何かが歪められている

「随分と早い到着だな」

 姫神村に於いて土御門家を統率する老人、土御門玄隆の実弟の宗絃そうげんは呆れた風に言う。

「申し訳ありません。手順を狂わせましたか」

「そう慇懃にするな。兄貴からは、御役目については今朝方知らせると聞いておったからな、早くても到着は明日の朝だろうと思っていた。それが当日中、しかもこんな時間に来るとは。推察するに飛天瞬脚を使ったな。五十里を駆けて疲弊の片鱗も見せないとは、どうやら兄貴は麒麟児を見いだしたようだ」

 宗絃の爺さんはどこか嬉しそうに口の端を上げ、カカカと笑いながら煙管を咥える。あの兄にしてこの弟ありといったところだろうか、宗絃が煙管を蒸かす場所もまた道場だった。

「御役目については、後ほど詳しく知らせよう。時間を取らせる、父母に挨拶してきなさい」

 宗絃の計らいをありがたく受け入れ、土御門家の屋敷から出る。

 幼少の記憶と寸分違わない風景に感嘆と郷愁を噛み締めつつ、墓地へと向かう。姫神村は六つの屋敷とひとつの寺院からできた、海と山で囲われた小さな村だ。六つの屋敷は、現在も継承されている五つの退魔師の流派と、姫神の悲劇によって途絶えたひとつの流派の本家となる。

 地脈の流れを利用する土御門家、身体呪装を得意とするひいらぎ家、呪詛と封印術に長けた天宮あめのみや家、体内の血を武器とした零乃宮れいのみや家、傀儡を使役した近衛このえ家。

 そして、失われた異端の流派、霊力ではなく妖力を操った姫条きじょう家。妖と通じるという、その異端性から他の流派との交流も乏しく、誰も一族の貌を見たことがないと噂されるほどだった。志を同じにしながら、他家から疎まれるままに潰えた不遇の一族。妖力を捨てさえすれば同胞として受け入れられていただろうに、それでも妖力に執着したのはなぜだったのか。

 歩みを止め、羊雲の群れを見上げる。姫条家の没落を憂えるこの心は、はたまた俺自身の境遇を投影しているためではないのかと思うと、どうしてか胸の奥がざわつく。

 道端の花を手折り、墓地へと続く石段を上る。姫神の悲劇が生じたのち、壊滅状態の村はそっくりそのままに再建された。妖には決して屈しないという意志の現れなのか、過去の栄華を忘れられなかったためかは分からないが、俺には後者のように思える。

 変わったところなどどこにもないような村の中で、墓地だけは変化を余儀なくされていた。整然と並べられた墓石の群れは、幼少期の記憶よりもはるかに多い。ほんの八年前、俺が十歳のときにはどうしてこんなに広く作ったのだろうと不思議がったものだ。幼心にも、退魔師の家系が総じて短命であることは理解していた。死と隣り合わせの境遇にいることは分かっていた。けれど、広すぎる墓地を見渡して、俺はこう達観していた。

 ここが手狭になるのは、きっと俺が死んでからずっと後のことだろうと。

「ちっとも足りてないじゃないか」

 甘ったれた観測だったのだ。何もかも。

 井戸で水を汲み、桶と花を抱え、とある墓石の前に立ち尽くす。そこに刻まれた墓標は土御門ではなく近衛、実の家族のものだった。

 姫神の悲劇で根絶した流派は姫条家のみだが、近衛家はそれとほぼ同義にあたる。村の外に分家を持たなかった近衛家は、土御門家の修練所に預けられていた俺を除き、総てが惨劇の夜に散った。この八年間、ただの一夜さえも、瞼の裏から両親の姿が消えたことはない。過去と決別できない自分の姿は誇れたものではないけれど、それこそが俺の矜持だった。

 全ての過去を憶えている。全ての過去を繋ぎ止め、行動原理へと還元する。

 それが俺の生き方であり、その現れだろうか。父さんの口癖であり、修練所へと向かう俺にかけられた最後の言葉が、幾度となく脳裏によみがえる。

『純真であることは退魔師の誇りだ。だが、近衛に生まれたからには濁らなければいけない』

 家に固執するなと伝えたかったのだろうか。真意を確かめる前に父さんは逝ってしまった。

 近衛家の生き残りである俺が、ここで何ができるのかは見当もつかない。爺さんに土御門家の養子として迎えられ、御役目のためとはいえ、こうして故郷に帰ってきたことさえもどこか信じがたい。どうして俺だけが難を逃れたのか、どうして俺だけが生き残ったのか。八年前から片時も頭を離れなかった疑問の答えが、ここでなら見つけられるのだろうか。

 うっすらと目を開き、墓標の文字を辿る。末端に刻まれた父さんと母さんの名前を瞳に焼き付け、そっと立ち上がる。墓石に向けて深々と低頭し、背を向ける。

 僅かではあるが歩調を速め、未練を振り払うようにその場を去った。


 屋敷へ戻った俺を待ち受けていたのは、色素の抜けた栗毛の青年、土御門宗二そうじだった。義理の従兄にあたる人だ。身の丈は俺よりも僅かに高く、着物の上からでも筋肉質の体躯が見て取れる。土御門家では珍しい肉体武闘派ステゴロの退魔師だ。

「早かったな。もういいのか?」

「はい。会いに行こうと思えば、また行けますから」

「そりゃそうだ。小さい村だからな」

 宗二は八重歯を覗かせて微かに笑い、風呂敷包みを投げて寄越した。

「これは」

「寝間着とか、諸々。大抵のものは向こうに揃えてあるが、必要であれば言ってくれ」

 向こうと言いながら、宗二は背後の屋敷とは真逆の方向を指差した。振り返って指先を辿れば、小高い山の樹々に埋もれるように、寺院の瓦屋根が見えた。

「言っておくが、勘違いするなよ。村で一番若い奴がバケモノの面倒をみる決まりなんだ。お前が養子だから家に入れないわけじゃない。俺だって昨日まであっちにいたんだ」

 神楽の傍で監視と面倒をすることが、当面の役目ということらしい。

「宗二さんは、今夜からどのような御役目を?」

「討伐の任に就く。バケモノが呼び寄せているのか、王を取り返そうとしているのか、はたまたバケモノを殺して玉座を奪おうとでも企んでいるのか――この辺りは妖の吹き溜まりになっている。そいつを祓うのが俺達の役目だが、稀に取りこぼしも出る。夜は注意しておけ」

「そうします」

 忠告は素直に受け取っておく。けれど、内心では落胆したことに変わりない。早く後任が来てくれないかと思いつつ、修練所の面々を思い浮かべると期待はできなさそうだった。

「そう気を落とすな。バケモノの監視だって大事な御役目だ。分かるだろう」

 この感情は、彼にも覚えがあるようだった。

「それから――」と宗二は切り出し、俺の襟首を捕まえて耳元に口を寄せると囁いた。

「やるならバレないようにな。宗絃の爺さん、あれで厳しいヒトだからさ」

「何のことですか」

「とぼけるなよ、分かっているくせに。監視役の唯一の楽しみだろうが。せいぜい楽しめよ」

 その言葉の端々からは、ひどく冷たい感情が見え隠れしていた。決して望ましくない悦楽。悪意と呼ばれる類の、清廉からはほど遠い何か。酷薄な笑みに、背筋の震えを感じながら、ぎこちなく頷く。何かが歪められていると、この村では何かが逆巻いていると予感がした。

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