老作家との対話

三國 富美郎

夕方の喫茶店にて

「病気だよね、やっぱり。」

古めかしい喫茶店の隅の席で丸メガネの初老の男性が言った。

「大抵の小説家は精神がどこか欠落がある気がするよ。別にそれが悪いって言ってるんじゃない。むしろ精神のどこかがおかしくないと小説家にはなれないんじゃないかな。才能は持病だよ。」


「なるほど、確かにそうかもしれませんね。他の人より感受性が強かったりする方が小説を書く上ではアドバンテージになりますよね。」


「そうそう。」


老作家はそう言ってコーヒーを啜った。彼がカップを机に乗せた後、質問を再開した。


「ところで読書はした方がいいと思いますか?」


「僕は無理にしなくていいと思う。本を読むのはどういう時かというと『何か』が足らない時なんじゃないかな。」


「『何か』が足らない…」


「例えば、知識が足りない、刺激が欲しい…。そんな風に何かポッカリと穴が開いていると思った時に人は本を読むんじゃないのかね。」


なるほど。当たり前だといえば当たり前だが私はこの言葉にハッとさせられた。


「本を読まない、ということは他の何かで満たされているということだと思う。恋人だとか仕事だとか子育てだとかね。私は充足しているときには本を読もうとはしなかったね。尤も、今は仕事柄毎日本を読んでいるけどね。」


「私も同感です。もしかしたら、教科書の内容が頭に入ってこないのは、満たされているからではないでしょうか?」


「うん?それはちょっと面白い意見だね。内容が難しいとか興味がないから頭に入らないのではなく、『満たされているから』頭に入ってこない…。」


老作家は一呼吸置いて口を開いた。


「確かに君の意見は良いところを突いている気がする。知識欲が旺盛な時は内容が難解でもなんとか教科書を読み込んで理解できたものだった。つまりその時は何か知識が足りなくて記憶の格納庫が空いていたのかもしれないね。」


老作家が微笑んだ。

この老作家は決して人の意見を軽くあしらわない。そして自分の意見を絶対的に正しいとも思っていない。それは彼の臆病さとウィットに富んだ性格に起因するものだろう。彼との対話は心地がいい。


ふと喫茶店の時計を見ると午後三時を少し過ぎた頃だった。そろそろインタビューを切り上げなくてはと思い、老作家に感謝の言葉を述べた。


「ははは。こんな老いぼれに取材してくれてありがとう。久しぶりに若い人と話せて良かったよ。」


老作家は穏やかな口調でそう言った。

その横顔には夕日が当たっていてより一層穏やかな雰囲気を醸し出していた。

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老作家との対話 三國 富美郎 @mikuni-fumirou

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