第1話 お嬢様と言っても中身はコンビニ店長です

「お嬢様、朝から大声を出されて何事ですか? はやく起きてくださいませ」


 メルリア(聡)が異世界にてお嬢様になってしまうという奇想天外な出来事で混乱冷めやらぬうちにトントンと扉がノックされ、先の素っ頓狂な叫びへの問いかけがやってきた。

 おっと、一先ず冷静に現状に対応せねば……。確か、記憶によればこの声はお付きメイドのメリーだったかな。メイド付とは、我ながら改めてお嬢様になっちゃったんだと実感するなぁ。


「はーい。ちょっと寝ぼけただけ。今すぐ起きますよ~っと」


 簡潔な返事を聞くと、メリーはややギョっとしたような表情を浮かべつつも去っていった。


 うむ。取り敢えず、大丈夫そう……かな。

 さて、もう一度記憶を呼び戻し、自分の今の置かれた状況を整理していこう。


「……うーん。よくある異世界に転生してしまったのは解ったんだけど、まさか片田舎とはいえ貴族のお嬢様とはなぁ」


 前世の慎ましやかな生活とは打って変わってこのような部屋も与えられてなんとも贅沢な……。

 それだけで私にはもうお腹一杯だ。

 それにしても転生したはいいものの今の今まで前世の記憶を失っていたって訳だろうか。

 そこに、先程の衝撃によって喪失していた記憶が思い出されたといったところか。我ながら、何というか正直拍子抜けしてしまうほどに間抜けな転生を実感した瞬間である。

 実際のところ、私にとって前世では大した未練もないわけで悲壮感などはない。ただ、唯一の心残りと言えば、田舎の両親だろうか。先立たれてしまって悪いことをしてしまったな。

 とは言え、これが現実である。それに、今私にはそれ以上に待ち受ける困難があった。


「うーん。自分の身体とは言え、年頃の美少女の身体を見るのは何とも……」


 そう。着替えである。

 しかし、その心配は御無用だったようだ。

 一度、去っていったメリーが着替えを手に戻ってきたかと思うと、メルリアの服を脱がせ始めたではないか。

 

「うわっと」


「? お嬢様、どうかなさいましたか?」


「い、いやー何も……」


 怪訝な表情を浮かべるメリーに私は若干驚きつつも内心溜息をつく。


(この調子で目をつぶってただ立っていれば乗り越えられそうだな。お嬢様万歳! そして、自分の身体も直視できない自分情けない……) 

 

「よしっ。なんとかこれで大丈夫そうかな」


 ようやくといった様相でドレスを着終える。

 当然のことながら、前世の記憶を思い出すまでは毎日普通に何の支障もなく着替えることができていたのだが、やはり前世おっさんから美少女への転生というのは中々に慣れるのが大変そうだと私はしみじみと思ったのだった。



 やっとの思いで自室を出て向かったのは、ダイニングルームのような部屋だ。毎日、朝食はこの部屋で摂っている。

 そして、部屋の長テーブルにはメルリアの父と母が既に席についていた。

 父であるダリア・エル・マークルは、アルストロメリア王国マークル領を治める男爵である。黒髪に髭を生やし落ち着いた雰囲気を漂わせている。メルリアの黒髪は父譲りということになる。一応、領主ということになるのだが、いわば片田舎の辺境領主であり、さして一般にイメージされるほどの贅沢三昧を送れるほどの財力がある家ではない。

 母であるセルリア・テール・マークルは、金髪ロングにキリリとしながらも優しい顔つきをしている。元々近隣に領地を持つサーチタス子爵家の三女であり、縁あって位としては一つ下となるマークル家に嫁いできた。

 双方ともに温厚な性格であり、領民からも慕われている。

 もう一人、兄であるルイニ・アル・マークルがいるが、現在は王都に滞在しているため、不在だ。

 以上がようやく落ち着いてきたのか脳内に広がってきたこの世界におけるメルリアの近親者の情報である。

 

 よ~し。ある程度自分の立場が解ってきたぞ。後は、なるべく妙な行動を起こさないように心掛けて、恙なく生活を送り、この世界では天寿を全うしようではないか! 目指せ、華麗なるお嬢様ライフ!


「おはようございます。――お父様、お母様」


「うむ。おはようメルリア」


「おはようメルリア。昨夜はよく眠れたかしら」


「ええ、よく眠れましたわ」


 よく眠れるどころか、前世では永眠しちゃったけどねっ! とは流石に言えないわけだが。

 私はそんな微妙な思いを胸に抱きつつも平生を装いつつなるべくお淑やかに自身の思い描く貴族然とした振る舞いで朝食を摂る。

 正直言って前世でも高級レストランで食事をした経験はほとんどない。そのため、前世におけるテレビなどでたまたま観ていた食事マナー講座の記憶もって貴族然とした振る舞いとする。


「おや、メルリア。テーブルマナーはこのほどマスターしたばかりであろうに、今日は一体どうしたのだ」


「え? 何かございましたか」


 お父様は心配そうにしながら私の手元を見つめる。


「ナイフとフォークが逆だ……」


「あっ……」


 やっぱり、ただの元コンビニ店長にはいきなり貴族然とした振る舞いなど無理だと痛感するとともに、はやく混濁した記憶を整理せねばと誓う私だった。



 ◆◇◆



 男爵令嬢メルリアとしてこの世界で過ごし始めてからはや1か月が過ぎた。

 だが、この貴族という生活には一向に慣れられそうにない。

 メルリアと聡の記憶を徐々にうまい具合に整理できつつあるため、貴族というのはそういうものなのだという思いを抱き始めるものの、聡としての精神が日々の社交界のレッスンだのマナーの練習だのに窮屈な思いを胸いっぱいにしていた。


「ねぇ、メリー。今日もダンスのレッスンなのかしら? 別のイベントはないの?」


「何をおっしゃいますかメルリアお嬢様。お嬢様は御年12歳。貴族界では15歳から社交界デビューするものなのです。あと3年しかないのですよ。だというのに、ダンスはずっこけ、テーブルマナーは左右逆と散々ではありませんか。旦那様も奥方様もご心配なされておりますよ」


 ぐぬぬ……。痛いところを突いてくる。

 確かに、今の私は片田舎の男爵令嬢とは言え貴族。貴族として生きていく以上それらは欠かせないものだ。

 それに、優しく私を気にかけてくれる両親を困らせたくはない。ただでさえ、前世の両親には申し訳ないことをしたのだから。

 だが、正直言って人には向き不向きがあるものだ。

 貴族然とした振る舞いはできなくとも、コンビニでの接客なら完璧にこなせる自信がある。

 どうせ転生させてくれるのなら、商人とかにしてくれれば良かったのに。


 そんな愚痴を零しつつも、今日もこの邸宅内で入り浸りか……と半ば諦め気味にメリーから本日の予定を聞いていると、思いがけない言葉を耳にする。


「本日は、実践練習としてひと月半後にある模擬社交界の準備をしていただきます」


「模擬の社交界?」


「はい。やはりレッスンだけでなく実践が伴わなければ身につくものも身につきません。ですから、数カ月に一度マークル家と近しい3家の社交界デビュー前のご令息ご令嬢方が集まって模擬社交界を行うのです。お嬢様にとっても刺激を受ける良い機会でしょう」


「なんと……!」


「そのためにも本日はドレスの見繕いなどを行います」


 ちょっと心配だが、これは外に出るチャンス!

 できれば、ちょっとした隙に外の街なんかをぶら歩きしたいものだ。


「では、さっそくお出かけの準備ですわね」


 この世界にメルリアとして転生して初めての外の世界だと意気揚々と洋服店へ出かける準備を使用と踏み出すと、メリーに止められる。


「何をおっしゃいますか。洋服屋がもうすぐこちらに到着します。お嬢様がわざわざ出ていかれる必要はございません」


 ガーン。

 頭を鈍器で殴られた気分だった。

 まあ、そうだよね。貴族だものね。わざわざ行く必要もないのか?

 せっかくこの世界の店舗を訪れることができるとあって自身の中の店長精神が活性化していたところにこの仕打ちであったが、まだこの世界の商人に会えるという最後の希望に期待を持つ。


「お嬢様、実践練習のこと以外余計なことは考えないようにしてくださいませ」


「勿論、ですわ。メリー。社交界デビューに向けて頑張りたいと気持ちを新たにしていたところよ」


「本当ですかね。顔に抜け出したいと書いてありますが」


 鋭いっ!

 

 とにもかくにも、私のお嬢様生活は前途多難なようである。



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