第8話:悪

「……はい、これが残高証明書ね」


 花ヶ岡高校三年生、鶉野摘祢は会計部員の発行した残高証明書――その者が確かにある個数の花石を所有している事を証明するもの――に目を通し、微笑む事も無く「ありがとう」と事務室を出て行こうとした。


「あっ、ちょっと待って……くれるかな」


 証明書発行の担当者、沖永美津江の呼び掛けに……摘祢は足を止めた。


「何か、問題でも」


「ううん、いやいや、そういう事じゃなくて……そのぉ」


 ゆっくりと摘祢が振り返る。彼女の双眼と見つめ合い、沖永はそれを嫌い、そっぽを向いて続けた。


 襲撃の機会を探る毒蛇――そう思えた。


……」


「私の花石がどうかしたの」


 襟首を掴んでくるような……威圧的な摘祢の声色に負けじと、明るい声で沖永は「凄いよね」と賞賛した。


「鶉野さん、去年から凄い貯めているから……あれだよね? 強くなった……のよね。それが知りたくて……アハハ」


「何が知りたいの」


 半歩、カウンターに歩み寄った摘祢。その向こうに立つ沖永も、磁石が反発するように半歩後退し、チラリと後方を見やった。何人かの後輩が後片付けに追われていた。


「あーっと、皆? 後は私がやっておくから、今日は帰って良いわよ。《仙花祭》から一週間だし……疲れているでしょ?」


 でも……と、沖永を敬愛する後輩達は、彼女に先んじて帰宅する事を躊躇っている。「良いから良いから」と無理矢理に帰宅を促し、数分後には――。


 黙したまま見つめて来る摘祢と、二人きりとなった。何人かは摘祢と沖永を交互に見やり、不安げに顎を引いて去る者もいた。


「何が知りたいの」


 同じ質問であった。待たされた事、何かを疑われている事に特別怒る様子も無く、摘祢は先程と全く同じ声調で繰り返すだけだった。


「その、ね……花石について、なんだけど」


 いけ、その次の言葉を! 頑張れ私! 言ってしまえ、言ってしまえ!


 沖永は生唾を静かに飲み込み、「続き」を口にした。


「何の――」


「貯めている理由? それとも……」




 私の忌手イカサマを疑っているの?




 呼吸が止まるようだった。むしろ――摘祢にようだった。


 の訊きたい事だけでは無く、その「裏」までも見透かされた沖永は、指二本分に口を開き、瞬きの回数を劇的に増やした。


 一方の……摘祢は微動だにしない。唯、ひたすらに沖永を見据え、携えた証明書を握り締める事も、「疑うなんて酷い!」と怒りに震える事も無かった。


 静止。それだけであった。


 何か喋らなくては――ゴクリとし、ようやく発声に必要なコンディションを取り戻した沖永は、努めて冷静に……糾弾した。


「…………ごめんなさい。正直なところ、一年前の貴女と比べて……余りに。鶉野さん程に花石を持っている人は……その……」


「納得出来るを持っていた、と?」


 沖永は頷き、「失礼よね」と呟いた。


「私だって、貴女がをしているだなんて……考えたくないわ。けどね……えっと……」


 さて、この後をどのように柔らかく、棘を隠して伝えようか? 悩み、言い淀む沖永はしかし――。


 ハッキリ言うべきだよ。私の調査結果通りに……。


 彼女の友人、向山の言葉が俄に思い出された。息を吸い、「鶉野さん」と声を低めて言った。


「……さんの事、関係しているんじゃないの」


 向山が持って来た「結果報告」の文面が、眼前の摘祢に重なり……ボンヤリと浮かぶようだった。




 垂野怜未。


 一年前にカンニングの嫌疑を賭けた《札問い》で敗北後、本校を退学。鶉野摘祢とは友人関係にあった。


《札問い》事件から数週間後、鶉野摘祢は出入りの少なかった《金花会》へ頻繁に通うようになる。会計部保管記録『金花会参加者記録』を参照の事。


 鶉野摘祢は事件前と比べ、勝率を七割以上に上げる。購買部の『生徒別花石使用履歴』によると、事件直後より一年間、三度のみとなっている。


 鶉野摘祢は《金花会》にて時折開催される、所謂「大尽博打」の日には、一〇〇から五〇〇程の大張をする事が、報告者及び会員への聞き取りから判明。


 鶉野摘祢は、時折を行う。


 忌手イカサマの看破に長けた目付役が当番の日、この日に限っては花石の大きな動きは確認されず、むしろ減らす事があった。会計部保管記録『目付役当番表』を参照の事。


 恣意的貯蓄減少により、鶉野摘祢の違反行為発見が大幅に遅延したのは明白である。


 報告者は以上の調査結果から、鶉野摘祢を忌手イカサマ常習者と推定。《金花会》一同に厳重な警戒を要請するものとする。


 生徒会監査部特別行動員


 向山むかやま 仁礼にれ 




「……お願い、本当の事を言って。垂野さんの事と、花石の個数……どうしても無関係に思えないのよ。……鶉野さん、一体――何をしようとしているの?」


 摘祢は表情を変えず、「物陰に一人」と言った。


。五分前から」


 思わず沖永はカウンターに手を突き、身を乗り出して「物陰」の方を見やった。何かが動いた。


「……に、仁礼!? 貴女、ずっとそこにいたの!?」


「いやぁー……バレていたかぁ」


 照れたように頭を掻く向山は、「花石下ろそうと思ってね」と言い訳したが……。


「出納なら一五分前に終了している。ずっと――私を尾行していたんでしょう」


 微笑む向山に視線を合わせ、摘祢は「そうだったのね」と続けた。


「そう……やはりそうだったのね。《金花会》で怪しい私を監視していた、という訳ね」


「んまぁ、そうなるよねぇ。知らないと思うけど、私ら監査部は『ノンビリ監査部』とか呼ばれているけどさぁ。結構――」


 働いているんだよ? 違反者さん……。


 向山は笑みを絶やさずに摘祢へ歩み寄り、互いの距離が一メートルを切った途端――。


「やり過ぎだよ、アンタ」


 酷く冷たい表情へと激変させた。


「凄いよね、本当。忌手イカサマなら何でもござれって感じだもんね。ねぇ、どんな気持ち? 穢い手口で勝ち続けるのって、どんな気持ち?」


 摘祢より少しだけ背丈の小さな向山は、だが臆する事無く「違反者」を睨め付けている。


 寸刻置かず――摘祢が口を開いた。


「向山さん、よね。私、もっと貴女と早くに出会いたかったわ。面倒だから白状するけど、その通り。私は忌手イカサマで大量の花石を稼いだ。何なら、この場でお望みの技をご覧に入れましょうか?」


「おやおや、これは意外にも楽ちんだったね。流石は極悪人、肝が据わっている。他に弁解とかあるなら聴いてあげるよ?」


 後ろの沖永を見やった摘祢は、「二人に訊いても良いかしら」と柔らかな声で問うた。


忌手イカサマを使い、打ち場で花石を稼ぐ女。それはいけない事なの?」


 当然よ――沖永が慌てて答えた。


「皆、……そんなのを認めたら、《金花会》は無法地帯になってしまうじゃない!」


「向山さん以外、?」


 向山が頷いた。


「当然だよ。バレなきゃ良いって考えるのは悪人さ」


「という事は、、と?」


「そりゃあ、ねぇ」


 良い事を聴いたわ……摘祢は歩き出し、事務室の扉を静かに閉めた。


「ちょ、ちょっと何をするのよ――」


「賀留多、拡大すると《金花会》、そして……《札問い》は全て、信用で成り立っていると二人は言いたいのね」


 摘祢は鞄を床に置いて、小さく溜息を吐いた。


「きっと、神様か何かは分からないけど、『今が好機だ』と教えてくれたのね」


「……おかしくなったのかな?」


「そうね、おかしくなったのかもね。知りたい? 私がこんな風になった理由を。沢山の花石を集めている理由を? 知ったが最後、私達は『仲間』になるわ」


 沖永、向山は同時に眉をひそめた。


「仲間にはなれないよ、アンタとは……。違反者を捜し出して、清浄な校内を作るのが目的だしね」


「だったら、私と貴女は利害が一致するわね」


 困惑する二人を交互に見つめ、摘祢は清らかな声で言った。


を知っている?」


「……小百合がどうかしたの?」


 沖永が不安げな声色で問うた。


 教えてあげる、私のご友人達……。摘祢の目が細まった。


「私が極悪人なら、あの女は……もうじゃない――」


 そのものよ。

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