第11話


 ケリーは、大きなカバンが地面に着かないように気をつけながら、大佐の家をあとにした。途中、カバンを開けてみると、分厚い本が何冊も入っていて「ハァ~」とため息をついた。


 でも、フリッツさんは初めは嫌な人だと思ったけど、根は良さそうな人だと思った。好きにはなれそうにないけど、嫌いになりそうもない。


 丘を下って町まで降りると、思いもよらない歓迎が待っていた。町中の人が、ケリーに駆け寄ってきたのだ。


「おめでとう! ケリー」

「なぁ、大佐はどんな人なんだ? 家の中はどんななんだ?」

「な、なぁケリー。俺の釣竿やるから、ウチの息子に譲ってくれないか?」


 などと、みんな口々に言うものだから、ケリーは目が回った。


「こらこら! みんな離れろ!」


 ケリーが質問攻めに合っていると、聞き覚えのある声が町の人たちをかき分けてきた。

 声の主を見ると、ケリーの気持ちは明るくなった。軍隊の制服に身を包んだトニーだった。


「この子は本日から、大佐直属の朗読員として働くことになった、我々の同志である。よって、必要以上の接触に対して、我々は我々が最も得意とする手段を用いて、彼の防衛に当たることができる! この意味をわかってほしい」


 さっきまで騒がしかった人たちが一気に静かになった。


「さらに、大佐やその住居。その他の事柄については、他言することを許されていない。よって、これ以上の詮索は無意味である! みな、彼をこれ以上困らせないでもらいたい」


 トニーの言葉に、町の人たちはしぶしぶケリーから離れて行った。


「あ、ありがとう。トニー」

「さて、途中まで送ろう。なに、礼にはおよばない。巡回の途中なのでね」


 トニーは仕事モードらしく、わざとらしく言葉を続けた。


「そうだな。おい、そこの少年。彼の荷物を持ってやれ」


 トニーに言われて前に出たのは、なんとジャックだった。ジャックは笑いを堪えながらケリーのカバンを持つと、トニーを先頭に家まで歩き出した。


 町の中心から外れて、人がいなくなると、トニーが我慢しきれなくなったように口を開いた。


「どうだ! 俺様の演技力! 町中を騙してやったぜ!」


 トニーは両手を空に突き出しながら叫んだ。


「最高だったぜ、トニー。オレも騙されたもん。呼ばれるまで演技ってわからなかったぜ」


 ジャックも笑いながら言った。


「でも、本当に助かったよ。ありがとう、トニー」

「なに、おやすいごようさ」

「でも、さっき言ってたことって本当なの? 軍隊が僕のために、たたかうって」


 ケリーが心配になって聞くと、トニーは笑いながら答えた。


「俺は最も得意とする手段って言っただけだぜ? ちなみに俺の一番得意なことは、ホラ吹きだ」


 トニーがそう言うと、ケリーもジャックも大声で笑い出した。


「なぁんだ。心配して損したよ」

「ははは。トニー、あんたホントに最高だよ」

「だろ? もっと言っていいんだぞ。それと、仕事について言ってはいけないなんて、俺は誰にも言われてねぇぞ。だから、今ここで話してもかまわないってことだ。まぁ、実を言うと、俺も気になってたんだよ。教えてくれ、ケリー」


 ケリーは笑いっぱなしで、この日の仕事について二人に話した。二人は興味深々でケリーの話に耳を傾けた。


「へぇ~、朗読員って、本当に朗読するだけなんだな」

「それより、ずるいぞ、ケリー。オレのおかげで受かったんだから、今晩、オレも食べに行っていいか?」

「なんでジャックのおかげなんだよ?」

「オレがケリーを推薦したからだろ?」

「関係ないと思うよ」


 しばらく歩いて、ジャックの家の前まで来たとき、ジャックが口を開いた。


「じゃあ、オレはここで。今から店を手伝わなくちゃいけないんだ。ところでケリー。この重たいカバン、何が入ってるんだよ」

「あぁ、これだよ」


 ケリーは、ジャックからカバンを受け取ると、中を二人に見せた。


「うへぇ、やっぱりオレはならなくてよかったぜ」

「俺だってこんなの読みたくねぇよ」

「じゃあな、ケリー。トニー、今度、軍でうちのパン買いに来てくれよ」

「あぁ、隊長や他の兵隊にも好評だったからな。近いうちに必ず行くよ」

「約束だぜ? じゃあな!」


 ジャックは二人に手を振って、店の中に入って行った。


「さて、俺も戻るかな。ここまで来れば野次馬もいないだろ。担当の巡回コースからだいぶ外れちまってるから、隊長に見つかんねぇようにしないと」

「ありがとう、トニー。本当に助かったよ」

「なに、いいってことよ。おかげで巡回サボれたしな。もしバレても、理由はちゃんとしてるんだから、問題ねぇよ。では、朗読員殿。帰り道、お気をつけて」


 トニーは、敬礼のポーズでウインクしながら言った。


「うん、トニーもね」


 ケリーが答えるとトニーは笑って、もと来た道を戻って行った。


 家に着くと、ケリーはカバンを置いて息をついた。途中までジャックが持ってくれたとはいえ、何冊もの分厚い本が入ったカバンを持っていたので、肩が痛くなっていた。

 ケリーは、椅子に腰掛けると、今晩のことを想像した。あの豪華な料理をお母さんが見たら、なんて言うだろう。喜んでくれるだろうか。ケリーの顔は、自然とニヤニヤしていた。


 ケリーは、何気なくポケットに手を入れて、口笛を吹こうとしたとき、手に当たった硬いものを取り出して我に返った。


 黄ばんだ布に包まれたそれは、ケリーのポケットの中で、布の奥で、今か今かと出番を待っていたのだった。


「そうだ、僕は」


 ケリーは自分が情けなくて、嫌で嫌でたまらなくなった。大佐を殺すために朗読員になったのに、緊張して、ご馳走に浮かれて、今日を楽しく感じてしまった。


「くそ! 何をしてるんだよ! なんのために、こんなことをしているんだよ!」


 ケリーは自分の足を、何度も力いっぱい叩いた。しばらくすると、大きく息を吸いこんで冷静になろうと努めた。そして頭の中で、大佐の部屋や、大佐の行動について整理することにした。


 朗読をするとき、大佐はあの大きな机の向かいにいて、銛が届かない。食事のときは、ローラさんやメイドのお姉さんたちもいるから難しい。


 ひとしきり考えて、ケリーは目的達成の難しさに悩んだ。


「本の朗読はまだだけど、たぶん新聞のときと同じだろう。せめて、ふたりのときに近づくことができれば」


 ケリーは腕を組んで、さらに考えた。


「やっぱり、なんども仕事に行って、機会を探るしかないか。大佐が僕に慣れて、気を許したときが狙い目だ」


 ケリーは、自分の言葉に納得したようにうなずいた。そして、窓から空を見ながら、手を組んで、神様に成功を祈った。


「失礼します、朗読員殿。食事を届けに参りました」


 夕方になると、お母さんが帰ってくる前に、三人の兵隊がケリーの家まで食事を持ってきた。三人のうち、一人はホラ吹きが得意な友達だったので、ケリーは嬉しかった。


 カゴを開けると、中からおいしそうなにおいが立ち込めてきた。


 見ると、料理を作り直したらしく、大きなチキンや貝料理などが入っていて、ケリーは声を出して喜びたかったが、さっきの反省を思い出して、よだれを我慢するのに留めた。トニーたちが帰るころには、家の外には人だかりが出来ていて、気を遣ってくれたとなりのおばさんが人払いをしてくれた。


 ケリーは、わくわくしながらお母さんを待っていた。

 辺りが暗くなり始めたころ、お母さんが疲れた様子で帰ってきた。


「おかえり! おかあさん」

「ただいま。もう、今日はあなたのことをみんなから言われて、疲れちゃった。あら、いいにおいね。ケリー、何の」 


 お母さんは、テーブルに並べられた豪華な食事に、目を丸くして驚いた。


「まぁ、ケリー。こ、これはなんなの?」

「大佐から、お母さんにって」


 お母さんは信じられないといった表情で、テーブルに近づいた。


「まぁ、お皿も素敵ね」

「それもくれるって。おかあさん、いつも僕のために働いてくれてありがとう」

「ケリー!」


 お母さんはケリーを抱きしめた。


「ありがとう、ケリー。もう、こんなことしなくてもいいのに。ちゃんと、大佐にお礼を言ってちょうだいね」


 お母さんは、ケリーをゆっくりと離した。目には涙が溢れていた。


「さぁ、食べましょうか。せっかくのお料理が冷めてしまうわ」

「うん!」


 ケリーは食べながら、今日の仕事の話やトニーの話をした。お母さんは嬉しそうに笑って、食卓には笑い声が響いていた。ケリーは大佐のところで食べるよりも、お母さんと一緒に食べる料理が世界で一番おいしいと、心から感じていた。

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