第5話
日曜日。紫陽花の蕾も膨らみ始め、六月も間近に迫ったある日。
部活を終えた私が昇降口を出ると、弓道場の方から歩いて来る一組の男女の姿が見えた。一人は制服姿の女子生徒、そしてもう一人は…。
「…あ、夜桜先輩!」
「ん?…ああ、夢咲ちゃん。部活お疲れ様」
柔らかく微笑む夜桜先輩と、そんな彼の後ろにサッと隠れる黒髪の少女。…誰だろう。ネクタイの色からして一年生のようだが、少なくとも今まで見た事は無いし…。
何より、雅音先輩じゃない。
「あの、夜桜先輩…」
「ん?」
「…後ろの、人って……?」
「え?…ああ。ほら紫織、挨拶。さっきは泪衣とも話せたでしょ」
夜桜先輩が優しく声を掛けると、紫織と呼ばれた少女はひょこっと顔を覗かせて
「うん…。……初めまして。夜桜魁斗の妹の…一年五組の
と小さく頭を下げた。緩く癖のある長い黒髪が、重力に従ってはらりと耳から落ちる。
「…妹、ですか」
「そうだよ。帰宅部だから、夢咲ちゃんが知らないのも仕方ないよね。…そうだ紫織、ちょっと席外してもらえないかな。夢咲ちゃんに大事な話があるから」
紫織ちゃんは、一瞬キョトンとしたけれど、すぐに
「…うん。分かった」
と柔らかく笑って校舎へと入って行く。夜桜先輩は、そんな妹の姿を見届けると、ふと目を伏せて
「…あのさ」
と口を開いた。
「…雅音に聞いたよ。休部してる次期主将の事…。去年の秋からずっと来てないんだよね。…雅音、引退しても彼の事心配してたから、さ」
「…はい」
伏せられた黒い瞳と、愁いげに零される小さな吐息。…思えば、現役だった頃から、夜桜先輩はいつも剣道部にも親身になってくれた。雅音先輩がいたからっていうのが大きいのだろうけども、私達も夜桜先輩にお世話になったし…。だとしても、雅音先輩の手を焼き続けている男の事を気に掛けるのは、どうしてなんだろう。なんて思ったのも束の間、夜桜先輩はふと視線を上げると
「…でもね」
と、フッと笑った。
「きっと、大丈夫だと思うよ。ええっと…佐伯君、だっけ。彼が本当に剣道を好きなら、ちゃんと戻って来るはずだから」
「……え?」
「…弓道部の、今の主将もそうだったからね。去年の夏から秋くらいまで、部活には全然顔出さなかったんだけど、それが原因で新人戦のA立から外されて、『また弓道がやりたい』って戻って来たんだ。…彼は、僕よりも良い素質を持ってるからね。だからきっと、僕の時よりも良い弓道部を作ってくれるはずだよ」
今日引き継ぎしたばっかりだけどね、と先輩は悪戯っぽい笑みを浮かべた。…夜桜先輩の言う通り、悠馬先輩は剣道部に戻って来てくれるのだろうか。だとしたら、彼はまだ剣道が好きだって事で…。それなら、何でいきなり休部なんて事…。
「…分かりました。わざわざ有難うございました」
「…気にしなくて良いよ。剣道部には、いつもお世話になってたからね」
ゆるゆると首を振って、優しく微笑む夜桜先輩。磨かれたように滑らかな黒い瞳は、雅音先輩に向けられていた時と同じように、穏やかな光を灯している。
私が小さく頭を下げると、夜桜先輩はくるりと振り返って、
「紫織、終わったよ。おいで」
と優しく声を掛けた。
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