方は優しかったけど、誰よりも鋭い目で辺りを見回していた。


「は、はい。ありがとうございます」


 駆け出したケリーを、隊長は小さく手を振って送った。


 勢いよく決意したのはいいが、実際に一人で裏通りに行くのはとても怖かった。

 でも、町中に迷惑をかけていることが、我慢できなかった。走っている間、首飾りの音を聞きながら、ケリーはずっと歯をくいしばっていた。


「おい! ケリー!」


 広場に続く坂を上っていると、前からジャックとエミリーがすごい速さで下りてきた。


「おっとっと」

「わわわわわ!」


 ジャックは目の前で止まったが、エミリーは勢いがつきすぎて、ジャックに激突してしまった。

 だから、ケリーは倒れそうになったジャックとエミリーを支えようとして、下敷きになってしまった。


「ちゃんと止まれよ! エミリー!」

「ムリ言わないでよ! ずっと家の中にいて、久しぶりに走ったんだから!」

「二人とも、はやくどいてよ」


 ケリーにのしかかっていた二人は、慌てて離れた。


「ねぇ、ケリー! わたし今日やっと外に出られたのよ!」


 目をキラキラさせながら、エミリーは笑いながら言った。

 まさか、本当に今日外に出られたなんて、ケリーはびっくりするよりも、笑いがこみ上げてきた。


「そんなこと、今はどうだっていいだろ!」

「なによ! どうだっていいわけないでしょ! 私が暗くて埃っぽい屋根裏からやっと出られたのよ! まるでずっと続いた真っ暗な夜が明けて、さわやかな風とともに朝の光が」

「なぁ、ケリー。昨日襲われたって本当か?」


 一人で話し続けるエミリーを無視して、ジャックが真剣な顔で聞いた。エミリーは、外で話せることが嬉しいようで、かまわず話し続けていた。


「うん、実はそうなんだ。でも、なんで知ってるの?」

「町中の人が知ってるぜ。こっち来いよ」


 ジャックは、ケリーの手を引いて坂を駆け上り始めた。


「ちょっと! まってよ!」


 まだ一人語りを続けていたエミリーは、慌てて二人のあとを追った。


「ほら、見ろよ」


 ジャックが指差した掲示板には、ケリーが見たことのない新しい貼り紙が貼られていた。


「昨日、大佐直属の朗読員が襲われ、給料を盗まれた。

  よって、本日から軍による見回りを行うことにする。

 犯人について知っている者がいれば、すぐに伝えること。

 なお、この警戒は事件が解決するまで続くものとする」


 短く、必要なことだけが書かれた文章からは、なんとも言えない圧力が伝わってきた。


「な? ここに書いてたら、みんなに知られるだろ?」

「うん、たしかにね」

「しかも、町中の店には急に大金持ってきた奴とか、大量に買っていった客がいたらすぐに報告するようにって、連絡が回ってるんだ」

「あ、それパパも言ってた」


 たった一晩で、犯人を捕まえるための準備が思った以上に進んでいることに、ケリーは驚いた。もしかしたら、すぐに犯人は捕まるんじゃないかとも思えてきた。


「そういえば、ケリーはなにやってるんだ? オレたちは、お前が休みだって聞いたから、ちょうどお前の家に行くところだったんだけど」


 ケリーは、犯人を捕まえようとしていることを、二人に話すかどうか迷った。

 でも、もし一緒に来てくれるなら、これほど嬉しくて頼もしいことはないとも思った。ケリーは、建物の裏に二人を連れて行って、隠れるように話をした。


「ケリー、そんなことしようとしてたのか」

「う、裏通りって。そ、そんな、お、おそろしいところに行くなんて」


 ジャックは驚いて、エミリーは怯えているようだった。一緒に来てはもらえないだろうと、ケリーは諦めかけた。


「オレも行く! いっしょに泥棒ヤロウを捕まえようぜ!」

「めったにできない体験だわ~。ケリー、わたしもつれてって!」


 二人は、ケリーが思っていた以上に最高の友達だった。 

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