第4話:絶望は何故か眩しく
紙コップでごめんね――目代は申し訳無さそうにココアを注ぎ、ブヨブヨと持ちにくい紙コップを怜未に手渡した。
「来客用のマグカップも買わないと……そう思ってはいるんだけど、ついつい忘れちゃうんだよね。あっ、そこに座って良いからね」
恥ずかしそうに笑う目代の「笑顔」が妙に眩しく思い、怜未は視線を逸らしてココアを一口飲んだ。適度な甘さとほろ苦さが、優しく頭を撫でてくれるようだった。
「……美味しいです」
「温まるでしょ? まぁ初夏なんだけどさ」
二人はしばらくの間、黙してココアを飲み続けた。先程まで落涙していた怜未も落ち着きを取り戻し、室内を見渡すぐらいの余裕が生まれた。文化系の部活動が使用していたらしい備品が大量にあるものの、埃を被る事も無くキチンと整頓されていた。
「さて、と」
目代はそれまで座っていた窓際の椅子から立ち上がり、怜未と長机を挟んだところにパイプ椅子を組み立て、「よいしょ」と座り込んだ。
「話せるところまでで良いからね。一体何があったのか……私に聴かせて?」
怜未の訴えは一五分に及んだ。思いを他人に伝えるのが不得意な怜未の話を、しかし目代は首を傾げる事も無く、真剣に、時には苦々しい表情を浮かべてメモを取った。
「……大体、こんな感じです。復讐とか、そういうのは考えていないんです。唯、私が無実だって事を……《札問い》で証明したいんです」
ペンを置き、目代はメモに書かれた丸っこい文字を見つめていた。怜未が所在無く咳払いをした時、「事情は分かったよ」と目代が頷いた。
「大抵の人は……《札問い》の場を他人に見られたくないから、人気の無い場所を選ぶんだけど……この件に限っては、人前で打った方が良いかもね」
どうしてですか、と怜未が問い掛ける前に目代は続けた。
「その人の性格を考えるに……人の目が無い場所で勝利したとしても、『だからどうした』と開き直るかもしれない。《札問い》の文化を蔑ろにするような人もいるしね……。だから、沢山の人の前で『貴女の負けだ』『貴女の行いは正しくない』と見せ付けるの。それが好手だと思うな」
「で、でも……」
怜未は上目遣いで問うた。
「目代さんがとても強い打ち手だって事は知っています。でも、もし……もし負けちゃったら……ごめんなさい、私怖くて……」
「ううん、謝る必要なんか無いよ。一つ良い展開を考えたら、二つ三つは悪い展開が思い浮かぶ……私だって同じ。でもね? 《札問い》って言葉は、文字通り『札に問い掛ける』って事。札は……賀留多は、きっと垂野さんを見捨てたりしない」
ギシリとパイプ椅子が軋んだ。目代が立ち上がった為だ。そのまま彼女は長机を回り、座ったままの怜未の前で屈んだ。
「明後日、全てに決着を着けてあげる」
「あ、明後日ですか? そんなに早くて大丈夫ですか?」
「一刻も早く終わらせたいでしょ? 垂野さんにして貰う事は、その人に『七月一三日、札問いを受けて欲しい』と言うだけ。言えなければ、私から――」
怜未はかぶりを振った。怯えと――それを打ち消そうとする決意が、彼女の双眼から滲み出ていた。
「分かりました。後は――よろしくお願い致します」
翌日の朝。
怜未は摘祢と別れて教室に入ると、片隅に転がっている彼女の机も直さず、薄ら笑いを浮かべる生徒の元へ向かった。
「何なの? カンニングされたくないから動かしたんだけど」
クスクスと取り巻きの生徒が嗤った。しかし怜未は真っ直ぐに――標的を見つめている。
「もう終わりにしたい」
「はぁ?」
勝手に終わってろよ、と茶化されるのも構わず……怜未は「明日」と低い声で続けた。
「明日……《札問い》で決めたい。私が悪いのか、貴女が間違っているのか」
怜未は鞄から一枚の紙を取り出し、それを眼前に突き出した。
「……それって」
それまで余裕を見せていた敵の顔が、ゆっくりと……曇っていった。
花ヶ岡高校にて行われる《札問い》は、大抵が口頭によって実施が決められ、揉め事の落着を決定する。故に開き直る者やある程度の「緩み」が生じ、殆ど《札問い》の意味が無くなってしまう場合もあるが……。
怜未が取り出した書類――《問い証文》が出現した時に限っては、勝者の提示する要求の「絶対遵守」を確約出来た。
問い証文は当事者の署名がなされた後、生徒会会計部へと運ばれて幾つもの承認印が押される。この行為には「関係者の強制的増加」に加え、「遵守しない場合、一切の賀留多文化への関与を認めない」という仕方無しの恐喝も含まれている。
賀留多文化からの追放。花ヶ岡高生にとって、それは大変に厳しく――重過ぎる「罰」である。
《金花会》への出入り禁止、花石の没収及び支給停止、購買部での賀留多購入禁止、校内での賀留多接触禁止、賀留多に関する催事への参加禁止……。
言うなれば――違反者は賀留多と絶縁を余儀無くされ、残りの高校生活を無味乾燥に暮らすのである。
華やかな賀留多文化の陰で揺らめく黒炎の脅威を……かつての花ヶ岡高生は次のような狂歌で、後輩達に注意を促した。
背に伝う 汗は
天狗泣かせの 証文怖し
更に翌日――七月一三日の放課後。
大勢の観客でごった返す会場へ、一人の生徒が「海を割るように」現れた。
生徒の名は目代小百合――《問い証文》を提案した張本人である。
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