第2話

 学校の地下に作り上げられた、広く大きな空間。そこには、見てもよくわからない装置が納められており、広いはずの空間をかなり圧迫している。

 そんな装置群の中でひときわ目立つのが、大小さまざまなパイプを上下から生やしている、透明なショーウインドウだ。三台並べられたそれらは、その中に入った者の性別を変化させるという、とんでもない能力を持つ。


 陽総院の天才兄弟が作成した、性転換装置。最近見慣れ始めたそれが、研究室に入れば今日もやっぱりオレたちを見下ろしてくることだろう。

 ……だが。今日はそれ以外にも目につくものが追加されていた。






「な、なんでぇありゃあ……?」


 最初に気が付いたのは、先頭を行く神三郎のすぐ後に研究室に入った祐樹だった。彼がそんな言葉を漏らしながら入口で立ち止まったおかげで、オレと半助は彼が何に驚いたのか分からなかった。


「おい、ちょっと邪魔だぞ。せめて端に寄ってくれ」

 横にでかい彼が通路のど真ん中で立ち止まると、広めに作られている出入り口も途端に窮屈になる。オレは口でそう咎めつつ祐樹の肩越しに部屋の中をのぞいた。

 そうして、同じように動きを止める。

「な――」


 なんだあれ!?


 奇しくもぽつりともらした祐樹と同じようなことを、オレも心の中で叫んだ。


 部屋の中はあまり変化がない。もしかしたら細々したものが変化しているのかもしれないが、全く気にならなかった。そんなことよりも目につくのは、例のショーケースの頭上。

 並んだ三つのショーケースに蓋をするように、大きな魔法陣のようなものが光り輝いていた。


 綺麗な円形をしているそれは、外枠のすぐ内側にびっしりと何かが描かれていて、ゆっくりと円運動をしている。さらに内側は、これまた複雑な文様が縦横無尽に走っており、外枠とは逆方向に回っていた。


「魔法、陣?」


 そんな意匠が目についても、オレにとってはその一言くらいしか分からなかった。美少女エルフに変身すれば、日ごろの成果か……風呂場での惨劇も含め……魔力を知覚することができるので、もしかしたら何かわかったのかもしれないが。

 兎に角。現状わかるのは視覚情報だけで、何かの魔法陣が昨日と同じ装置の上に、昨日と異なり存在していることだけわかった。



「お待たせして申し訳ない。先ほど申し上げた、研究に協力してくれる友人たちをお連れしました」

 オレたちが件の魔法陣に目を奪われていると。神三郎がそう言葉を発しながら、先んじて部屋の奥へと歩いていく。その言葉は明確に誰かにあてたものだったのか、その返答は比較的すぐにきた。



「いや、気にしないでくれたまえ。その間こちらも調整を進めていたのでな」



 その声は、地から響くような野太いものであった。

 初めて聞くその声に、オレはふと目線を魔法陣から離し声のした方を振り向いた。

 そして、目を見開く。


 大きい――真っ先に視界に入ったその図体に、率直に浮かんできたのがその言葉だった。横に立っていた研究員の男性と比較しても、まるで大人と子供くらいの差がある。そして改めてその人物の細部を確認して、息をのむ。


 人物……いや、そいつは人ではなかった。



「ご、ゴブリン……っ」



 思わず漏れたその言葉に、遅れて祐樹や半助たちが反応するうめき声が耳に入ってきた。


 大柄なそいつは、顔のパーツは人間のそれと同じく存在するが、どれも人間とは細部異なり、一目で人間でないことがわかる。だが、焦げ茶色の肌を覆っているのはビジネスマンが着るような全身スーツで、がっしりした体格も相まって非常に似合っているという奇妙な印象だった。

 格好こそ異なるが、オレはそいつの顔に心当たりがあった。


 ……動画で見たぞ。こいつ、ゴブリンリーダーか!


 時が立つのは早いもので、既に二週間前となった、駅前広場に突如ゴブリンが現れるという怪事件。そのゴブリンたちに最後言葉を発し、人間たちへ宣言をして事件を終息させたゴブリンたちのリーダーが、何故かこの研究室へ姿を現していた。


「ほう、調整ですか。一体それはどのような?」

 そんなゴブリンリーダーの言葉に興味を示した神三郎が、彼の元へ歩み寄る。成人男性ですら大人と子供のような体格差があったのだ。幼女状態の神三郎が並ぶと、もはや大人と赤子である。


 そんな彼らは、何か談義をし始めた。ゴブリンリーダーが発する言葉に、神三郎が顎に手を当てながら思案し納得するような感じだ。その始終、オレはゴブリンリーダーを眺めていた。恐らく祐樹と半助も同じなのだろう。


「なーんでゴブリンたちの親玉さんが、こんなところにいるんや?」

「み、見たところ良き客人のようでござるが……?」

「ていうか、あのスーツ特注か? 下手にガタイが良いせいでなんかカッコよく見えるのが、すごい負けた気がするんだが。人間様の服をゴブリンが着こなしてるって、どうよ?」

「お前が着ても、腹が出っ張るだけだからな」

「うっせ、童貞」

「いやだからそれはお前も同じだろ!?」


 などなど、とりとめもない会話をしていると。不意に神三郎がこちらを振り向き、手招きをしてきた。オレたちはお互いの顔を一度見合すと、おっかなびっくりに神三郎の元へと近寄る。


「紹介させていただきます。この者たちが、俺たちの研究に協力してくれる友人たちです」

 そう言って神三郎は順繰りにオレたちを指すと、それぞれ名前を口にする。どう反応すればいいのか分からなかったオレは、取り敢えず会釈だけ。他二人も同様だった。


「驚かせて済まないな」

 オレたちが露骨にビビっていることに気が付いていたのか、ゴブリンリーダーは苦笑……一応表情は読み取れるくらい、人間と似ていた……を漏らすと、慇懃に首を垂れた。


「我の名は、ガルガッディアという。ゴブリン族を束ねる長だ。つい二週間ほど前に、この世界に来た新参者だ」


「まさか、『ゴブリン』という名がこの世界にもあるとは思わなかったがな」と語るゴブリンリーダー改めガルガッディアは、実に知性を感じさせる男であった。そしてやはりというべきか、聞こえてくる言葉と口の動きが一致していない。オレが口元を眺めていることに気が付いたのか、彼はちらりとオレを見下ろすと肩をすぼめた。


「……生憎と、まだここの言語に慣れておらんのだ。翻訳魔法を通しておるから通じてはいると思うが、違和感があるのは容赦してくれ」

「あ、いや、それは別に……」


 まさかそこまで気を遣ってくれるとは思わなかったわ。なんだこのゴブリン、紳士かよ。


 何気なく見ていただけなのだが。そこまで機微に聡いガルガッディアに、オレはたじろいだ。

「……んで。そのガルガッディアさんは、どーしてこんなところへ?」

 とそこでオレたちの疑問を祐樹が代表して問いかける。それに答えたのは、神三郎であった。


「ガルガッディア氏には、俺たちの研究の助力をしてもらっているんだ。あの出来事の後、陽総院家が彼らの身柄を一時的に担保することになってな。それゆえ彼とは話す機会がそれなりにあって、今俺たちが進めているこの性転換装置の話をしたら、興味を示してくれたのだ」

「ジンサブロウの話を聞いた時は驚いたものだ。高度魔術である変化を、まさか魔術を介さず行っているというのだからな。今実際に実物現象を見ても、夢でも見ている気分だ」

 そう言いながらガルガッディアは、ふと性転換装置のショーケース上に浮かぶ魔法陣に目を向けた。


「理論は未だに理解が及んでいないが、やりたいことは何となく把握ができた。物質の作り替えとは、恐れ入る。しかもそれを魔術ではなく、技術で行っているというのだから、猶更だ。……だがそこに、我は逆に光を見た」

 そうしてガルガッディアは一度視線をオレたちの方へ戻すと、胸元あたりまで手を掲げる。そして、言葉を続けた。


「魔術が一切介在していないのなら、魔術による施しを加えることで、より真に近づけるのではないか、とな」

 直後、ガルガッディアの掲げた手のひらに小さな火の玉が浮かび上がった。


 す、すごい……。


 オレはその火の玉を見て、感心した。恐らく、横で「おー」と間の抜けた声を漏らした祐樹や半助以上に。


 小規模な魔法とはいえ、詠唱なしで生み出すなんて。しかもかなり形が綺麗だし、安定してる……。魔力の制御がめっちゃうまい証拠だ。


 自分もにわかながら魔法が使えるようになって、オレはいかに魔法を使う……使いこなすことが難しいかを知った。ガルガッディアは何気なく披露しているが、その魔力制御がいかに卓越したものであるのかも理解できるようになっていた。


 オレなんて、魔力の制御がからっきしだから、風呂の湯加減整えるのすらできないのに。


 湯加減の調整なんて、水をだしたり熱を加えるだけで可能だ。そこは多少出力が安定せずに、ムラがあっても最悪結果さえよければ問題ない。……まあ、それすら今のオレはできていないのだが。


 それはそれとして。オレは先の何気ないお披露目で、ガルガッディアがいかに優れた魔法使いであるかを理解した。

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