第4話
町は、朝の澄んだ空気に包まれていた。
ケリーが思いっきり息を吸い込むと、胸いっぱいに冷えた空気が入ってきて、吐き出すと、すっきりした気持ちになった。
丘へ行く途中、ケリーは自分と同じ目的の男の子をたくさん見かけた。きれいに着飾った子や、発声練習をしながら歩く子、まだ眠たくて半分しか目が開いていない、ケリーより小さな子もいた。ただ、ケリー以外の子供たちには手を引くお母さんや、坂道をおぶってくれるお父さんがいて、一人ぼっちはケリーだけだった。ケリーは他の子たちを見ないようにして、黙って下を向いたまま、丘の上を目指した。
大佐の家がある丘は、登ると町が一望できる。昔ケリーはこの場所がお気に入りで、毎日のように遊びに来ていた。でも、大佐が来てからは立ち入りに規制がかかり、兵隊がいて、普段は近づくこともできなくなってしまった。だから、ケリーが丘に来るのは本当に久しぶりだった。丘の上まで来ると、大佐の家に行く前に大好きだった景色を見ることにした。
朝日は、町を元気よく照らして、空は雲がほとんどない快晴だった。この国独特の、赤みがかったオレンジ色の屋根が照らされて、まぶしく見えた。青い空が、まるで海とひとつに繋がっているようで、まぶしい町が際立っていた。
久しぶりの景色に、ケリーはウキウキした。
やっぱり、ここが好きだ。いつか、お母さんと一緒に来たいな。
なんてことを考え出して、ここに来た目的を少しの間忘れてしまっていた。
「おい、ケリーじゃないか」
声がした方を向くと、つり目で背の高い男の子が、傍まで歩いてきた。
「やぁ、ジャックか。君も選考会なの?」
「そうだよ。やりたくないのに、ママとパパがきのう、貼り紙見て大騒ぎしてさ。むりやり連れて来られたんだよ。あ~ねむい」
ジャックはケリーと同い年の、小さなパン屋の子で、昔から仲が良かった。
よく二人で釣りをしたり、漁船に忍び込んだりと、いたずらもする親友だった。ジャックも、親に言われてか、普段は着ないようなこぎれいな服を着ていた。
「はずかしいよなぁ、こんな格好。お前なんて大きさ合ってないじゃん」
「いいだろ、べつに。昨日、となりのおばさんにもらったばかりなんだ」
ケリーがムスっとして答えた。
「あはは、悪い悪い。もう、かなりの人数が集まってるぜ? オレみたいに、むりやり連れて来られたのもな」
「ははは。たしかに、たくさんお金がもらえるからね。僕は、自分から参加することにしたんだよ」
「なんだ、そうなのか。なら、オレの順番のときに、お前を選ぶように言ってやるよ。本当はものすごい変な声を出すか、うちのパン屋の宣伝して帰ろうと思ったんだけど。お前が受かりたいなら、オレの美声で紹介してやるよ」
ジャックは、ふふんっと得意げに言った。
「頼りにしてるよ。ところで、選考会って大佐の前でやるの?」
「ん? あぁ。さっきから、大佐の家の前で執事みたいなおっさんが言ってるぜ。一人づつ、大佐の前で自己紹介といくつかの質問に答えていただきます! ってよ」
「ふ~ん、そうなんだ」
ケリーは口をキュッとつむって、強く拳を握り締めた。
「なんだ、ケリー。お前緊張してんのか?」
ジャックに声をかけられて、ケリーはハッと我に帰った。
「う、うん。そうなんだ」
「おいおい、しっかりしろよ、たいしたことないって。ほら、行こうぜ」
ケリーは、ジャックと一緒に大佐の家に向かった。
「えー、先ほどから繰り返しています通り、この選考会は大佐とお子さんの面接でございます。一人づつ、書斎に入っていただき、自己紹介と大佐からの質問に答えていただいて、今日か明日には採用の決まったお宅へ報告に参ります」
ジャックの言った通り、家の前では黒い服を着た白髪のおじさんが、親と子供の長い列に向かって大声を出していた。
辺りには兵隊がいて、ちゃんと並ぶように集まった人たちに指示を出していた。声や物腰は優しそうなものの、肩に担いだ銃や腰の剣が嫌でも目に入ってしまう。怖いのか、小さな子供は泣いてしまっていた。
「うわぁ、多いね」
「だろ? じゃあ、オレはママたちのところに戻るけど、お前も早く並ばないと、いつ終わるか分からないぜ」
「うん、ありがとう。ジャック」
「おう。もし昼までかかったら、うちのパン持ってきてやるよ」
ジャックは、手を振りながら駆けて行った。
ケリーは、若い兵士に声をかけられ、列の一番後ろに並んだ。
「きみは一人かい? お父さんやお母さんは?」
案内した若い兵士が、微笑みながらケリーに問いかけた。
「うん、ひとりだよ。おかあさんは、仕事でいそがしいから来られなかったんだ」
「そうか。偉いな、ここまで一人で来るなんて。人が多いから転ばないように気をつけてな」
「ありがとう。ねぇ、兵隊さん。どうして大佐は、新聞を読む男の子なんて募集したの?」
ケリーが聞くと、兵士はため息をつきながら、困ったように答えた。
「さぁね。俺みたいな下っ端には、理由なんて聞かしちゃくれないのさ。まったく、軍隊に入ってすぐ本国からこっちに送られて、初めての特別任務がこれだよ。特別任務なんて言うから期待してみたら、軍の仕事かねぇ、これが。暇な役人にでもやらせといたらいいんだ」
最初は丁寧で感じのよかった若い兵士だったが、ケリーと話しているうちに、だんだんとボロが出てきた。さわやかだった表情は、眉間にしわを寄せて不服そうな顔になった。恐らく、こっちが彼の素なのだろうと、ケリーは思った。
「大佐の命令で、ニコニコしてなきゃいけねぇし。肩が凝るぜ」
またわざとらしくため息をつくと、すぐに我に返ったのか周りを見回して小さい声でささやいた。
「おっと、つい本音が出ちまった。悪いな、ボウズ。隊長が目を光らせてんのすっかり忘れてた。お前、名前は?」
「ケリーだよ」
「そうか、俺はトニーだ。いいか、ケリー。このことは誰にも言うんじゃないぞ。男の約束だ」
「りょうかい。わかったよ」
「よし、信じるぞ。じゃあな、がんばれよ」
トニーはケリーから離れると、命令通りのニコニコ顔で列の整備を続けた。
ケリーは、トニーのことは嫌いじゃないなと思った。
元々敵であった兵士たちのことを、ケリーはあまり好きにはなれなかった。戦後の町を復興し、治安の維持に努め、町の人にもひどいことはしていない。ケリーもそのことは認めていたし、感謝もしているつもりだった。でも、この中の誰かがお父さんを殺したかと思うと、好きになれるはずがなかった。
しかし、軍隊に入ったばかりのトニーは、戦争には参加していない。あのざっくりとした性格も好感が持てたから、もし機会があったら友達になってもいいかなと思っていた。
「あれ? ケリーじゃないか。きみも参加するんだね」
並んでいると、前にいた子供が、どこかわざとらしい口調で声をかけてきた。気がつくと、ケリーの後ろにも人の列が続いていて、大佐の家に少し近づいていた。
「えっと、もしかして、エミリー?」
ケリーよりも小さく、青い目をした子供は、ケリーの反応に一瞬で不機嫌な顔になった。
「えー、なんでわかったの?」
この子供はエミリーという仕立て屋の子で、ジャックとケリーにいつもくっついている仲の良い二つ年下の女の子だった。
エミリーは、普段は下ろしているきれいな金色の髪を結んで、大きな帽子で隠していた。恐らく売り物であろう、男の子の礼服を身にまとって、何食わぬ顔でこの行列に並んでいた。
「う~ん、さすがに毎日会ってるケリーには、このかんぺきな変装と演技でもわかっちゃうかぁ。練習がたりないかなぁ」
「いや、エミリー。こんなところで、なにやってるの?」
一人でぶつぶつ言いだしたエミリーは、ケリーに聞かれると胸を張って答えた。
「きまってるじゃない! 選考会にさんかするのよ!」
「え? でも、募集は男の子だけだよ?」
「しってるわよ。だから、変装してきたんじゃない。ママもパパも、わたしが女の子だから、あきらめちゃったけど。でも、みててよ! 未来の名女優の演技で、大佐をだまして、みんなをびっくりさせてやるんだから!」
エミリーは、幼いころに一度だけ見た舞台が忘れられず、昔から女優になることが夢だった。
「え~っと。つまり、エミリーはおじさんたちに内緒で来たんだ? だから、一人なんだ?」
「えぇ、そうよ!」
エミリーは誇らしげに答えた。
「そのかっこうは男の子の変装なんだね?」
「えぇ、そうよ! うちの売り物の中で一番いいものを着てきたの」
これは帰ったらものすごく怒られるぞ。と、ケリーは思った。が、エミリーはそんなこと微塵も考えていないらしく、自信に満ち溢れた顔をしていた。
「でも、そんなにうまくいくかなぁ? さっき僕に声をかけてきたとき、バレバレだったよ?」
ケリーが素直に感想を言うと、エミリーは、怒って顔をイチゴみたいに赤くした。
「ふんっ! さっきは、相手がケリーだったから演技にこまっただけだもん! その前に声をかけてくれた兵隊さんは、なんにも気づいてなかったもん!」
エミリーは見回りをしている兵士の中から、自分に声をかけた人物を指さして反論した。
指の先を見ると、隠れてあくびをしているトニーの姿があった。トニーはケリーたちに気がつくと、二人を交互に見て、状況を察したのか二ヤッと笑ってウインクした。
「ほらね。もしバレてたら、並ばせるわけないでしょ?」
きっと、面白がって見逃したんだよ。とは、さすがにケリーも言わなかった。
エミリーと話しているうちに、ケリーはどんどん大佐の家に近づいていった。近くで見ると、家は小さなお城のような屋敷で、外壁の白色と、周りに植えられた色とりどりの花がとてもきれいだった。お昼ごろになると、とうとうエミリーの番まで回ってきた。
「じゃあ、ケリー。行ってくるね」
「うん、がんばってね」
「あたりまえよ! わた……ぼくの手にかかればこんなの楽勝さ!」
目の前の子供の正体に気がついているであろう、後ろに並ぶ大人たちの、堪えた笑い声がケリーには聞こえていた。
エミリーは、自信満々な力強い足取りで、玄関の扉をくぐっていった。
エミリーが行ってしまい一人になったケリーは、一気に緊張して不安になって、心臓の音が速くなっていくのを感じた。
一体、なにを聞かれるんだろう。
中は、どんな風になっているんだろうか。
大佐は、どんな人なんだろう。
僕は、うまくやれるだろうか。
色んなことを考えていると、玄関の大きな扉が開いて、うつむいたエミリーが出てきた。
「エミリー。どうだった?」
ケリーが声をかけると、エミリーは顔を上げた。意外にも、ショックを受けたような表情ではなかった。
「あのね、ケリー! 実は」
「ゴホンッ!」
エミリーの言葉を遮るようにして、先ほどまで大声で説明をしていた執事のおじさんが大きく咳をした。
「大佐に言われなかったかな? 中でのことは、明日になるまで誰にも言ってはいけないと」
おじさんは、厳しい口調で言った。
「はーい、そうでした。じゃあ、ケリー、がんばってね。終わるまで外で待ってるから!」
エミリーは、並んでいる人たちの向こうへ駆けて行った。
「さぁ、次の坊や、お入りなさい」
ケリーは急に喉が渇いて、口の中がネバネバしてきた。扉の取っ手を掴むと、自分の手が汗まみれなのに驚いた。ケリーは、両手に力を入れてゆっくりと扉を開けた。
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