第5話:横道無きものを

「凄い人だね、野次馬ばっかりじゃん」


「いやいや、私達もその一部でしょうが」


 アハハハ……二の腕を叩き合って笑う観客達を横目に、摘祢は薄く開いた目の奥に、得体の知れぬ「不安」の輝きを宿していた。


「へぇ、あの先輩が《鬼百合》って言うのねぇ? 鬼って言うぐらいだから、もっと凄い顔をしているのかと思ったわぁ」


「そ……そんな事言ったら怒られますよぉ……私達、もっと後ろで見た方が良いじゃないんですか……?」


 一年生も来ているのか――摘祢は上履きの色が自分達と違う二人組を認めた。一人は堂々と、もう一人はおっかなびっくりといった様子であった。


「ちょっと一年生、後ろに下がってよ。良い場所は年上に譲るもんでしょう」


 意地悪い声の二年生が後輩(堂々とした方)の肩を掴んだ。掴まれた少女は微笑みながら振り返り、「あらぁ」と目礼した。


「ごめんなさいねぇ。さぁ、私達は後ろに下がりましょうか、がピーピーうるさいから」


 もう一人は途端に青ざめた顔で二年生に謝罪したが……。


「いや、もう聞いちゃったんだけど。馬鹿にしてんの?」


 別にしていませんよぉ? おっとりとした一年生は、猫を被ったような声で返した。


「唯……未来ある後輩に質の高い闘技を見せよう――そういう気概は無いのかってお伺いしたいですねぇ。というか……文句あるんだったら表で聞きますけど? それともぉ……」


 のか、テメェ――豹変した「おっとり一年生」は、いきなり肩を掴んで来た生徒の襟元を締め上げ、そのまま廊下の外へ歩いて行った。「苦しい苦しい!」という悲鳴を押さえ付けるように、一年生は「苦しいようにしてんだよ、年増」とドスの効いた声で返した。


「ちょ、ちょっと待って下さいよぉ! 可哀想だから離してあげてぇ!」


 パタパタと凶行に及んだ友人を追って行く少女は、出入り口の辺りで振り返り、一同に「大変失礼致しました!」と震えた声で謝罪し……消えた。


 しかしながら――そのような事態は全く些末なものである。これから始まる《札問い》に、観客達は「開始はいつだろう」と各々がスマートフォンで時刻を確認した。


「来た、もう一人!」


 集団の外側にいた生徒が叫んだ。観客の視線は一気に出入り口へと向かう。そこには怜未を苦しめる張本人と――彼女に連れられて来た《代打ち》が、少し怯えた表情で立っていた。


 あの女も連れて来たんだ、《代打ち》――。


 だが……摘祢は妙な安心感を抱いた。敵の代打ちが頼り無さそうに歩く様子、座布団の前で立ち眩んだ様子のせいもあったが、何より「目代小百合」という凄腕の生徒が、不幸な親友の味方である事が大きかった。


「それでは、双方準備が整い次第、《札問い》を開始致します」


 目付役の生徒が語り掛ける。目代は寸刻置かず「いつでも」と答え、敵側の代打ち(観客の話から、彼女は齋見さいみという名である事を摘祢は知った)もぎこちなく頷いた。


「……では、これより札撒きを行います。観客の方は打ち場より三メートル以上離れて下さい――」




 勝負――目代の透き通った声が、皐月を迎えた打ち場に響き渡る。続いて観客の響めき、小さな拍手が聞こえた。


「皐月戦、終了で御座います。目代さん、《三光》により六文獲得です。差は一八文、目代さんの優勢です」


 真っ当な打ち方……摘祢は目代の背後で闘技を見守りつつ、時折怜未の方を見やった(当事者は指定された席に座るのが決まりであった)。


 早三光にこい無し。技法こいこいにて、早々に《三光》が出来上がったら、すぐにせよ――古の闘技者達から伝わる経験則に、目代小百合は一歩もズレる事の無い打ち筋であった。


 少しも惑う事は無く、徹底的に芯を揺らさず……面白味には一切興味を持たず、ひたすら勝利へ歩いて行く《鹿爪札》、これが目代の必勝法であった。だが、これだけでは彼女を彼女たらしめる事は出来ない。




 騙し討ち――目代が最も得意とする戦術である。




 水無月戦での「急襲」は、まさに《鬼》の如き非情なるものであった。


 この局では珍しく目代の流れが悪く、齋見に起き札をばかりの苦戦が目立った。三手目で目代は数秒間、目を閉じ……。


 惜しげも無く、《菊に盃》を捨ててしまった。


 場に《桜に幕》《芒に月》の二枚が露出しているにも関わらずの暴挙に、観客は首を捻って「間違ったのかな」と囁き合った。


 こうなると齋見は「降って湧いた幸運」に縋り付きたい。躍起になって手札から《菊のカス》を打つ。起きた札は《梅に鶯》、齋見はこれをどうでも良いものと無視した。


 目代は間髪入れずに《梅のカス》を鶯の札に合わせ、《菖蒲に八橋》を起こす。齋見は手番が回ると同時に《桜に短冊》を光札へ打ち込み、「こいこい!」と声高に叫ぶ。


 沸き立つ観客の声に聞き惚れる齋見を他所に……目代はゆっくりと自身の取り札を数えていく。


 一方の齋見はというと、「続行宣言」を境にピタリと動きが止み、表情に焦りが見え始めた。


 闘争とは、精神温度が低ければ低い程……有利なものである。焦燥感は「冷や汗」を掻かせるが、その実、精神温度はこれによっての一途を辿る。


 勝たなくては、勝たなくては!


 俗に言う「カッカとしたら負け」は、しかし闘争の法則に従って生み出された金言であろう。


 この時、齋見の思考は既に「如何にして七文以上に持って行くか」で染まっていた。「こいこいに失敗した場合」を考える事はせず、否――しようとしなかった。


 夢見がちなポジティブ思考は、宝箱の中から飛び出す毒蛇と同義である。


「勝負」


 七手目――目代は《タネ》、それもで水無月戦を閉めた。俄に齋見の双眼は見開き、「こんな安手に」と吐き気すら覚えた。


 第六局目、齋見は……目代の手の平で踊っていたに過ぎない。


 突然やって来た「幸運」は、齋見に高得点の幻想を見せるだけ見せ、実体を残す事無く消えてしまった。


 この局で目代が得た文数は、「こいこい返し」が作用しても二文と微々たるものであったが……。


 齋見に与えた「心傷」は大変に大きい。




 駄目だ、私は勝てっこ無いんだ……どうせ次局も、その次も……。あぁ、負けるんだ、結局。何だかやる気も無くなった、もうどうでも良い――。




 相手の闘争心を挫き、自虐や卑下によって「自殺」させる――敵の精神を目掛けて闇討ちを仕掛ける戦術を、見抜いていた者がいるのかもしれない。


 または、相手の心を挫き、圧倒的勝利を収めた瞬間、目代が「笑った」のを目撃した者がいるのかもしれない。


 誰が呼んだか《鬼百合》……定められた花言葉は「愉快」「華麗」、そして「嫌悪」である。


 鬼のように強い、鬼のような戦い方――生徒達は目代の闘技を表現する際、殆どが「鬼」という言葉を使う。


 これには一つ、がある。


 鬼という生物は、残虐非道の限りを尽くす人類の敵として描かれる事が多いが、しかしながら……。




 鬼に横道無きものを――日本最強の鬼神、酒呑童子の怨言である。




 彼らは悪辣無比な妖怪である、だが、決して騙し討ちをしない。真正面から襲い掛かり、敵を捻じ伏せるのを美徳とした。


 現代において……その姿を消してしまった鬼達は口を揃えて言うであろう。




 嗚呼、何と情け無しや。斯様な横道イカサマを愛する娘、「我等」を名乗る価値など無し――。




 時は流れ、場は移ろい。目代と齋見は第一一局へと突入した。


「霜月戦、開始して下さい」

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