第8話

「...っ」

 いたたまれなくなって、俺は二人に背を向けて走り出した。ふと窓の外を見やると、淀んだ暗雲から降る大粒の雨が窓ガラスからの視界を遮っている。雨粒を次々に打ち付けられ、一瞬たりとも元に戻る事を許されない、歪んだままの景色。

 そういえば...前に二人の逢瀬を見た時は、夕焼けがとても綺麗だった。真っ赤な空を背景に、一つに重なった男女の影は、広い体育館を縦断して長く伸びていた。

 館内に差し込むオレンジ色の光も、床に転がったバスケットボールも、絵画の主人公達の前ではただの脇役で。完成された絵画は、周りが色褪せて見えるくらい美しくて。

 ...あの空間に、こんな歪みは存在していなかった。あったとしたら、その完璧さに向けられていた、俺の醜い嫉妬だけ。

「あ、いたいた、悠也くーん!」

 突然名前を呼ばれて振り向くと、その先に見えたのは、手を振りながら廊下を走って来るマネージャーの先輩の姿。今日はオフだからジャージを着ていないのも当然の事なのに、初めて見る制服姿に少なからず驚いてしまう。

「...どうしたんですか、藍先輩」

「体育館で自主練してたはずの零音が行方不明なんだけど...どこにいるか分からない?」

「...ごめんなさい、分かりません」

 咄嗟に嘘をついた。でも、藍先輩は疑おうともせず、

「そう?ごめんね、引きとめちゃって」

 と申し訳なさそうに謝って来る。

「じやあ、零音に会ったら、私が呼んでたって伝えてくれる?何か碧もいなくなっちゃって、二人ともどこ行っちゃったのか分かんなくて...」

「分かりました」

 無愛想にそれだけ返すと、藍先輩はパッと顔を輝かせて、

「じゃあ宜しく!」

 と元来た道を戻って行く。

 そういえば、藍先輩も昔、零音に並ぶくらいの凄腕プレーヤーだったんだな...なんてぼんやり考えながら、俺は再び窓の外に視線を移した。相変わらず歪んだその景色は、台風でも来ているのか、校門前の若桜が激しく頭を揺らしている。




 そうだ、そろそろ帰らなければ。

 そして、少しばかり頭を冷やしたい。








 体育館から聞こえるドリブル音に背を向けて、俺はゆっくりと歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Lost 槻坂凪桜 @CalmCherry

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ