第2話:異常個数

「沖ちゃーん、まだ花石下ろせるでしょ?」


 会計部の扉をノックせずに開き、向山はニコニコと明るい表情で「沖ちゃーん」と呼んだ。迷惑そうに眉をひそめ、事務机から立ち上がった三年生――沖永美津江は、他に立ち上がろうとした下級生を手で制した。


「今日の業務はもう終了、後は掃除してさようなら、って訳よ」


 分かったら帰りなさい――シッシッと羽虫を払う手付きで、沖永は不満げに口を尖らせる向山に言い放つ。


「えーっ? 頼むよぉ、どうしても買わなきゃならないものがあってさぁ」


「雑誌なら来週買いなさい、弱い癖に、何度も鹿するからよ」


「頼むってぇ! ほんの五〇個、ね、五〇個だけだから!」


 深い溜息を吐いた沖永は、自身の巾着袋から花石を五〇個取り出し、封筒に注ぎ入れた。


「私が貸すわ。もうを触りたくないのよ」


「おぉ! 流石は沖ちゃん、話が分かる女はモテるぞ!」


 月曜日に絶対返すからね――向山はヘラヘラと笑いながら会計部を後にした。少し歩いたところで「ちょっと」と後ろから声を掛けて来る者がいた。沖永である。


「どしたん? もう取り立て? 勘弁してよぉ」


「違うわよ……ほら、この前の体育で話したでしょう、その事」


 向山は笑みを湛えつつ、「話したねぇ」と頷く。


「……今日も八〇〇個の貯蓄よ? 幾ら強いとはいえ、そんな数は有り得ないわよ……」


「でも、確かに稼いではいたからなぁ。ここ一番の腕を持っているんだよ、いや――かな」


 廊下を見渡し、人がいない事を確かめたらしい沖永は低い声で続けた。


「……あの人、花石の貯蓄がに到達しそうなの。下ろすのは金曜日、大体一〇〇個……そして《金花会》が終わったら、大抵何倍かになって返ってくる」


 あらら、と向山は囃し立てるように言った。


「生徒の保有する花石の個数を、別の誰かに伝えるのは違反じゃないのかなぁ、出納係長さん?」


「罰則の規定は無い、それに今は緊急時だから良いのよ……とにかく、《仙花祭》が近付いているの。小さな疑惑も解消するに越した事は無いでしょう」


 向山は「なーるほどね」と沖永の目を見据えた。


「大変ですなぁ、会計部さんも」


「大変なのは貴女の方でしょ」


「本当だよぉ、肩が凝っちゃう。胸でも大きくなったかな?」


 高笑いする向山。それから彼女はクルリと振り返り、「任せておきたまえ」と前方を向いたまま――背後に立つ沖永へ言った。


「偶然や実力でここまで稼ぐのは二通り。超の付く天才か、あるいは……ごくの付く――」


 悪人か。


 藪を突くと何が出るのかなぁ……向山は楽しげに歌いながら、閉店間際の購買部へ歩いて行った。


「あっ、発売日……明日だったっけ」




 二一時過ぎの事である。


 幼い弟達の世話を終え、私室で机に向かう摘祢は……一山の《八八花》を見下ろしていた。、購買部で売っている唯の札である。


 徐に手に取り、一番下の札――舐め札――を確認する。《松に短冊》だった。摘祢は手を揉み解し、フゥと息を吐いて神経を鎮めた。


 一番上の札を起こすように、右手を山にゆっくりと伸ばす。この時、親指は左、他四本は右に配置し、少しだけ舐め札以外の札をずらす。


 裏向きではみ出した舐め札の端を、親指の爪で押し込むと……一瞬だけ札が立ち上がる。親指の腹は舐め札を、四本の指は山札を器用に動かし――。


 起き札はあっと言う間に、《松に短冊》へと書き換えられたのだ。


 ――故にこの技は「床上げ」と呼ばれた。爪の適当な長さ、タイミング、胆力、鍛錬を元にこの忌手イカサマは成功する。


 彼女は今、賀留多闘技において最も不要な「技」を練習している。


 しかしながら……少なくとも摘祢にとって「技」は、を遂行する為には必要不可欠であった。


 花ヶ岡にて一番の闘技者になる事。花ヶ岡にて一番の花石長者になる事――。


 どちらも全く違っていた。


 華々しい功績、自由奔放な買い物は、摘祢にとって羨望するに値しない。


 彼女の目的は唯一つ。




 ある女を《札問い》にて打ち負かし、彼女が隠し通して来た「秘密」を全校生徒に暴露してやる事だった。




 勝利の為なら、摘祢はいつ何時でも「技」を使用する覚悟は出来ていた。否、覚悟は不要である。


 標的を敗北させるなら、でも、摘祢は喜んで使うつもりだった。


 何故彼女は「邪道」に堕ちたのか?


 理由は一年前、まだ摘祢が笑顔を見せていた頃にまで遡る――。

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