第33話
「――改めてだが。よく目覚めてくれた。体が重いと言っていたが、他に違和感はないか?」
メイドさんが去った後、比較的大きなため息を吐いた神三郎。彼は気を改める意図か、小さく頭を振ると、こちらを見下ろしてきた。
「うーん……特に今は何もないけど。……オレってホントに二日間寝込んでたのか?」
「ほら、見てみるといい」
なんだかんだ言って健康な人生を歩んできていたオレは、二日も寝込んだ経験が無い。未だにその点が半信半疑なオレは、改めて神三郎に確認を取った。すると彼はズボンのポケットからスマホを取り出すと、こちらへと差し出してくる。最新機種でふんだんに幼女が描かれたカバー(これ、特注品だよな。わざわざこんなんに権力使ったのかよ……)をされていたそれを受け取って、オレは電源ボタンに手をかける。
「……まじだ」
ロック画面にでかでかと書かれた日付と時間を見て、オレは目をしぱたかせる。土曜日の朝型から意識を失ったはずだから、月曜日の放課後を示すこの表示は、オレが本当に丸二日寝込んでいたことを表していた。
「医者の言によると、特に疾患のようなものがあるわけではなく、眠っているような状態ということでな。経過観察がしやすいよう、俺の家に運び込んだわけだ」
自分が寝込んでいたという実感がないため、しきりに首をかしげながら、幼女スマホをそのように語る神三郎に返す。
「……あ、そうだ。結局あの後どうなったんだ? 祐樹や半助は無事なのか?」
オレが最後に見た光景は、自分がまき散らした炎の壁にゴブリンたちが遮られたところ。あれだけの騒動が起きたのだがから、どうやって事態が収束したのか見当がつかない。いや、むしろ今もなお世間は騒動の真っただ中なのか?
だってゴブリンだぞゴブリン。そんなファンタジー世界の魔物ががいきなり現れたんだから、普通に大事だよな。当然、この世界に渡るための何かしらの手段があったはずだし、そうなるとゴブリン以外にも来ることだって考えられるし……。
もしかして、異世界との全面戦争とかに発展しちゃってたり……?
室内にいると分からないが。もしかしたら家の外は、完全武装した自衛隊員と大量の魑魅魍魎たちが、顔を突き合わせて血みどろの争いをしていたりするのだろうか。
時は現代。
平和であったはずの地方都市で、戦端は開かれた。
普段であれば利用客で賑わいを見せる駅前は、爆撃を受けた後のように荒廃し、あちこちで消え切らない炎がくすぶっている。地面には建物の残骸が散らばっているのかと思いきやそれだけでなく、人間の死体や異形のもののそれも転がっていた。道路に点在する死骸のほか、それらが道を確保するために路肩に無造作に積まれている。土煙や硝煙のせいで、あたりは晴れているにもかかわらず、どこかたそがれ時のような褪せた色合いになっていた。
そんなこの世の終わりのような場所に、さらに足を踏み入れる音。
片方は人間。多国籍軍なのか、様々な人種が、しかし一様に銃を携帯して道路の一角を埋め尽くしていた。戦車も幾台も導入され、眼前に立とうものなら容赦なく射殺するといった気迫に満ちている。
他方で密集しているのは、人間とは全く異なる外観を持つ異形のものたち。複数の脚をもつものから、翼をもつものまで多種多様だ。その手には、今まで戦ってきた中で仕留めてきた人間たちの血や肉片などがこびりついていた。
両者の睨み合いは、果たしてどれほどの時間続いただろうか。
やがて人間側の指揮官が、何事か叫ぶ。
それに呼応するかのように、異形のものたちからも奇声のようなものが挙げられた。
いざ、人間と異形のものとの全面衝突――
「ああ、あいつらは無事だ。あの後すぐに騒動が終息してな。半助とも無事に合流ができた。怪我人が幾人か出たようだが、死者は一人もいないとの話だ」
――などと、無駄に妄想を膨らませていたところで。神三郎の一言で、オレの妄想は雲と消えた。
「え、い、一体何があったん?」
脳裏に残るのは、鋭利な爪を携えて猛然と迫るゴブリンたちの群れ。あんな危機的な状況が終息するなんて、一体何があったのだろうか。
オレが疑問符を大量に発生させていると、神三郎はおもむろにスマホをいじりだした。「都合のいいことに、動画がアップされているから、これを見るといい」と言いながら差し出してきた画面には、某動画投稿サイトが映し出されていた。
タイトルは『ゴブリンリーダーの演説―新たな同志の誕生―』。タブにはオレたちの住む市の名前などがつけられていた。何故か音量注意とも。
動画は駅前のビルの一角から撮られているらしかった。駅前を見下ろす形で、風景が映し出されている。周りに人がいるのか、ざわざわと人の話声が入り込んでいた。
あたりを撮影していたカメラが、不意にとある区画を拡大し始める。拡大した先には、とあるゴブリンの姿が映し出されていた。
大きい……人のサイズに作られたビルの出入り口から窮屈そうに現れたゴブリンは、他のゴブリンとは明らかに違って大きかった。また他のゴブリンたちがぼろきれのような布をまとっているだけで裸同然なのに対し、その大きなゴブリンはローブのような服を身にまとっていた。確かにタイトルのように、ゴブリンたちのリーダーだと言われても納得できるような、特別な個体である。
そのゴブリンリーダーが出てきた建物は。
……アニ○イト?
オタク御用達のアニメ専門店だった。
『~~~~~~!!』
「うわっ」
不意にゴブリンリーダーが何事か叫び始める。撮影者とは結構な距離離れているはずだが、余程の爆音なのかびりびりと手にしたスマホがしびれるほどの声量だ。タブの音量注意の意味がよくわかった。
ゴブリンたちの言葉なのだろうか。ゴブリンリーダーのその声に、近場にいたゴブリンたちの動きが止まった。それだけではない。ズームを止めてあたりを見回し始めた画面に映るすべてのゴブリンが、そのゴブリンリーダーの言葉で動きを止めていることが分かった。
再び画面はゴブリンリーダーへと戻る。しばらくよくわからない言語を垂れ流していたゴブリンリーダーだったが。ふと口を閉ざすと、少し間をあける。その後、改めて大きく口を開くと。
『人間たちよ。驚かせてしまったようで申し訳ない。先に謝罪をしておこう』
突然、ゴブリンリーダーが日本語を話し始めた。
「え、日本語!?」
画面に映っていないところから、突然の理解できる言葉に驚きの声が上がる。画面越しに、オレも同じように驚いて思わずそう漏らした。
『恐らくお前たちにもわかるような言語に翻訳されて聞こえているだろうと思う。そのうえで、少し我の話を聞いてもらいたい』
解像度が足らないため、ズームをしてもぼんやりとしかゴブリンリーダーの顔は表示されない。だが、何となく口の動きと発せられる言葉が一致しないような印象を覚えた。まるで外国映画の吹き替えを見ているかのようだ。もしかしたら、翻訳魔法のようなものを使っているのかもしれない。
その後ゴブリンリーダーは、この世界に迷い込んだ時の話をし始めた。曰く、ゴブリンリーダーたちは、元の世界で存続の危機に瀕していたらしく、理想郷を求めてこの世界に迷い込んできたらしい。人間や亜人たちには迫害され、同族である魔族たちにも駒のように扱われる日々。そんな中、異世界へ住む場所を求める……侵略するといった案が、魔族たちの中で湧き起こった。ゴブリンのみならず、多種族も、同じように元の世界では存続するのが難しい状況に陥っているものが多かったからだそう。その案は最終的に決行され、こうして先遣隊としてゴブリンたちがこの世界にやってきたのだという。
『恐らく、多種族たちは考えていたことだろう。『もし足を踏み入れた世界が、自分たちの手に負えない世界だったとしたら。それを確認するべく、ゴブリンたちには生贄になってもらおう』と。残念ながら、我らは魔族の中では力が弱い。発言権は無いに等しかった。我々は迫られたのだ。だが、あのまま元の世界にいてもどうせ淘汰されるだけ……我らは意を決して、異世界への第一波として重い腰を上げた』
ゴブリンリーダーは、そこで言葉を区切り、うつむく。そして十分に間を取ったあと、ばっと顔を上げて宣言した。
『そして、我々は賭けに勝った! この世界は素晴らしい! 特にこの――』
そうしてゴブリンリーダーは、ばっと左腕を後ろに翻し、アニ○イトを力強く示す。
『あにめという文化は、非常に尊いものだ!!』
「え――」
その言葉を聞いた途端、オレは目をしぱたかせた。
『初めて目にしたとき、我は衝撃を受けた。動くはずのない絵が、まるで生きているかのように動いている……色彩は豊かで、言葉がわからずとも伝わる何かが、我の心を打った。ここにきて当惑していた我に、その感情は『萌え』や『尊い』というものだと、人間の一人が教えてくれた。尊い……なるほど、言いえて妙なものだと思った』
ゴブリンリーダーが熱く語れば語るほど、オレはどこか冷静になっていくのを感じた。
『我々は宣言する。この文化を……あにめをともに守ってゆきたいと、切に願う。どうか、我々を受け入れてくれないだろうか!』
その後、どこからともなく現れた、いかにもオタク風の者たちからの拍手が巻き起こった。と思ったら、動画はそこで終了し、画面が暗転する。
「……という形で、事態は収まったのだ」
「いや、という形って……」
スマホを返しながら、オレは何とも言えない気持ちになっていた。
異世界の魔物がアニメを語るとか、シュールすぎるだろ。
スマホを仕舞うと、神三郎はしみじみと語った。
「意外とこのゴブリンの長は切れ者らしくてな。その後の采配は非常に見事なものだったよ。瞬く間に散らばっていたゴブリンは集合し、人的被害を最小限に抑えた。知事を通じて国とも交渉をするとかで、連日様々な活動をしているらしい。配下のゴブリンたちは、各々人間たちの補助をする形で、これから活動をしていくとのことだ。彼は、この世界の人間との共存のレールを、見事に作り上げつつあるということだな」
「はぁ……」
先ほど考えた魑魅魍魎たちとの壮絶な全面戦争とは、一体何だったのか。現実は、まさかのゴブリン総オタク化というもの。勿論、血なまぐさい話よりはよっぽど良いのかもしれないが。
もうちょっとなんかなかったのかよ……って思っちゃうけどな。
オレは何か難しく考えるのがアホらしくなって、ベッドに横になる。
「何か、変に心配して損した気がするわ」
「まあ、こんな結末は誰も予想していなかっただろうからな」
神三郎も肩透かしを食らったという思いがあるのか、苦笑を浮かべながら肩をすぼめることしかしなかった。
「兎に角、お前が寝込んでからの状況はそんなところだ。多少混乱はまだ残っているが、じきにそれも引いていくだろう」
「……そーですか」
オレははぁ、と小さく息を吐くと右腕で目元を覆う。起きてから間もないはずなのだが、もうひと眠りできそうなほど、なんだか疲れがたまった気がした。
そんなとき、オレのお腹がくうぅと可愛らしい音をたてた。
「…………」
「……ぷっ。そうだな、夕食には少し早いが、何か軽い食事でも食べるか?」
その音を聞いて、神三郎が軽く吹いてそう口にした。
「………………たべる」
オレはその言葉に、力なくそれだけ答えた。
目元しか隠していなかったから、頬が赤くなったのはばっちり見られただろう。
恥ずかしい。しにたい――
そこは随分と暗い部屋だった。人間が三十人くらい机を並べても入りきりそうな大きさの部屋を壁沿いには、様々なものが飾られている。しかしそれは部屋を彩るための装飾ではなかった。
様々な種族の生首や胴体……それらが部屋を覆うように所狭しと並べられていた。
「奴らは侵略するどころか、傀儡になった、と」
そんな悪趣味な部屋の奥に備え付けられた豪奢な椅子。そこに武骨なコウモリの翼のようなものを生やした人物が座っていた。
翼が生えていることから、人間ではないのは明白なのだが、その姿かたちは人間に近い。だがやはり、人間とは違う造形をした手足が、別の生物であることを示唆していた。
彼は、魔族であった。
「やはり下級魔族は下級魔族、といったところか」
「…………お言葉ですが、ブルシエル殿。彼らは異世界の人間たちの傀儡などではなく、共存の道を模索しているとのことです」
と、そんな彼にそう苦言を漏らしたのは、彼の前で膝をついていた人物だった。
こちらは人間なのかどうか判断できない。全身を甲冑に包まれたその者は、傍に武骨な直剣を置き、首を垂れていた。声質から、男性だということは分かる。
翼をもった魔族……ブルシエルと呼ばれた男は、冷めた笑みを浮かべながら鼻を鳴らした。
「変わらぬよ。人間と言葉を交わそうとしている時点で、奴らは既に終わっている。生かしておく意味はない」
「ですが――」
「失礼します!」
ふと、小柄な魔族が慌てた様子で部屋に入ってきた。その魔族は扉の傍で膝をつき首を垂れると、口を開いた。
「先ほど先遣隊として旅立ったゴブリン族のものたちが、異世界の人間たちと和平を結んだと――」
「遅い」
小柄な魔族が報告しているところに短く言葉を重ねたブルシエル。彼は面倒くさそうに軽く手を振り払った。直後、小柄な魔族の首が吹き飛び、しぶきを上げながら胴体が力なく倒れ伏す。遅れて、ごとりと首が床を転がった。
「…………やり過ぎでは?」
甲冑の男の背中で起きたことであるからして、彼には何があったのか見えないはずなのだが。彼は悟ったようにそう口にした。
甲冑の男の言葉に、ブルシエルは肩をすぼめる。
「……そうだな、ちとやり過ぎたかもしれん。わざわざ掃除をする手間が増えた」
「…………」
「まあ、よい」
そう言ってブルシエルは椅子から立ち上がる。そしてスタスタと甲冑の男の目の前まで来ると、膝を折って顔を近づけた。
「人間と和平を結ぶなどと、軟弱な魔族は要らぬ。お前が掃討してこい」
「…………」
ブルシエルの言葉に、甲冑の男は口を開かない。しかし、ブルシエルは気にした様子もなく、むしろ楽し気に再び口を開いた。
「……シュライザよ。異世界人というのは、どんな首をしているのだろうな?」
「っ……」
甲冑の男……シュライザは、その言葉に小さくうめき声をあげると、さらに頭を下げた。
「……私が異世界へと赴き、ゴブリン族の長を誅してきます」
「そうか。期待しているぞ? 下級とはいえ、奴は一角の将だからな。飾るに値する首だ」
はははと笑い声を上げながらシュライザの元から離れるブルシエル。
そんな彼からは見えなかったが、床についたシュライザの手には拳が力強く握られていた。
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