第10話
ケリーが部屋に入ると、大佐は昨日と同じ正面の椅子に座っていた。
「ケリーくん。待っていたよ。まぁ、時間のことは気にしなくていい。そんなに遅れたわけでもないし、どうせフリッツのやつに捕まっていたんだろう?」
大佐は、遅れた理由をピタリと言い当てた。
「あいつはまじめで仕事もできるんだが、融通が利かなくてな。まぁ、いい。早速、朗読を頼もうかな?」
「は、はい。分かりました」
「では、机の上にあるものを全部読んでもらおう。なに、緊張しなくていい。わからない言葉があっても、私が教えてあげよう。話の流れでだいたいわかるからね」
ケリーは、大佐の前にある大きな机に積まれた新聞の、一番上にあったものを手に取った。広げてみるとこの町のものだったので、少しホッとした。
「え、えっと、この町の新聞です『町中の男の子集まる! 夢の仕事を手に入れる幸運の持ち主はだれだ!』あ、これ昨日の選考会のことです」
「ふむ。幸運の持ち主は君だったな。さぁ、続けて」
「は、はい『昨日、我が町を統治する大佐の家で……』」
町の新聞はケリーも知っていることが多かったので、わりとスラスラと読むことができた。でも、都市の新聞は知らないことばかりで、何度も詰まりながら読むことになった。
「えっと『我が国の所有するしょ、しゅ』な、なんて読むんだろ」
「植民地ではないかね? 戦争で得た土地のことだよ」
「あ、たぶんそうです『我が国の所有する植民地での……』」
大佐は、ケリーが分からない言葉や文章をまるで見ているように言い当て、さらに、意味まで教えてくれた。
大佐に助けてもらいながら、ケリーはなんとかお昼までにすべての新聞を読むことができた。
「今ので、今日の新聞は終わりです。色々教えてくれてありがとうございました」
「いやいや、きみはなかなか賢いよ。もっと言葉に詰まるかとも思ったが、よく勉強しているようだな」
大佐はニコニコしながら言った。
「さて、そろそろ昼時かな。今ローラが呼びに来るよ」
大佐が扉を指して言うと、ノックの後に、本当にローラさんが現れた。ケリーは驚いて大佐に向かって言った。
「すごい! なんでわかったんですか?」
「ふふふ。目が見えなくなってからな、耳だの鼻だの他のところが敏感になったのだよ。今朝、きみが走って部屋に来るのも聞こえていたのだよ?」
ケリーは、なんだか恥ずかしくなって下を向いた。大佐とローラさんは、面白そうに笑った。
「大佐。そろそろお昼でございます。下の食堂までおこしください。あぁ、それと、そこの坊ちゃんはどうされますか?」
ローラさんは、ケリーを見つめながら言った。
「うむ。今日は最初だし、これ以上の仕事は頼むつもりはない。ケリーくん、一緒に食べて行きなさい」
突然の申し出に、ケリーはさっきよりも驚いた。
「僕はいいです! 帰って食べます」
「おやおや、あたしゃてっきり、坊ちゃんも食べるものと思って、もう用意してしまったんですがね」
「だ、そうだケリーくん。遠慮せずに食べて行きなさい。もっとも、これが毎日だと思ってもらっては困るがね。今日は特別。きみの歓迎会のようなものだ」
ケリーは、二人に言われるがまま食堂へと向かった。
大佐は、ローラさんのあとから入っていた二人の若いメイドに手を取ってもらいながら、杖を使ってゆっくりと階段を降りて行った。
食堂は、玄関の正面にある大きな扉の向こうだった。真っ白な扉に付いた金の取っ手の部分には、天使の彫刻が彫ってあって、すごく豪華なものに見えた。
大佐の手を引いていたメイドが、前に出て扉の取っ手を掴んだ。ケリーの横を通ったとき、二人がからかってウインクをしたものだから、ケリーは照れてどこを見ていいのか分からなくなった。
メイドが扉を開くと、おいしそうなにおいが鼻に飛び込んできた。
目の前の白い大きなテーブルには、ケリーが見たこともないような豪華な料理がいくつも用意されていた。こんがりと焼けた大きな肉や魚を丸々一匹使った料理。色とりどりの野菜のサラダに、大盛りのスパゲッティ。中に入ると、それらのにおいに全身が包まれているように感じられて、ケリーはよだれを飲みこむのに忙しかった。
「い、いいんですか? 本当に僕も食べて」
「言っただろう? 今日は、きみの歓迎会なんだ。いつもはこんなに用意しないよ。さ、座って。温かいうちに食べてしまおう」
ケリーは、メイドの一人に案内されて、左側の席に腰掛けた。
大佐は、テーブルの一番端の全部の席が見渡せるところに座った。大佐が座ると、フリッツさんがどこからともなく現れて、大佐のグラスに濃い赤色のワインを注いだ。ケリーは、昔お父さんが飲んでいるのを見たことがあったので、それがワインだと分かった。
ケリーのグラスには、絞りたてのオレンジジュースが注がれた。甘酸っぱい香りがして、ケリーは嬉しくなった。
「さぁ、乾杯しようか。みなも席に着いてくれ。今日から朗読員として働くことになったケリーくんを歓迎しよう。ローラ、飲み物は持ったか? では、乾杯!」
大佐のかけ声と共に、グラス同士が当たる高い音が何度も鳴った。
ケリーは、こんなにおいしいものを今まで食べたことがないと思った。
お肉はジューシーで、魚は肉厚で、サラダは甘くて、スパゲッティは初めて食べる味だった。大佐は、メイドのお姉さんに手伝ってもらいながら、ゆっくりと食事を取っていた。
「どうだい? おいしいかい?」
ローラさんが横から、ニコニコして話しかけてきた。
「うん! とっても!」
「そうかい! 作った甲斐があったねぇ」
「この料理、ローラさんが作ったの?」
ケリーが驚くと、ローラさんは胸を張った。心なしか、曲がっていた腰が伸びたような気がした。
「そうだよ。これでも、若い頃は王宮の厨房で働いたこともあったからね。まぁ、さすがにこの量を一人では作れないから、若いのに手伝わせたけどね。どうだい、坊ちゃん。家ではこんなの食べられないだろう?」
ケリーはハッとして、食べようとしたスパゲッティを置いてしまった。
「ど、どうしたんだい? 口に合わなかったのかい?」
ローラさんはなにがなんだかわからず、あたふたとケリーの顔を覗き込んだ。
「ん? どうしたんだ、ケリーくん」
ケリーの様子に気づいたらしく、大佐も心配そうに聞いた。
「あ、あの、大佐。この料理、少し持って帰ってもいいですか?」
ケリーは、大佐の布に巻かれた目を見つめながら言った。
「何を言っているのかね。この場で食事できるだけでも、きみは幸運なのだよ? なのに、欲を出して家に持ち帰りたいなどと、大佐の心配りに対して失礼ではないかね? そのような態度は」
「フリッツ、そう言うな。まずは理由を聞こうじゃないか」
フリッツさんは、不服そうに眉間にしわを寄せて、眼鏡を上げた。
「えっと、こんなにおいしい料理、僕は初めて食べました。それには、本当に感謝しています。でも、僕には朝からずっと働いてくれてるおかあさんがいて、毎日僕のために一生懸命がんばってくれています。なのに、僕だけがこんなにいい思いをするのは、おかあさんにわるい気がするんです。だから、この料理を、おかあさんにも食べさせてあげたいと思ってお願いしたんです」
ケリーが言い終わると、食堂が静かになった。ケリーは、何を言われるのだろうと思っていたが、最初に耳に入ったのは大佐の拍手だった。
「素晴らしい。今時ここまでお母さんのことを、家族のことを想っている子供がいるだろうか。私は感動した。きみを選んで正解だったと、今改めて感じたよ。好きなだけ持っていくといい。なんなら、食器などもプレゼントしよう。みなも異論はないな?」
大佐の言葉が終わると、食堂が拍手に包まれた。ローラさんなんて、ケリーのとなりで涙を流しながら手を叩いていた。ケリーは、恥ずかしくなって顔を伏せた。
ふと、フリッツさんを見ると、申し訳なさそうなバツの悪そうな顔でケリーを見ていた。
「では、失礼します」
「うむ。今日はいい一日だった。これからも頼むよ」
「はい」
食事が終わると、家に帰る許可をもらった。大佐に挨拶をすると、ケリーはローラさんやメイドのお姉さんたちにも挨拶をして外へ出た。
太陽の光がまぶしくて、思わず目を細めてしまった。料理はたくさんあるから、あとでケリーの家まで運んでくれるらしく、ケリーは、運んでくるのがトニーだったらいいなぁと、考えていた。
「ケリーくん」
大佐の家をあとにしようとしたとき、後ろからフリッツさんに呼び止められた。脇には、大きな革のカバンを提げていた。
「先ほどは、すまないことをしてしまった。きみの気持ちも聞かずに色々と言ってしまった。すまない」
「い、いえ。気にしてないですから」
フリッツさんが深々と頭を下げたので、ケリーは驚いて言った。大人の人に頭を下げて謝られるのは、初めてのことだった。
「お詫びというわけでもないが、料理は責任を持ってきみの家まで運ばせていただく。夜は期待して待っていなさい」
すると、フリッツさんは提げていたカバンをケリーに差し出した。
「それと、これから大佐に朗読をするにあたって、知識が必要となってくるだろう。役に立ちそうな本を何冊か選んでおいた。これで家でも勉強しておきなさい」
「は、はい。ありがとうございます」
カバンを受け取ると、ずっしりと重たくてケリーはバランスを崩しそうになった。料理まで自分で運ぶんじゃなくて、本当に良かったと思った。
「では、道中気をつけて。それから、もし読み終えたら私に言いなさい。新しい本を貸してあげよう」
「わ、わかりました。じゃあ、さようなら」
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