第2話

 鋭い眼光。

 しなる弓。

 澄んだ弦音。

 そして、穿たれた的。

「「ヨシッ!」」

 的中の直後にかかる矢取りの声と、「フゥ……」と小さく息を吐く、弓を持ったままの黒髪の青年。やがて、誰かが「矢上げます」の声を発すると、彼は小さく微笑んで、

「…これでもう世代交代だね…。泪衣るいに全部任せるよ。これからの弓道部も後輩達も」

 と、それまで羽織っていたジャージを脱いだ。

 …夜桜よざくら魁斗かいと先輩。この私立桜楼学園高等部の生徒会長で…古豪・桜楼おうろう弓道部を何度も全国へ導いた前期主将。

「今までお疲れ様でした。そして…有難うございました」

「…お礼なんて言わなくて良いよ。これでもう僕は主将じゃなくなったんだから。それに、泪衣なら僕よりももっと上を目指せるしね。…期待してるよ、新主将」

「…はい」

 それじゃ、と軽く手を上げて、緩く癖のある黒髪は併設された部室へと消えていく。

 …魁斗先輩は、つい先日行われた全国大会で、個人戦準優勝という輝かしい成績を残した凄腕だ。色々な都合で今まで部に留まっていたけど、今日…いや、さっきの一矢を最後に、弓道部を引退した。

「ここに、もう老兵の力は必要ないよ。今まで育てて来た二年も、この間まで素人じみてた一年も、皆強くなったんだから。…全国でも結果残したし、もう悔いは無いかな。皆、今までついて来てくれてありがとね」

 ついさっき、矢を射る前に、俺達後輩にそんな言葉を残して。




「ねえ…ねえ、泪衣君」

 ふと、弓道場の外から名前を呼ばれた気がした。行ってみると、そこにいたのは

「泪衣君、お兄ちゃん知らないかな…?さっき、桐崎君から『弓道場にいる』って、聞いたんだけど…」

 と首を傾げる制服姿の少女。

 初めて見る少女だった。薫る風に揺れる緩い黒髪、穏やかな光を灯した黒い目、高校生にしては低めの身長。一年生の証明である青いネクタイを締めた彼女は、一言で表すと「美人」だった。…でも、初対面のはずなのに、どこか既視感がある気がする。特にこの声、どこかで…。

「あ、紫織来たんだ。…泪衣、相手させちゃってごめんね。迎えに来てくれただけだから大丈夫だよ」

 背後からの声にふと振り返ると、荷物をまとめた魁斗先輩が丁度部室から出て来る所だった。さっきまで背負われていた『桜楼弓道部』の文字は、いつの間にか腰に巻かれている。

 少女は、そんな先輩の姿を見ると、

「あ…お兄ちゃんお疲れ。さっき桐崎君が教えてくれたから来たよ」

 と柔らかく笑った。

「…え…?『お兄ちゃん』…?」

「あれ、泪衣、もしかして知らなかったの?他の二年生は皆知ってるのに」

「…はい」

「…そっか。ほら紫織、自己紹介。紫織は泪衣の事知ってても、泪衣は紫織の事分からないんだから」

 俺の様子を見て、魁斗先輩は少女にそんな声を掛けた。紫織と呼ばれた少女は、一瞬きょとんとしたものの、すぐに「…そうだね。泪衣君、初めまして。お兄ちゃんの…夜桜魁斗の妹の、夜桜よざくら紫織しおりです」と小さく頭を下げる。

「ごめんね、泪衣。僕と紫織はもう帰るから、部活戻って良いよ。…ほら、紫織、行こ」

「あ、うん。…じゃあね、泪衣君。また今度」

 先を歩く魁斗先輩とそれを追い掛ける紫織、二人の姿はやがてセミナーハウスの陰へと消えて行く。

 …あの既視感の正体は、紫織が魁斗先輩に似ていたからだったのだろうか。それは兄妹だから仕方ないはず…なのに。…それなのに、何で俺の胸には、未だもやもやとしたわかだまりがあるのだろう。

「…俺と紫織って、本当に初対面なのかな…」

 ふと、そんな疑問が口から零れる。それなら紫織が俺の名前を知っていた事も納得がいくし…何より、あの鈴のような声には聞き覚えがあったから。


(どこだ…?体験入部?オープンスクール?中等部?…でも、魁斗先輩の妹って事は、弓道関連だろうし…)



『お兄ちゃん知らないかな?』

『あ…お兄ちゃんお疲れ』

『初めまして。お兄ちゃんの…』




『お兄ちゃん、頑張って!』




「…ッ!?…もしかして……?」



 今まで霞がかっていた視界が、一気に開けた気がした。

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