第6話
そして、遂に訪れた九月、県立弓道場。
「行くか」
「おう」
「桜楼A立準備お願いします」の声に仲間と目配せした直後、ふと「泪衣、泪衣」と、聞き慣れた声が俺を呼んだ。
「...魁斗先輩」
「久しぶり。実は顧問から呼ばれててね。新体制になった桜楼弓道部を見てやれって。...あ、そうだ、後から紫織も来るよ。僕も紫織も泪衣の活躍楽しみにしてるから、頑張ってね」
その名前を聞いて、俺の眉はピクリと動いた。咄嗟に何か喋ろうと口を開いたけど、やっぱり動揺を隠す事は出来なくて。
「...有難うございます。絶対...皆で全国に行きますから」
やっとの事で紡いだ声も、誰が聞いても分かるくらい震えていて。
でも、俺の言葉を聞いて、魁斗先輩は一瞬の間の後にくしゃりと笑った。...ああ、入部以来、俺はこの人に何度勇気づけられた事だろう。古豪である桜楼を引っ張るというプレッシャーもあったはずなのに、そんな素振りを見せずに俺達を鼓舞してくれたこの笑顔にも。
...今まで引き継がれて来た『古豪』の名を、俺の代で廃れさせる訳にはいかない。
弓を固く握り締めて、俺は控え室を後にした。
そして、気が付くと二立目も滞りなく進み、残った矢も最後の一本だけとなった。対戦校はもう立を終えたようで、射場を去る落の後ろ姿が視界の端を横切る。
「中前一本!」の声が聞こえて来て、俺は静かに視線を移した。『5』の数字の上に連なった三つの丸と、的に突き刺さったままの三本の矢。
...次の矢を決めれば、皆中。そして...確定する、桜楼学園の全国出場。
「落前一本!」「一本!」
矢取り道から聞こえる独特の節回し。
隣から伝わる空気の振動。
...ふと、何気なく目を向けた観客席に、緩く癖のある黒髪を見つけた。もしかして...いや、もしかしなくてもあの姿は...。
「落一本!」「一本!」
後輩の声を合図にしたように、俺は弓を引き絞った。瞬間、走馬灯のように脳裏を駆け巡るのは、入部してからずっと追い掛けて来た前主将の姿。
いつも温厚なあの人が弓を持った時だけ見せる表情は、まるで獲物を狩る獣のように鋭くて。
それでも、たった一人の妹の前では、いつもの...いや、いつも以上に優しい『兄』の姿で。
...この矢を決める事が出来れば、俺もあの人のように弓道部を引っ張って行けるのだろうか。
そして...心配そうにこちらを見る、彼女の気持ちに応える事が出来るのだろうか。
「泪衣君...!頑張って......!」
...ああ、碧に言われてから気付くなんて、何て俺は馬鹿なんだろう。自分の気持ちなんだから、自分が一番分かってるはずだったのに。
「紫織......×××」
小さく呟いた俺の声は、直後に奏でられた弦音にかき消された。
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