第12話

『…………本当に、成一なのかい?』



 その言葉が電話越しに聞こえてくるのに、しばらく間があった。そしてその声も、どこかぎこちなさが窺える。……無理をしているのだろうか。

 オレは少しでも負担にならないよう、努めていつも通りの口調を意識した。


「……そう、そうだよ。サブさんとイチさんの実験に付き合ってこんな声になっちゃってるけど。ごめんジローさん、驚かせてしまったみたいで。さっきすごい物音がしたけど、大丈夫?」

『あ、あぁ……。机の上に置いてた本が落ちた……だけだから』

「そっか……」


 結構無理してるんだろうな……。


 どこか歯切れの悪い神二郎の様子に、オレは申し訳なさを抱いた。一体彼が何の目的で電話をかけてきたのか気になるところだが、それを問うのは祐樹とか半助に任せた方が良いのかもしれない。

 これ以上、今のオレの声を聞かせない方がいい。そう思ってふと耳元からスマホを離そうとしたところで。再び声が届き始めた。


『こっちこそごめんよ。……情けないことに、まだ克服できてなくて。気を遣わせてる』


「いや、そんなことないって! ジローさんが悪いわけないじゃん。そんなトラウマなんて一朝一夕に克服できるものじゃ――」

 オレは慌ててそう口にした。

 神二郎は明らかに被害者だ。悪いのは彼の優しさに付け込んで手痛い裏切りをしたとある女であって、彼が悪者であるはずがない。


 そう思ってオレは必死に口を開いたのだが。



『……ふ――』



 と、そこで不意に電話越しに小さく息を吐く音が聞こえた。それは思わず出たといった様子のもので、直後軽く笑い声が漏れた。

『はは……。そのフォローの仕方。本当に成一なんだね』

「さ、さっきからそう言ってるじゃん……」

 突然神二郎が笑い出したことに、オレは眉をひそめる。


 祐樹の説明で理解していたと思ったのだが、何だかんだまだ疑われていたらしい。まあ、当然といえば当然かとも思う。そりゃバリバリの男子高校生が……しかも何年も付き合いのある友人が、こんな女の子の声出していたら、信じられないのも無理はない。オレだってたぶん立場が違えば理解できないと思う。姿が見えないこの電話越しならば、猶更。


 ……けど、落ち着いてくれたようで良かったわ。


 オレは安堵の息を吐いて、自然と口元がほころぶのを感じた。

 自分の中で納得がいったのか、まだぎこちなさは垣間見えるものの、聞こえてくる神二郎の声からは普段通りの雰囲気が戻りつつあった。


『僕の知らぬ間に、またあの二人が迷惑をかけたんだね。僕が言っても仕方ないんだろうけど、悪かったね』

「確かに、その言葉は当事者二人から聞かないとだわ」

 その後二、三言近況について確認しあった後。『ところで』と神二郎が切り出してきた。


『まだ実験に付き合わされているってことは、兄さんと三郎もそっちにいるってことだよね?』

「あー、うん。イチさんの方はちょっとわからないけど、少なくともサブさんは目の前にいるよ。ちょっと別件で電話かけてるけど」

『そうか……』

 と、直後大きなため息が電話越しに聞こえてきた。


「ど、どうしたん?」

『いや……。さっき祐樹から聞いたんだけど、性転換装置なんてものを作って……って聞いてさ。聞いた時は半信半疑だったけれど、この成一の声を聴いてたら本当なんだなってわかった。それに研究費勝手に使ってたんだな……』


「研究費を、勝手に?」

 その言葉に、オレは首を傾げる。

 そして何かとてつもなく面倒くさそうなにおいを感じた。


『あぁ、えっと。うちのグループって、開発部門的なところ宛に研究開発費っていうものを毎年予算で組んでるんだけど。実は最近こっから結構な金額が抜き取られていることがわかってさ。まあ、こういうことは結構あるし、犯人はいつも兄さんなんだけど……。言っても聞かないからあの人』

「まじかよ……」


 どんだけ自由人なんだよあの人。


『それで。今回使われた金額が多かったから、話を聞かせてくれって父さんがおかんむりでね。兄さんもそれが良くわかってるのか、全然連絡つかないし、いつの間にか雲隠れしてて。もしかしたら成一のところに逃げ込んでないかって思ってさ』

「逃げ込むって……。あれ、じゃあサブさんは?」

『三郎は、最近兄さんの悪事に加担する傾向があるから。今回ももしかして事情知ってるかもしれないと思って聞いてみたんだ。三郎にはまだ連絡していなかったけど、成一のところにいるんだね』

「ま、まぁ……いますけど」


 なんでこの兄弟は毎回オレを巻き込もうとするんだ。


 神三郎に関していえば、同じ学校に通っているからやむを得ないとしても。神一郎がこちらにわざわざ出向いていたのは、もしかしたら責められるのをわかって逃げてきたから……かもしれないことがわかった。

 ちらりと研究所の方に目を向けて、姿の見えぬ神一郎を思いうかべつつ半眼になっていると。再び神二郎のため息が聞こえた。


『……何とかして俺の元まで引っ張ってこい、って父さんに言われちゃったからね。近いうち、僕もそっちに行くことになると思う。言っても無駄かもしれないけどさ、取り敢えず釘だけは指しておいてくれると助かる。流石にこれ以上の無断散財は、良くないだろうからさ』

「わ、わかったよジローさん」

『電話した要件はそれだけ。ちょっと予想できないことになってるようだけど、取り敢えず元気そうでよかったよ』

『じゃあ、またそっち行くときに声をかけるから』と言い残すと、神二郎からの通話は終了した。


「…………」


 オレはスマホを持っていた腕をだらりと垂らすと、はぁ……と大きくため息をつく。



「電話の主は、次兄だったらしいな。大丈夫そうだったか?」



 と、オレの通話が終了するのを待っていたのか、直後に神三郎が近寄りつつそう問いかけてきた。いつの間にかガルガッディアへの連絡は済んでいたらしい。

 オレはゆっくりと肩をすぼめると、呆れ気味に口を開く。


「……サブさんたちの父さんが、おかんむりなんだってさ。勝手に予算使うから。連れて来い、って言われたらしいよ。やりたい放題かよ、あんたら兄弟は」

「っ、な、なんだと。それは随分と頭の痛い……。……これは今までにないものを作り上げるという、崇高な目的のための必要経費であって――あいや、それもそうだが次兄は?」

 神三郎はオレの言葉を聞いて苦々しい表情を浮かべたが、すぐに改まって神二郎の様子を聞いてきた。勿論彼も自分の兄の心の傷を理解しているからこそ、気になってしまうのだろう。

 神三郎という男は、突飛な言動が目立つが、根は優しいのだ。

 オレは苦笑を浮かべると、何でもないと軽く両腕を広げた。


「最初はやばかったけど。祐樹が説明してくれたおかげで、最後はちゃんと受け答えしてくれたよ。たぶん大丈夫だと思う」

「……そうか」

 そう漏らした神三郎。そこには多大な安堵が盛り込まれていることが、声質から分かった。


「一応次兄の傷の克服に貢献できれば、とも思っていたが。そちらに関しても、まずますの効果といったところということか」

「え、そんなことも考えてたのこの実験?」


 モテるために女の子になろうとか言う、意味不明なことばかり考えている装置だと思ってた。


 オレが意外そうな反応をすると、神三郎は心外だとばかりに肩をすぼめる。

「当然だろう。俺は大切な友人であるお前たちのことを考えてもいたが、傷に悩む次兄のことも、同じくらい考慮しているのだ。……決して幼女たちと同じ目線で怪しまれないように近づきたいなどと、そんな不純なことを考えていたわけではないぞ」

「いや最後のが絶対本命だろ」


 せめて隠せよ。直前までいいこと言ってたんだから……。


 結局神三郎はどこまで行っても神三郎なようで。オレははぁと小さくため息を吐いた。


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