毒鶉の笑う日まで
文子夕夏
第1話:化ける鳥
「……何」
「嬉しくないの? 折角四倍付けなのにさぁ」
しかし摘祢は何も答えず、黙して目付役の方を見やる。
「は、はい……鶉野さん、四倍付けで花石四〇〇個、お納め下さい」
花石、とは彼女達の通う花ヶ岡高校でのみ使用出来る、いわば「校内通貨」であった。
大した感動も無く行き交う四〇〇個を、名物の巨大購買部の商品で換算すると……例えば「局御膳」と渾名された豪華な弁当、そこにデザートを三品、合わせてジュースを連続一〇日間、何も気にせず食べ続けられた。
「いやぁ、でも強いねぇ鶉野さんって。ここぞって時に……ピシャリと勝つもんねぇ。私、前から凄いなぁって思っていたのさぁ」
摘祢に無視されたのも気にせず、向山はカラカラと笑って自身の賭けた花石を七〇個、目付役に手渡した。その場にいた生徒達も五〇個、時には一〇〇個と気軽に花石を捨てていく。
花ヶ岡高校の金曜日、それは殆どの生徒が色めき立つ「打ち場」が立つ日だ。この打ち場を《金花会》という。
《金花会》では大抵の生徒が、少ない花石を持ち寄って気軽に博才の多寡を楽しんだ。だが……時には「大銭持ち」が集い、一般の生徒なら目を眩ませて倒れそうな額を、タンポポの綿毛でも吹くように……ごく気軽にやり取りする日もある。
この「大尽博打」に好んで参加する生徒は三通りのパターンがある。
一、貯め込んだ花石の使い道に困った者。
二、自身の腕を試したい命知らずの者。
三、一発逆転を狙う一寸先を知らぬ者。
摘祢は……しかし三パターンのどれにも当て嵌まらない。
今年で三年生となる彼女は、全く「外道」な理由で上記に類する者達を食い荒らしていた。
皆、一様に「容易い」から。それだけである。
「それでは《猪鹿蝶》……六局目となりますが、張られる方はいらっしゃいますか」
目付役の生徒が《八八花》を切り混ぜ、大体四等分にして参加者の前に裏向きで置いた。如何に大尽ばかりといっても、六局目に突入する頃には疲弊が目立った。立ち上がる者、「
「鶉野さん、次はやるの?」
空になった巾着袋をポケットにしまい込む向山は、反対のポケットから膨れ上がった別の袋を取り出した。
「私はもうちょい遊びたいなぁ。付き合わない?」
やはり何も答えない摘祢は、打ち場を広く見渡した。続いて四つの山をジッと見つめる。
「どしたん? 誰か捜してんの?」
頷きもかぶりも振らず、摘祢は増えた四〇〇個の花石をそのまま――最右の山に賭けた。向山はニッコリと白い歯を見せ、「そうこなくっちゃ」と最左の山に一〇〇個賭けた。
狂気的な大張りも、しかし大尽達は「やれやれー」と囃し立てた。細波程度の場で打っていた生徒が数人、目を見開いて場を見つめていた。
第六局目は摘祢と向山、他二名の計四名で進行となる。各山に一人が張る状況を、観客は好奇の目で見守っている。
「それでは……向山さんから開示を願います」
「いよぉーし、皆見てろよぉ!」
場を盛り上げる向山。自身の山を掴み、一気に引っ繰り返して場へ叩き付けた。ワッ、と観客達は響めき立った。
「あちゃー! カス札は駄目だってぇ!」
《猪鹿蝶》では四つの山の舐め札(一番下の札の事)によって配当を決定する。光札なら四倍、種札なら二倍、短冊なら等倍返しとなる。しかしカス札が出てしまうと張り手の負け、更に《猪鹿蝶》どれかが出ると、張り手全員の敗北が決定する。
分かりやすく単純な闘技であった。故に面白味を求めて生徒達は花石を大量に賭ける――摘祢は「花石の集まりやすさ」「打ち手の気楽さ」を好んでいた。
向山は「花石無くなっちゃうよぉ!」と大袈裟に嘆き、周囲の笑いを誘った。続く山の持ち主も笑いつつ、短冊札やカス札の出現に一喜一憂した。
しかし……摘祢の手番が来ると、観客達の騒ぎは止んだ。
次も勝てるのか? それとも驕りによって失うのか?
どちらに転んだとしても、観客は無駄に騒ぐだけだ。熱狂する理由を探していた。例え「他人の不幸」であっても、それで良かった。
静まり返った《金花会》。摘祢は意に介さず、右手首を二度三度擦ってから、自身の山を掴む。
目付役、向山、張り手、観客の呼吸が止まった。二秒、三秒……時間が経つに連れて、摘祢以外の人間は息の詰まる思いだった。
刹那――山を高く持ち上げ、思い切りに場へ表向きに叩き付ける摘祢。
「……っ、流石は鶉野さん! 持っているねぇ!」
向山の賞賛に数瞬遅れて、観客達は騒ぎ始めた。
「《梅に鶯》――二倍返しです」
摘祢は差し出された八〇〇個の花石を無表情で見下ろし、近くの「出納係」という腕章を着けた生徒を呼んだ。
「そのまま貯めておいて」
生徒は慣れた手付きで専用の籠に花石を入れ、長方形の紙に摘祢の名前と日付、花石の総数を書き込んだ。
「確かに八〇〇個、お預かりしました」
賞賛、畏怖……様々な視線が立ち去る彼女へ集中した。
「鶉野さん、また打とうね!」
向山の明るい声に、しかし摘祢は振り返らず……足早に《金花会》を去った。
「ただいま」
両手に掴んだ買い物袋を置いて、摘祢は溜息と共にローファーを脱いだ。
「お帰りなさいお姉ちゃん!」
「お腹減った!」
「お姉ちゃん、録画していたアニメ見たい!」
バタバタと駆け寄って来たのは三人の弟達だった。一番下の弟を抱き上げ、残った二人に台所まで袋を持っていくよう指示を出す。
「お姉ちゃん、今日はカレー? カレーなの?」
「肉じゃが」
「何で、何で? 同じ人参とかジャガイモあるよ?」
「材料は一緒なのよ。お父さん達はまだ帰って来ていないの?」
「今日も遅いってね、電話あってね。お姉ちゃんに作って貰えって」
なるほどね――摘祢は袋から三つの菓子を取り出し、それぞれ弟達に配分する。料理を拵えるまでの子守代わりだった。
「お姉ちゃん、録画のアニメ見たい」
「見たら良いでしょ」
「お姉ちゃんと見るから今は見ない」
「じゃあ三人でお風呂入っちゃって。沸かし方は教えた通りだから」
キャアキャアと騒ぎながら弟達は風呂場に走って行った。
エプロンを着け、散らかった玩具を箱に入れていく摘祢。
その時……右袖口からポロリと、一枚の札が落ちた。《梅に鶯》の絵柄が描かれている。
「しまっておかないと……」
立ち上がり、摘祢は私室に向かって机の前に立つ。札をしまい込む前に、素早く手首を動かすと――。
札の中心から右側……貼られた「薄紙」がパタンと起き上がり、左側に倒れ込む。すると一瞬にして――絵柄は《桐に鳳凰》となった。
「お姉ちゃーん! 水しか出なーい!」
今行くから、と大声で返事をする摘祢。本棚に置かれたオルゴールの蓋を開くと、物憂げな曲が流れ出す。中には小物を入れるスペースがあり、引き出しの鍵が入っていた。
鍵を取り、机の引き出しを開けると……。
大量の「
摘祢は空いた区画に鶯と鳳凰の顔を持つ札を入れ、再び施錠する。オルゴールは鍵を収納し、閉じて切なげな音を切らす。
壁に貼られた写真を一瞥した摘祢は、風呂の入れ方を再度教えてやるべく弟達の元へと向かった。
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