第13話

 窓を覗き込むと、汚れたガラスの奥に慌てて動く影があった。影が大きく濃くなると、窓が短い悲鳴を上げて開け放たれた。


 二人は、舞った埃を払いながら、うるんだ瞳で顔を出すエミリーに笑いかけた。


「よっ! 元気か?」

「こんなところに閉じ込められて、元気なわけないじゃない!」

「ははは。思ったより元気そうだね」

「とりあえず、早く入れてくれよ。足の裏が焼けて焦げちまう」


 ジャックもケリーも裸足だったので、太陽の光を余すことなく受けている屋根の上は、じっとしているとフライパンのように熱く感じた。


 二人は、エミリーの顔が出ている窓に、袋とカゴを入れた。中でエミリーが二つを受け取り、窓の側から離れた。

 先にジャックがこれまた慣れた動きで窓をくぐると、ケリーも続いた。足から中に入ると、固いものがつま先に触れた。それが使わなくなった古いタンスだということは、ケリーはとっくの昔に知っていた。


 全身が入ると、日の光に照らされた埃がキラキラと目の前を漂っていた。


 この部屋は、エミリーの家の屋根裏部屋だった。屋根裏部屋といっても、ほとんど物置きになっていて、他の使い道といえばこうしてエミリーを閉じ込めておくくらいなものだった。昔から、エミリーは何か問題を起こすとこの屋根裏物置きに閉じ込められて、外出禁止になっていた。


 ジャックとケリーは、数年前にこの窓への道を見つけ、以来エミリーが閉じ込められると、こうしてパンを持ってきたり、話し相手になったりしていた。そのせいで、エミリーはこの罰が苦にならなくなってしまった。


 ケリーはタンスからそっと降りて、背もたれがかけてしまった木の椅子に、背もたれを抱きかかえるようにして座った。


 ここが、ケリーの特等席だった。


 ジャックは、古いベッドの上で足を伸ばすのがお決まりで、エミリーは小さいときから大事にしているクマのぬいぐるみを抱いて、丸い小さなテーブルに腰かけるのがいつもの姿だった。

 でも、今回はすぐには座らなかった。ケリーが持ってきたカゴからにおう、いいにおいに鼻をひくひくさせていた。


「ねぇ、ケリー。これって、もしかして大佐の家のお食事?」

「うん、そうだよ。お昼が余ったりするとローラさんがくれるんだよ」


 エミリーはカゴの中を覗き込むと、輝かんばかりの笑顔をみせた。


「うわぁ! おいしそうなサンドウィッチ」

「ステーキのサンドウィッチだよ」

「ステーキですって! わたし、前にパパが食べてたのをもらおうとしたら、食べさせてもらえなかったのよ。それが食べられるなんて、本当にうれしいわ。わたし、この薄暗い部屋で何日もあったかい食事をしてないの。冷めたスープなんて、食べても食べた気にならないじゃない? でもサンドウィッチなら、ステーキなら冷めてたって全然気にしないわ。ケリー、ありがとう」


 エミリーはサンドウィッチを一つ手に取ると、嬉しそうにいつものテーブルに腰かけた。


「おいしい! やわらかくて、こんなにおいしいのね」


 エミリーは、一口かじっただけでうっとりした表情になった。エミリーのお父さんたちに見つかるといけないから、あまり大きな声は出せないのだけれど、エミリーの感動は二人に十分伝わっていた。


「おい、エミリー。うまいのは分かるけど、うちのパンも食べろよな。少ないけど、なるべくお前が好きなパンを選んできたんだからさ」


 ジャックは、持ってきた麻袋の中をエミリーに見せながら言った。


「分かってるわよ。ジャックのパンもちゃんといただくわ。でも、ジャックのパンは普段から食べているじゃない? おいしいのはわかってるんだけど、今のわたしは目の前の新しい感動に夢中なの。だからあとでちゃんと、ありがたくいただくわ。でも、あぁ、なんておいしいのステーキって!」


 ジャックと話しながらも、エミリーは初めて食べたステーキに感動しっぱなしだった。


「ふんっ! いつも以上にありがたく食べるんだぞ! ところでケリー。オレも一つもらっていいか?」


 なんだかんだで自分も食べたいらしく、ジャックはよだれが垂れていた。ケリーがうなずくと、ジャックもカゴからサンドウィッチを取って、一口食べた。ジャックも感動したらしく、目を輝かせて食べていた。


 ケリーは、残り三つになったサンドウィッチから一つを取って食べ始めた。

 しっとりとしたパンに挟まれた牛肉は、歯を入れると崩れるほどやわらかくて、中まで染みたソースが口いっぱいに広がった。


 ケリーは、一つはお母さんに持って帰りたかったので、残りの一つをジャックとエミリーに半分づつあげた。二人はケリーにお礼を言うと、嬉しそうに食べ始めたので、その様子を見ていたケリーもなんだか嬉しくなった。


 サンドウィッチを食べ終わると、ジャックが持ってきたパンを片手に、三人はケリーの仕事について話し始めた。といっても、ジャックとエミリーが聞きたくて仕方がなかったのだ。ケリーが、明日から仕事がもっと大変になることを伝えると、二人は声を抑えながら驚いた。


「マジかよ。この間あんな分厚い本持って帰ってたのに、大佐の家でもあんなの読まなくちゃいけないのか?」

「いや、この前のはフリッツさんが貸してくれたやつだから、仕事ではないんだ。でも、あの本むずかしくて全然読めなくてさ。大佐のところでもあんなのだったら、大変だなぁ」


 フリッツさんが貸してくれる本は、古い本ばかりでケリー一人では読むのが難しかった。

 だから、フリッツさんには悪いと思いながら本を返して、もう少し経ってからまた貸してくれるように頼んだ。

 フリッツさんは「まぁ、今は良いがゆくゆくは読めるようになってもらわなくては困るよ」と、下がっていない眼鏡を上げながら言っていた。


「ふーん。けっこうたいへんなのね。朗読員も」

「僕にとっては、外出禁止になるほうが大変だけどね」


 ケリーが言うと、ジャックは吹き出して笑い、エミリーはぶすっとした顔でぬいぐるみを抱きしめた。


 エミリーには悪いけれど、ケリーはこの時間が好きだった。大人の目をかいくぐって、三人だけの秘密の時間を過ごすことが、なんだかわくわくしてたまらなかった。

 もちろん、このことをケリーはお母さんにも言っていない。正真正銘、三人だけの秘密だった。


 でも、そんな大親友の二人にも、朗読員になった本当の理由を話してはいなかった。


 大佐を殺したいという自分の本当の気持ちを、二人に知られるのが怖かったのだ。

 そしてなにより、大佐を殺すのは自分一人でやらなくてはならないと思っていた。


 お父さんの復讐は、自分がしなくてはならない。大佐を殺すのは自分でなくてはならないと、ケリーは小さな胸の中で強く思っていたのだ。


 ケリーの中にある黒い決意は誰にも知られずひっそりと、大佐を殺すときを待ち続けていた。


 楽しい時間はあっという間に過ぎて、窓から差し込む日の光が、少しづつ金色に変わりはじめていた。


「おっと、そろそろ帰らないとな。おじさんたちが店閉める前に」

「あ、ほんとうだね。僕たちは帰るよ」


 ケリーとジャックは、持ってきたカゴや袋を忘れないようにして、部屋の中をできるだけ元通りに戻した。

 これも、二人が来たことがバレないように昔からやっていることで、二人の動きは手慣れたものだった。エミリーは、パンくずをできるだけ部屋の隅にやって、口の周りを丁寧に拭いた。


「じゃあな、エミリー。また来るからよ」

「うん! 来てくれないと、たいくつで死んじゃうわ」

「その前に、外出禁止が早く解けるといいんだけどね」


 三人は笑い合うと、ケリーとジャックはタンスをよじ登って、窓から体を外へ出した。


 二人が出ると、エミリーは小さく手を振って窓を閉めた。来たときと同じ、窓の短い悲鳴を聞きながら二人はまだ焼けるように熱い屋根の上を、猫のように駆けていった。


「じゃあな、ケリー。明日からも仕事がんばれよ」

「うん。ありがとう、ジャック。じゃあね」


 ジャックと別れて、ケリーは家に帰りながら明日からのことを思った。


 今でも、朗読は難しい。これ以上増えて、自分にやれるのだろうか。という不安が、ケリーにはあった。


 でもその奥で、大佐を殺すチャンスが増えるかもしれないという期待も膨らんでいた。

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