第6話

 体育館に響くシューズのスキール音と、空疎な空間を埋める力強い地響き。そして、颯爽とコートを舞う、背の高い一人の少女の姿。

 午後5時。木曜日の今日はバスケのオフ日のはずなのに、放課後の体育館には黒髪の少女の姿があった。窓の外に暗雲が広がる薄暗い中で、少女は電気も点けずに黙々とシュートを決め続ける。

 スリーポイントシュート、フェイダウェイ、ダブルクラッチ、ストップ&ジャンプシュート...。技こそ派手ではないものの、洗練された動きはまるで蝶のように美しくて。

 やがて、彼女が動きを止めて「ふぅ...」と一息ついた時、俺は彼女の元へ歩み寄って「零音」と声を掛けた。

「...何。そして誰」

 敵対心を剥き出しにして、こちらを睨みつける二つの黒曜石。その奥に宿る明らかな警戒の色は、真っ直ぐ俺の方へと向けられている。

「...外部入学して来た水鏡悠也。一応ポジションはPF」

「...ああ、そういえば碧が言ってたっけ。この桜楼に推薦で来たPFがいたって」

 手に持っていたボールを籠に投げ入れて、少女は思い出したように小さく頷いた。

「桐崎さんから、他には何て聞いた?」

「...まあ、碧もそこまで詳しくは教えてくれなかったけど。でも、昨年全中で準優勝した、城開墾中学校の天才PFだって事は聞いてるよ。...確か、ウチ以外からも沢山推薦来てたんだよね?全国4位のウチよりも強い所だってアンタを指名してたはずなのに、アンタはわざわざこの桜楼を選んだ。...それで、そんな期待の星が、私に何の用...」

「零音...覚えてないのか?」

「...は?」

 形の良い眉の間に、苛立ったように細かい皺が刻まれる。

「昔、小学校に入る前に、いつも一緒にバスケをしていた事。いつも2人でボールを追って、互いの技術を研鑽し合って...。...日が暮れるまでずっとボールに触ってた事、覚えてないのか?」

「...まさかとは思ってたけど、やっぱりアンタだったんだね。まあ、水鏡悠也なんて難しい名前、他にいる訳ないか」

 ふと小さく息を吐いて、零音は照明の点かない暗い天井を仰ぐ。その愁いげな横顔は、まるで昔を懐かしんでいるようにも見えて...。

 しかし、そんな表情をしたのも束の間、すぐにこちらを振り向くと、

「じゃあ、私の元相棒って事で言わせてもらうけど...今後一切、私に関わらないで」

 と冷たく言い放った。

「...え?」

「確かに、水鏡には感謝してるよ。実際、アンタと二人でやるのは楽しかったし、一緒にプレーしてなかったら、今頃私が天才なんて呼ばれる事も無かっただろうし。でも、今の私のバスケに、元相棒の...アンタの存在は必要ない。...人間は変わるんだよ。アンタみたいに、いつまでも昔に執着なんていられない。昔がどうだろうと、今私の隣にいるのは碧。バスケでも、人間としても、一緒にいたいのも碧。 ...碧以外の人なんて、絶対に有り得ないから。」


 例え、かつて一緒に名を馳せた相手でもね。


 震える声でそう言い残し、走り去って行ってしまった零音の後を追って、俺は、すぐに体育館を飛び出した。

 さっきまでうっすらとしていたはずの雲は、今や分厚いものとなって空一面を覆い、初夏の夕方の光を遮っている。

 ギャラリー、部室、屋上...。何処を探しても、あの背の高いシルエットが見つかる事は無い。


「零音...っ!」


 俺の口から、彼女の名前が悲痛な叫びとなって零れる。

 ずっと、あの背中を追いかけて来た。

 元相棒とか言っても、結局零音の方が俺よりも上手くて。あの美しいバスケスタイルは、いつだって俺の憧れで。

 ...彼女と同じ学校に来て、改めて痛感した想い。この10数年、ずっと伝えられなかったけど、俺は、俺は...。




 零音が好きだ。





「ッ...!?」


 息を呑んで、俺は今まで走らせていた足を止めた。

 体育館下の、柔剣道場前の廊下。

 いつも人気の無いそこから伸びる淡い影。

 視線を上げれば、僅かな光を背負って寄り添う男女の姿。




 絡められた指。



 小さく聞こえる嗚咽。



 交ざり合う茶と黒の髪。



 ...そして、はらりとした涙に濡れる、磨かれた黒曜石。





 瞬間、俺の脳裏には、あの体育館でのワンシーンが蘇った。





 何で。



 何で、俺じゃなくて...。





 零音は、桐崎さんを選ぶんだよ。

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