第14話
次の日、ケリーはいつも通り朝早くに起きて支度を済ませた。
この一週間ほどで、朝の眠たさにもなんとか慣れてきていた。それと同時に、自分よりも早くに起きて家を出るお母さんのことを本当にすごいと思っていたし、今まで以上に感謝していた。
お母さんがどれだけ大変なのかが、少しだけ分かった気がして、ケリーは胸がいっぱいになった。だからこそ、お母さんに迷惑をかけないように、今日から大変になる仕事も頑張ろうと思えた。
「おはようございます」
「おはよう、朗読員殿」
「おはよう。今日もがんばってな」
見回りの兵隊とも、ケリーはだいぶ仲良くなってきていた。改めて見ていると、最初に感じた不機嫌そうな目は、朝早くて眠たかったからだということがわかった。
だからケリーは、兵隊たちに自分が胸に秘めていることがバレたのではなかったと安心した。
この日は、トニーの姿を見つけることなく大佐の家に着いた。いつも通り、姿勢よく玄関の前に立っているフリッツさんに挨拶をして、扉を開けた。
ケリーは迷うことなく階段を上がった。そして、大佐の部屋の前で深呼吸すると、腕に力を入れて扉を開いた。
「おはようございます」
ケリーは、目を細めながら言った。大佐はいつもの椅子に座っていたが、後ろの大きな窓からの朝日が眩しかった。
「うむ、おはよう。いつも通り、新聞から読んでくれたまえ。今日から量が増えたぞ? 頑張りたまえ」
「はい。がんばります」
ケリーが机に目をやると、今までの倍はありそうな新聞の山が作られていた。ケリーは一瞬固まったが、すぐに一番上の新聞を読み始めた。
「まず最初は、この町の新聞です。『今年の漁は大漁。このままいけば、去年の不漁を取り返せるか……』」
ケリーは、いつもより早く読むように努めた。この一週間で、今まで知らなかった言葉をいくつも覚えたし、都市や他の町がどんな状況なのかも知ることができた。
だから、少しは自信があったのだ。でも、今日から増えた町の新聞は地名が分からないし、記事にはまだまだケリーの知らない言葉がたくさんあって、何度も詰まってしまった。
その度に大佐に説明されるのが悔しくて、ケリーは手に持った新聞を強く握った。
「うむ。ご苦労だったね。最初に比べると早くはなっているが、やはりまだまだといったところか。いや、なんにせよ、食事までに終わってよかったな。ギリギリだよ」
ケリーが最後の新聞を読み終わると、大佐が小さく手を叩きながら言った。言い終わると同時に、ローラさんが部屋に入ってきたから、ケリーは驚いた。
大佐にはわかるかもしれないが、ケリーにはローラさんやメイドの人たちが近づいてくる音なんて全く聞こえないから、この小さな予言には毎回驚いていた。
「あぁ、そうだ。ケリーくん、今日は本も読んでもらいたいから、昼食のあとも帰らずに部屋に来てくれ。本は私が選ぶから」
メイドに杖を渡してもらいながら、大佐は言った。
「はい、分かりました」
ケリーは返事を返すと、ローラさんが出やすいように扉を開いて待っていた。
「おや、気が利くね。ありがとう。そのまま大佐も出やすいように、持ってて差し上げなさい」
「はい」
ケリーは、ローラさんに言われた通りに、扉の取っ手を持って大佐が部屋を出るのを待った。
「うむ。ありがとう」
大佐が目の前を通った瞬間、ケリーは鳥肌が立った。今までで一番近い場所に大佐がいたのだ。少し手を伸ばせば触れられる距離に。
ケリーは、自分の心臓の鼓動が速くなって、全身が熱くなるのを感じた。
(どうする? このまま銛を取り出して背中を刺そうか)
考えている間に、大佐は廊下を歩き出してしまい、後ろに続いていたメイドのお姉さんも、部屋から出てしまっていた。
「ありがとう、ケリーくん。もうみんな出たから、扉閉めていいよ」
「え? あ、はい」
メイドのお姉さんの声に、ケリーは慌てて扉を閉めた。
ケリーはゆっくりと手をはがすと、手のひらに広がったねっとりとした汗を見て、息が荒くなった。
「ケリーくーん。どうしたの? 食堂に行くよ」
「は、はい。すぐに行きます」
ケリーは小走りで、大佐を追いかけた。途中、気付かれないようにズボンで手の汗を拭いて、出来るだけ何事もなかったかのように振る舞った。
昼食のときも、ケリーの頭の中では、さっきのことがぐるぐると回っていた。
ケリーは、とんでもない発見をしたと思っていた。目的達成の一番の問題であった大佐との距離が、ローラさんたちがいるとはいえ、一気に解決したのだ。
今までは、食堂に向かうときでも、ケリーのほうが先に部屋を出ていたから、大佐に近づくことなんてできなかった。だが、さっきみたいに扉を押さえてやれば、自然に距離を詰められる。
あんなに近くで大佐を見たのは初めてだったし、このやり方なら毎日大佐を殺すチャンスができる。
ケリーは落ち着かない気持ちになって、なかなか昼食を口に運べなかった。
「うん? どうしたんだね、ケリーくん。少し顔色が悪いようだが」
フリッツさんが口に入れたスープを飲み込んで言った。ケリーはドキッとして、慌てて顔を上げた。
「い、いえ。なんでもありません。ちょっと疲れちゃたのかも」
ケリーが答えると、フリッツさんは眼鏡を上げながら、溜息をついた。
「そんなことでは困るよ、ケリーくん。このあとは本の朗読も待っているし、なにより、これから毎日こうした仕事をこなしてもらわなくてはならないのだよ? わかっているかね? ならば、きちんと食べて体力をつけたまえ」
「は、はい。すいません、がんばります」
ケリーたちのやりとりを聞いていた大佐が、小さく笑いながら口を開いた。
「そうだな。確かにこの程度でバテてもらっては困るな。誰か、ケリーくんにデザートを。食べて元気をつけてもらわんと」
大佐が言うやいなや、あっという間にケリーの目の前に果物の山が運ばれた。
見るからに新鮮な果物は、甘酸っぱい香りがしてどれもおいしそうだった。見ているだけで、ケリーはなんだか落ち着くことができた。
「ありがとうございます。いただきます」
「その前に、スープも飲んでおくれよ。せっかく作ったんだから、温かいうちにね」
ローラさんが、果物の山の向こうから言った。ケリーが「もちろん!」と答えると、ローラさんは嬉しそうに笑った。
果物も食べ、お腹がいっぱいになったケリーは、再び大佐の部屋へ向かった。大佐は、ケリーが果物を食べている間に、食後のコーヒーを飲み、本を選ぶためにフリッツさんと一緒に部屋へ上がってしまった。
部屋が近づくと、ケリーはさっきのことを思い出して、胸がドキドキした。深呼吸して、気持ちを落ち着かせると、取っ手を握って部屋へと入った。
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