黒騎士と性癖

第1話

 茅賀根家の浴槽は、比較的大きい。身長百七十中盤の父が、両足を伸ばして漬かれるほどである。この家を建てるとき、両親がこだわったところのひとつなのだという。曰く、くそったれな俗世間(会社)での穢れを、のびのびと落としてやりたいとのこと。……なんというか、いつもお仕事お疲れ様です。


「……熱い」

 そんな一家自慢の浴槽には、並々と湯が張られている。オレの前に母と妹の一華が入っていたはずだが、そのお湯は長時間経っても冷えることはなく。オレにとってはとても熱かった。

「……一華の奴、ほんと熱湯好きだよな。じいさんばあさんかよ」

 湯加減を確かめようと突っ込んだ手を宙で払いながら、オレは小さくため息をつく。


「うわ、すぐ赤くなる」

 その後何気なしに自身の手を見ると、湯につけたところがほんのりと赤くなっていることに気が付いた。

「こんだけ色白だと、すぐわかるのな」

 そのまま手を伝って腕を眺める。病的ではないのだが、まるで陽の光を浴びたことがないのではないかとさえ思える色白な肌。こんな肌をオレは見たことがない。


 自分の肌なのに見たことないのかよという話だが。これには少し事情がある。


 オレの名前は、茅賀根成一。

 茅賀根家の長男であり、地方の公立高校に通う男子高校生である。


 別段秀でた容姿をしているわけでもなく、かといって身体的にも突出しているわけでもない。ごくごく平凡なクラスのにぎやかし(人数的な意味で)担当の、所謂モブ系男子である。ほっといてくれ。

 オレの知る茅賀根家の息子さんはそんな感じなのだが。今のオレの姿は、それから大きくかけ離れている。


 浴室の壁の一部に張り付けられた鏡。そこ映っていたのは、十代中盤に見える細身の美少女であった。


 さらりと流れる金色の髪がとても美しく、目鼻立ちも非常に整っており、誰に聞いても美少女だと答えるであろうクオリティ。きれいな碧眼がどこか気恥ずかし気に鏡を見ては目を反らしているが、それもまた愛らしい。同年代の少女たちと比べたら、やや小ぶりな胸をしているようだが、全体的にスリムな体型をしているおかげで、モデルのような美しさがある。

 そしてひときわ目を引くのは、金髪の間から突き出ている、とがった耳。



 そう。茅賀根家の息子さんは、今現在金髪美少女エルフになっているのだった。



 これは友人であり、世界屈指の名家である陽総院家の兄弟が開発した、性転換装置による効果だ。陽総院家の三男である陽総院神三郎が、『モテない男子が女子にモテるようになるには、まず女子のことを知る必要がある』という発想のもと、当兄弟のあふれんばかりの才能を(無駄に)駆使して爆誕した奇天烈な装置である。仕組みは聞いてもさっぱり理解できないが、冴えない男子高校生が美少女エルフに変身するのだから、とんでもない魔機であろう。ただ今のところ未完ということもあって、オレはその検証に協力している形になる。


 そんなこんなで、オレは今美少女エルフで風呂に入っていた。


 ……これは決してやましいことではなく、検証の一環なんです。長時間の変身のログを取っているんです一日二日風呂に入れないのは苦痛でしょだから仕方ないんです。などなど。


「熱い、か」

 オレはポツリとつぶやいて、浴槽の上に備え付けられたカランに視線を下ろす。そこを操作すれば、簡単に水が出て湯加減を調整することができるのだが。そうはせず、オレは再び張られた湯へと目を向けた。そして軽く手をかざす。



「……水よ、在れ」



 そうして小さく唱えるとともに、最近少しずつ把握し始めた魔力を手のひらへと集約させる。

 このエルフの体は、元々オレたちの住むこの世界ではない、別の世界の実在する(……と言っていいのかよくわからないが)人物のものだ。その世界では魔法が存在するらしく、この体の持ち主はかなりハイレベルな魔法使いなのだという。


 ひょんなことから、そんな彼女の分体を借り受けているオレも、魔法が使えるということがここ最近発覚した。

 ねんがんの まほう を てにいれたぞ!

 そして目下自由に使えるように練習中なのである。


 自身の中をめぐる魔力が、ゆっくりとだがかざした手のひらに集まる感覚。少しずつたまっていくそれを、頃合いを見てオレは解き放つ。

 直後、浴槽から水柱が立った。


「うわっ、つ、つめた!?」


 しかもその水柱、湯から上がっているはずなのに非常に冷たい。水柱は勢いよく浴室天井すれすれまで立ち上がると、すぐに重力に従って落下した。水柱の正体は浴槽の湯だったのか、気が付いたら空になっていた浴槽に、一気に水柱の水がたまりこむ。そしてその勢いは浴槽内で収まらず、結構な量が浴槽からあふれ出て床に広がった。


「つ、冷たい冷たい!?」


 くるぶしまでひんやりとした水が押し寄せる。不意の冷気に、オレは身を縮こませた。

 やがて水の勢いが収まったところで、オレは浴槽に残った湯に手を付けてみた。

「……完全に水風呂になっていらっしゃる」

 先ほどまでの温かさはどこへ行ったのか。そこには先ほど足元を冷やしたのと同じくらいの温度の水が存在していた。


「加減が難しいよなぁ……」

 オレはそう愚痴りつつ、再び浴槽に手をかざす。


 そこで諦めて普通に湯を足せばよかったのにと、後々見れば思うのだが。あろうことかオレは、水になったのなら今度は魔法で温めてやろうと馬鹿な考えを浮かべてしまった。



「……水よ、熱を持て」

 直後、水だったものから顔をそむけたくなるような湯気が立つようになった。



「あっつぃ!?」

 大慌てで距離を取り、遠目から浴槽を眺め見ると。

 なんと、先ほどまでは目が覚めるような冷水だったのに、今や沸騰するくらいの温かい(?)お湯へと早変わりしていた。


 とても人間が入っていいような温度ではないことは、よく見なくても分かった。


「…………」


 オレは少しの間目をしぱたかせて、目の前の惨劇を見つめていたが。やがて小さくため息をつくと、シャワーヘッドへと手を伸ばした。


「……ごめんよ、父さん。後は頼んだ」

 一応この後入る予定である父のことを考慮して、水を足しておこうと考えつつ、オレは本日の風呂をシャワーのみで済ますことに決めた。








「朗報だぞ、成一!」


 とある金曜日。学校は流石にエルフの姿で過ごすわけにいかないので、平日は普通に男の姿でいるオレ。……いやまあ、休日も常にエルフかと言われると、そういうわけでもないのだが。


 兎に角そんなオレは、いつものように放課後部室の扉を開いた途端、真っ先にそのような言葉が投げかけられた。その声は教壇の奥から響いてきたようで、ふと声の方に目を向けると一人の人物と目が合う。


 その人物は、少女であった。高校の部室には不釣り合いな、どう見ても小学生にしか見えない女の子。首元あたりでざっくばらんに切りそろえた銀髪と、幼いながらも知的さを感じさせるツリがちな碧眼が印象的な美少女だ。

 その少女は、何故かこの高校の女子制服を身にまとって、とてとてとこちらへ歩み寄ってきた。そうしてオレの目の前に立つと、ばっと両手を広げる。


「見ろ! すごいだろう!」

 オレはその仕草に不覚にも萌えてしまったが、すぐに冷静さを取り戻す。

 この少女、額面通りの子だと思ってはいけない。


「……いや、全くわからないんだけど。サブさん」

 オレは彼女……いや、彼の愛称を口にした。


 目の前にいるこの美少女……本名を陽総院神三郎という。

 名家である陽総院家の三男坊だ。本来なら、文武両道、容姿端麗な、モブ顔のオレからすれば爆発認定待ったなしな超イケメンなのだが。先に話した性転換装置を用いることにより、彼は銀髪の幼女へと姿を変える。これは幼女をぺろぺろしたいなどとのたまう、重度のロリコンである本人が願った姿だ。児童誘拐とかで捕まったら、絶対に『いつかやると思っていました』って答えるからな。


 それはそれとして。

 オレが部室の入口付近で戸惑っていると、部屋の中から別の声が上がる。


「俺らも来た時そんな感じで言われたわ」

「完全に舞い上がっている様子でな。拙者らも事情を聴くまでは首をかしげたものでござる」

 どちらも男の声だ。視線を幼女神三郎から部屋の奥へと向ける。


 ひとりは、小太りな青年だ。いつも髪を切るたびに『マッシュルームみたいだよなこれ』と愚痴をこぼす、最近サドにもマゾにもなれるといういらんことに気が付いた、オレの友人である。名前を立川祐樹という。


 もう一人は、祐樹と異なり細身の青年である。生まれる時代間違えていませんか、と問いただしたくなるような口調で話す、中二病をこじらせ未だに治らない、もう一人の友人だ。下手に長い髪を梳けば、割と整った見てくれのはずなのだが、本人は頑なに出したがらない。名前を嵐山半助という。


「事情? 何かあったの?」

 友人二人の言葉を聞いて、オレは再び神三郎を見下ろす。すると彼はよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに無い胸を反らすと、腰に手を当てて雄弁に語った。

「実は諸事情あって、午後の授業を途中から抜けていたのだがな。この姿に変わってから、かれこれ三時間は経っているのだ」

「三時間!?」

 その言葉にオレは目を丸くした。


 三時間って。ついこの前までは一時間すら遠かったのに、なんで急に?


 神三郎とその兄であり陽総院家の長男である神一郎が開発した性転換装置だが、未だに大きな課題を抱えていた。

 それが、変身できる時間の少なさだった。


 一日一回、多くても三十分。それ以上時間が経過すると、勝手に元の姿に戻ってしまう。いくら調子に乗って百合百合しい空気をまとっていてもお構いなしに戻る。それが、つい先週位までの実態だった。

 例外として、オレだけが数日変身したままでもエルフの姿を維持し続けることができるのだが。オレの場合は特別で、異世界の住人の体を借り受けているから……かもしれないのだが、正直なところよくわかっていない。


 まあ兎に角。オレの認識はそのような感じだったので、神三郎の口にした三時間という数字に驚いてしまった。


「え、どうやってそんなに伸びたの?」

「それを説明しようと、お前を待っていたのだ」

「そーそー。『成一が来たら説明してやる』つって、俺たちもまだ聞けてねーんだよ」

「あれだけ苦しめられていた難題が、知らぬ間に打ち破られておるのだから、気になって仕方がないでござる」

 やはり祐樹も半助も、実験に協力していた身としては同じように気になっていたのだろう。既にオレと同じ質問を投げかけていたようだ。


 オレたちの好奇の視線を浴びながら、神三郎は颯爽と歩きだした。向かう先は、部室の隅に備え付けられている、普通なら掃除用具などが入れ込まれているはずのロッカー。


「ついてきてくれ。説明は下でさせてもらおう」


 がちゃりと神三郎がそのロッカーの扉を開けると。そこに広がるのはSF臭漂う、広めの空間だ。

 実はこのロッカー奥の空間は、魔改造を施されて学校下につながるエレベーターになっている。学校下には、件の性転換装置が納められている研究施設があり、このエレベーターはそこまでの近道とのこと。


 最初見た時は、これにも驚いたもんだけど。今じゃあ当たり前のように慣れちゃったわ。


 果たして神三郎は何を話してくれるのか。想像がつかないオレたちは、意気揚々と前を行く神三郎の後をついてエレベーターに乗り込みながら、お互いの顔を見て首を傾げた。

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