第6話「キノシタイチ」




   6話「キノシタイチ」




 「いやー。忙しだろうに呼び出して悪かったな。」


  ソファに向かい合って座っていたキノシタと白の前に、心花がそれぞれ湯飲みと、マグカップにコーヒーをいれて持ってきてくれた。

 もちろん、置き場所は紙のテーブルの上だ。溢さないようにとの配慮なのか、トレイの上に置いたままだった。

 心花は自分のウサギが描かれているカップを手に持ったまま、白の隣に腰を下ろした。それも、大分近くに。持っているカップからは甘い香りがしていたので、たぶん自分用にココアでも入れたのだろう。


 「大丈夫です。それで、手伝って欲しいこととはなんですか?」


 大体の予想はついたが、白はそう切り出した。

 目の前にいるキノシタを見つめるが、紙のビル達のせいで、胸から下はまったく見えなかったが。



 しずくと一緒に歩いていた時に、白に電話をしたのはキノシタだった。挨拶もそこそこに、「白!忙しいから助けてくれ!」というSOSの連絡だった。

 もうすぐ40歳になる彼だが、見た目も中身も少し子どもっぽいところがある。そういうところがないと、彼の仕事は出来ないのかもしれないと、白は本気で思っていた。

 

 キノシタイチは、有名な絵本作家だ。

 この本業界では知らない人はいないだろうし、幼児教育や保育業界、そして子育て中の親ももちろん知っているだろう。それ以外にも、今では絵本のキャラクターをグッツとして販売しており、それ以外のファンも多いと聞く。

 絵本以外にも、今ではイラストを描いており、最近ではゲームのキャラクターを描いたというのも白は耳にしていた。


 そのため、37歳という若さであっという間に大人気の作家だ。学生のころから、出版していたというので、歴は長い。

 そして彼は、あの日からの憧れの存在でもあり、恩師でもあった。

 しずくや教え子から教えてもらった本が、キノシタイチのものだった。かなりの衝撃を与えられ、彼を追うようにひたすら勉強し、絵を描きまくった。

 そして、大学で臨時教師として働いてると聞き、その大学に入ったのだった。

 

 尊敬するところも多いが、子どもっぽいところ多く、言い争いをする事もあったのだ。

 特に片付けについては、いつもキノシタに「少しは綺麗にしてください!」と言っていたが、それは全く効果がなかった。白が在学中、この研究室の掃除は白の役割となっていたのだ。

 そのためか、この研究室は荒れ果てていたのだった。







 「知っているかもしれないが、今年の大学祭で僕のサイン会とかが行われることになってね。それで、整理券を配布してみたから、予想以上の枚数が出てしまったんだよー。」


 大変とは言いつつ、にやにやと嬉しそうに話すキノシタを白は真顔で見つつ、心の中ではため息をついた。

 突然シノシタから連絡が会ったときは、驚いた。久しぶりの恩師からの電話だ。恐縮してしまい、何かあったのかと内心ヒヤヒヤしていた。

 だが、「助けてくれ!」という言葉が耳に入ってからは、白も冷静になった。この人は、やはり子どもなのだと、再認識したのだ。


 「わかりました。」


 そう白が静かに言うと、餌を見せられた子犬のように、瞳をキラキラさせて喜びをあらわにしていた。だが、その言葉はそれだけではなかった。


 「キノシタ先生が、また計画性もなく無理な仕事をうけて、またいっぱいいっぱいになってるんですね。」

 「う、、、。」

 「ちなみにサイン会の始めの人数の予定は?」

 「100人です。」


 隣に座っていた心花が、わざとらしく大きな声で返事をする。

 目の前に座っているキノシタの目が少しずつ泳ぎはじめている。それを気にせず、白は質問を続けたら。


 「今の人数は?」

 「180人です。」


 またしても、心花が返事をする。それを聞いて、白はじっとキノシタを見つめる。

 だが、紙のビルに隠れるように少しずつ身を縮めていたので、すでに白からは彼の頭しか見えなくなっていた。

 その様子を見て、白は大きくため息をついた。

 そして少し考えた後、目の前の彼に丁寧に伝えるように話し掛けた。そうでもしないと、いじけてしまうのを白はわかっていた。


 「その人数なら大丈夫でしょう。キノシタ先生には前もってサインしてもらって、名前だけ当日書いてもらうようにしましょう。」 

 「なるほどー!さすが白先輩、頭いいー!」

 「あと出版者との打ち合わせの資料とかは、また明日見せてもらいます。それから、もう人数は増やさないでください。時間オーバーする可能性が高くなりますので。」

 「、、、準備しておこう。それと人数も増やさないと約束する。」

 「お願いします。では、今日は帰りますね。」

 「え!?もう、帰るのか!?」「えー!帰っちゃうの~?」


 白の言葉を聞いて、キノシタと心花が悲鳴のような声を同時に上げた。だが、白はお構いなしにソファから立ち上がり、こぼれないうちにコーヒーを飲み干して、向かえに座りビクビクしているキノシタの方を向いた。


 「キノシタ先生は明日までにサインを100冊書いてください。」

 「えぇ!!手伝ってくれないのか?」

 「キノシタ先生のサイン会なんですから、僕は手伝えません。それに、あんな難しいのは無理です。」


 そうキッパリと切り捨てた言葉を返すと「そんなー!」と、泣きそうな顔をする30代後半の男を見ると、白はまたため息をつきそうになる。

 キノシタのサインはとても凝っており、名前の他にも可愛い動物のような生き物も描かれているのだ。そのため、100冊でも大分時間がかかるだろうと、白は予想していた。


 「心花。大学祭のパンフレットはあるか?」

 「ありますよー!何部ですか?」


 白と一緒に帰ろうとしていたのか、荷物をまとめていた心花はその手を止めて、部屋の端に置いてあった段ボールからパルフレットを2部取り出して、白に渡す。「ありがとう。」と笑顔で白に言われると、心花は頬を少し赤くしながら嬉しそうに笑った。


 「あぁ、それとあのテーブルの上のプリントと本も明日までに片付けておいてください。」

 「え!?」

 「サイン100冊とテーブルの片付け。明日僕が夕方来るまでに終わってなかったら、お手伝いはキャンセルします。」

 「えぇー!!せんぱーーーい、、、!」


 半泣きにならながら抗議しようとする心花に軽く手を振り、片付けから逃げようとサインを再開するべくペンを持つキノシタ先生に「失礼しました。」と挨拶をしてから、白は研究室を出た。



 手には、ポップなデザインで彩笑祭と書かれた表紙のパンフレットが2つ。

 白は、それを歩きながら眺めつつ、大学祭の準備で賑やかな場所から逃げるように裏門へと足を早めた。


 「しずくさん、喜んでくれるかな。」


 明日の仕事帰りにこのパンフレットを渡そうと決めてしまうと、それが今からとても楽しみになる。

 きっと、彼女は可愛い笑顔でとびきり喜んでくれるのだろう。

 それを想像するだけで、白は口元がニヤついてしまう。


 厄介な仕事ではあるが、恩師と後輩の頼みとあれば断ることはできない。けれど、仕事になるとどうも厳しくなってしまうのには、白自身も気づいていたが、それも仕方がないことだろうと思っていた。


 自分も好きなキノシタイチのファンに喜んでもらうために、頑張ろうと決めたのだ。

 そして、その後の大好きな人のデートを満喫するためにも。


 白は、しずくに連絡をするためスマホを開いた。

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