第4話

 そして、いつしか想いは加速して行って。

「ゆ、夢咲一葉です!宜しくお願いします!」

 照明の映り込む床。

 収められた防具。

 壁に掛けられたままの竹刀。

 そして…先輩達の背中に背負われた『桜楼剣道部』という白い達筆。

「入部おおきに!皆これからよろしゅうね!」

 今でもよく覚えている。緊張する私達を温かく迎えてくれた、明るくて柔らかな京都弁を。

 そして、剣道場に堂々と掲げられた、『桜楼剣道場』の力強い文字を。

「……って感じかな。短い間だけど頑張ろうぜ。…次、雅音宜しく」

「…『次』言うてもうちで最後やなあ。うちは神楽雅音。一応ここの…女子の主将やさかい、団体では大将を務めてん。あ、うちは京都出身さかい、日頃から京都弁使うてんで。…一年の皆とは短い間になってまうけど、その分濃い時間を過ごしたい思ってん。そやさかい…入部してもろうた事に後悔はさせへん。よろしゅうね」

 最後だった雅音先輩の自己紹介に一礼すると、私は黙って先輩達を見渡した。…けれど、いない。かつて私が憧れた、飄々とした佇まいの『彼』を。

 先輩達が談笑するなか、私は

「あの」

とおそるおそる声を掛けた。

「……?どないしたん?ええっと……夢咲はん」

「あの…間違いかもしれないんですけど、もう一人先輩がいらっしゃいませんか?…その……」



「昔『策略家』という異名を持ってらっしゃった、佐伯悠馬先輩という人が」



 その瞬間だった。いままで和やかだった剣道場の空気が、一気に緊張を孕んだのは。

 さっきまでにこやかだった雅音先輩も、どこか驚いたように目を見開いていて。

 突然の変化に動揺した私は、おそるおそる口を開こうとしたけれど、そんな私を

「……知ってるのか、アイツの事」

と、男子の主将の先輩が遮った。

「え……?」

「悠馬か。確かにアイツは剣道部に籍を置いてる…でもな、去年の秋から、一回も部活に顔出してねぇ。…辞めたも同然だよ、あんな奴。いくら昔に成績残してても、今は剣道場に近寄りもしねえなんて…落ちぶれたもんだよな、かつての『策略家』も」



 馬鹿にしたように、先輩はフッと息を吐いた。…でも、心なしかその表情はどこか寂しそうにも見えて。



 …そして、この会話から一ヵ月、雅音先輩達三年生の引退の日まで、桜楼の剣道場に『策略家』の姿が現れる事は無かった。


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