第6話
「一葉、久しぶりやなあ!遊びに来たで!」
「お前か?雅音さんが言ってたマネージャーって」
木曜日の放課後。剣道場の掃除をしていた私に掛けられた、明るい京都弁と気怠げな男の声。驚きと共に振り向いてみれば、開けっ放しの扉の近くに立っていたのは、人懐っこい笑顔の女子生徒と黒髪の男子生徒。
…雅音先輩と、初めて見る青年だった。学ラン姿の彼は夜桜先輩よりも背が高くて、均整の取れた身体は制服越しでも筋肉質なのが窺える。
…でも、初めて会ったはずなのに、どこかで見たような気がするのは何故だろう。
一瞬だけ浮かんだ私の疑問も、彼の真っ直ぐな黒髪を見て一気に消え失せた。
「…ッ!…もしかして……佐伯、悠馬先輩、ですか?」
「…そんな事どうでも良いだろ。それに、もうこの剣道部に俺が関係する事もねえしな。…今更部活には戻る気は無いって、雅音さんにも伝えてあるはずだ」
「何で…何で剣道部に戻って来てくれないんですか!?剣道部はみんな悠馬先輩を待っているのに…!私達には、かつての『策略家』が必要なのに…!」
「…昔と今は違うんだよ。確かに昔、そう呼ばれた頃もあったけど、今はそんな事どうだって良い。……俺は、早く剣道部から離れたいだけだ。雅音さんがいなくなったこの部活には、もう俺がいる意味もねえしな」
「…雅音先輩?」
何でそこで雅音先輩が…。なんて思った刹那、悠馬先輩は
「…おい、うるせえよ」
と、低く唸って睨んで来る。
「…お前、中学まで選手だったよな。夢咲一葉って名前、全国大会で聞いた事ある」
「……!」
「そこまで実力があるんなら、俺と一試合やっても張り合えるよな。…お前、俺と一本勝負しようぜ。審判は雅音さんに頼んである」
「そんな…無理ですよ!もう私は選手じゃないですし…それに、『策略家』に勝つ見込みなんて……」
そうだ。いくら休部していると言っても、相手はかつての『策略家』。選手を引退した一介のマネージャー如きが敵う相手ではない。
勝てる訳がないのに…なんて目を伏せると、それまで剣道場を眺めていた雅音先輩が
「…そうやなあ」
と小さく息をついた。
「悠馬、そないあからさまな勝負持ち掛けて何がしたいん?まさか、一葉ん事いじめるつもりちゃうやろな?」
「…そんな事しませんよ。万が一コイツが勝てば、俺は大人しく剣道部に戻ります。…でも、俺が勝ったら…」
「無期限の休部、いう事な」
雅音先輩は納得したように、でも呆れたようにも見える吐息を零す。…明らかに結果は見えているのに、絶対有利な勝負を仕掛けて来る悠馬先輩。いきなり休部して、いきなり姿を見せる彼の心情は、私にも、雅音先輩にも分からない。
「…分かりました。絶対……勝ちますから」
「……せいぜい足掻け」
威嚇するように悠馬先輩を睨みつけると、私は、壁に掛けられていた竹刀に手を伸ばした。
「ん、二人とも、準備ええみたいやね」
剣道着に身を包み、竹刀を握り締めた私達の姿を見て、審判の雅音先輩は満足そうに頷いた。
中心を挟んで私と対峙する、かつて見たままの姿の悠馬先輩。でも、二・八メートルの距離を隔てても…獣のような双眸は、交わった剣先の奥から私を睨んでいる。
…殺るか、殺られるか。ふと、そんな言葉が脳裏をよぎって、私は手にした竹刀を強く握り直した。
試合なんて、もう何度も経験しているのに。これまで何度も華々しく勝利を飾って来たはずなのに…。…こんな風に、相手に恐怖する事なんて、いつぶりだろう。
「…ほな、行くで。……」
「始め」
雅音先輩の宣告の刹那、鋭くぶつかった互いの竹刀が、広々とした剣道場に乾いた音を響かせた。
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